陸の民と、空の民の守り人の契約【03】




 上体を安定させるのも、見上げ続けるのも、今のリーガルーダには大変でとてもきつい。リーガルーダは少しずつ重心を移動させ、なんとか寝台に背を預け聞く体勢を整えた。

 少年が視線を向けてくるのを気長に待っていたイズリアスはその場で両腕を組む。

「正直。さっきまで気分は最悪だったんだがな。おまえを見てすっきりした」

 その話題を引っ張るのかと顔を顰めたリーガルーダにイズリアスはそんなんじゃないと肩をすくめる。

「族長から伝言だ」

「え?」

 イズリアスが示しているのは彼の種族の長。つまり、風竜族の長である。

 綺麗な虹色の爪を持つ彼女を思い出して、どんな伝言だろうとリーガルーダは青年に首を傾げる。

「『聖域の力で受けた傷は聖域の力で癒されましょう』だとさ」

「…………聖域」

「そ。聖域。西の、じゃないぞ」

 大陸の西にある聖域は風竜の里であり、赴けば傷が癒えるどころか再び呪われる。

「聖、……域」

 そんな事はわかっていると繰り返すリーガルーダにイズリアスは金色の瞳を瞬かせた。

「……聖域」

 何かを確かめるように沈鬱な表情で呟く姿に何をそんなに真剣に考えることがあるんだとイズリアスは不思議に思う。

 心の支えがなければすぐに死んでしまうような古代種のくせに、それこそ心の故郷たる聖域に帰るのは不都合だと言いたげで、陸竜よりも脆弱な空竜を知っているイズリアスは思わず首を傾げた。

「ずいぶんと歯切れが悪いな」

 せっかく良い話を持ってきたのに。喜ばせに来たつもりも喜ぶ顔が見たいわけでもなかったが、決して悪い話ではないはずだ。なのに、リーガルーダの蒼白い顔には厳しいものが浮かんでいる。

 心底不思議でならないと、素直な声で疑問を投げかけられ、少年はイズリアスの瞳に自分の視線を向けると一度唇を閉ざした。

 沈黙は軽い。けれど、夜の闇は空気さえ息を潜める程、深く、厚く、重い。

 リーガルーダは数秒ではあったが、躊躇いの瞳でイズリアスを見詰めてから、浮かんでいた考えを捨てたのか緩く首を左右に一度ずつ振った。

「……陸竜族は聖域を捨てた種族なので」

 告げるリーガルーダにイズリアスは一瞬自分の耳を疑った。

「は? 待て。聖域を、捨てた?」

 信じられないと問い返すイズリアスにリーガルーダは蒼い顔で頷く。

「はい」

 再び返された答えに声も言葉も無くしてしまった風竜に、金髪鳶色眼ではなく濁る色を纏う異国の少年の姿を模す陸竜は果たして他種族にこの事実を話してよかったのかと、破綻を呼び寄せてしまうかもしれない災いの種を話(蒔き)終わってから後悔に目の下を歪ませた。

「今は木竜が守ってくれてはいますけど、この先陸竜があの地に訪れることはないでしょう」

 けれど、いつか気づかれるだろうし、もしかしたらもう気づかれているかもしれない。

 世界の変化に聡い竜族なら陸竜が群れを作らず世界各地に散らばり始めているのを知っている者がいてもおかしくはない。

 イズリアスに話してどうなるのか想像もつかないが、事実の露見が少しだけ早くなっただけの事なのだ。

 その後、彼等がどう対処するかは世界の動向次第である。

 親さえ知らぬリーガルーダではあったが、聖域というものがどんなものなのかは本能的に理解していた。

 同時に。

 古代種にとって存在が絶対的である聖域を捨てなければならなかった陸竜の事情もなんとなくわかってしまった。

 故に。

 リーガルーダは心を寄せていた者を亡くしても、縋る思いを抱えながら聖域に赴こうとは微塵にも考えなかった。

「陸竜に里はありません」

 あったとしても、そこは木竜の楽園になっている。

「あの木竜が風竜の呪いを消す力は無いに等しいと思いますし、それに、聖域はそうと思わなければ本当の意味の聖域にはなりえませんよ」

 つまり、リーガルーダが受けた風竜の呪いを消す方法は無い。

 言い切ってしまったリーガルーダに陸竜の聖域がないことに驚いていたイズリアスは数秒の間を置いたあと、ふぅん、と納得したように鼻を鳴らし、頷いた。

「つーことは、おまえ。死ぬのか?」

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