異国の少年と激情の娘【11】
「人間の潜在する力って恐いですね」
ぽつりと呟いたルーダにカリャーナは樫の杖を右手から左手に持ちかえる。
「人柱に選ばれたのは器量良しだからという理由だけじゃぁないのかもしれないねぇ……――で、イズリアス。
おまえは竜族の品位を堕としたいのかい?」
聞かれて、人を模した風竜は引き裂かれてズタズタになっている己の右腕を抱え、腕の痛みさえ忘れるほど強く唇を噛み締めていた。
ルーダを苦しめたいが一心で、人間の四肢をバラバラに引き裂こうとした。瞬間、少女に向けて放った力は全て自分に撥ね返ってきた。竜族である自分でさえ腕一本犠牲にしないと防げない力をこの少女は信じられないことに、あっさりと撥ね返したのだ。
屈辱だ。これ以上もない屈辱だ。
風竜の身でありながら撥ね返された風の力を制御できずにこの身が風に引き裂かれて血を流すなんて。
しかも。
「己が御せぬ力を放つのは竜族にはあるまじき失態だねぇ」
「言われなくてもわかっている。東の賢者がしゃしゃり出てくるまでもないぞ?」
最初から居ましたと言わんばかりの顔で諭すカリャーナにイズリアスは歯を剥き出しにして唸る。
そう。あってはならない。
竜族が己に見合った――放った力の制御が出来ない――以上の力を扱うことは。
品位を堕とすとは理性を失うこと。本能のまま暴れる化け物となること。世界を壊す化物に。それは、空竜の守人でもある風竜の姿ではない。
イズリアスは片手で顔の半分を隠した。
「東の賢者よ。俺は……自分が竜であることを忘れるほど憎んでいるらしい」
この目の前に血まみれで居る異国の少年を模した陸竜を。
「ただでは殺せないほど?」
「ああ」
気絶したチェリアを片腕だけで引き寄せたルーダは彼女を抱え直して奥歯を噛み締める。腕の中の人間は無傷で温かい。安堵の息を吐いて唇を引き締める。華奢な体は予想より遙かに重い。それは命の重さだ。
顔を上げて、イズリアスを睨む。
「だからって!」
悲鳴に近い声にイズリアスは瞳だけ動かした。
カリャーナは小首を傾げる。
血に濡れた体で、血まみれの顔で自分を睨む少年にイズリアスは知らず、徐々に唇を笑みの形に歪ませていった。
「人間に手を出すな。とでも言いたいのか? 立派な平和主義者だこと。
――なら、貴様は俺に片目の代価を支払うだけの勇気があるのか?」
そこの娘を助ける為の代わりとして。
「あるのかと聞いている。
……答えられないだろう? 答えられるはずがない。所詮その程度さ。人間の中で育ったといっても貴様は竜族なんだよ。どうせ、その人間も俺から護ろうなんて考えていたんだろ? 俺よりも力があるのに、殺せないどころかあっさり呪いを受けて人間並みに力を削ぎ落とされたくせに護ろうなんて……貴様の偽善ぶりには虫酸が走る!」
荒げられた声にびくりとルーダは体を震わせた。
「これこれ、それ以上責めてもお前の片目は還ってこないよ。もう、おやめ」
やんわりと諫められてイズリアスはふんと鼻を鳴らした。気性の荒さを言動から滲み出す青年はしかしそれ以上言葉を重ねなかった。
カリャーナは杖を持ちかえて問いかける。
「帰るのかい?」
背を向けた風竜にカリャーナは傾げた首を更に横に傾ける。
声をかけられたことが意外だったのか、足を止めて顔だけ振り返ったイズリアスは小さく頷き、腕から滴る血を拭った。ずたずたに引き裂かれたはずの腕の傷は癒えてなくなっている。
「ああ」
「殺していかないのかい?」
顎をしゃくってルーダを示したカリャーナにイズリアスは面倒くさそうに肩を竦めた。
「興醒めだ。今殺しても面白くないし、結局は殺せないし、呪いを受けて陸竜の姿さえ失ったのでは意味が無い。
ただ面白い一面を発見したからな。方法は変える」
答えは分かり易すぎるくらいわかりやすかった。
チェリアを護るルーダの姿勢はイズリアスの知る中で一番新鮮で面白かった反応だった。だから今夜はこのまま退こう。
薄ら笑いを浮かべた男にルーダは男に対する警戒をより一層強めた。
「チェリアとか言ったか、目が醒めたら話してやれ、こんな俺でも祝福くらいはしてやる、とな」
言い終わるのと同時に鋭い突風が森を駆け抜けた。
先程の強風に千切れ落ちたまだ若い葉や折れた枝全て空高く吹き上げて。
咄嗟に顔を庇った腕を退けたときにはもう白金の髪を持つ男の後ろ姿は無かった。
梢から幾枚もの葉を毟り取られて、木々は枯れ木と化した。
落ち着き始めた周囲にカリャーナは顔をしかめる。
「しかし、派手にやっていたようだねぇ」
惨憺たる景色にカリャーナは溜息を吐いた。折れた枝などは全て掃除してくれたので有り難かったが、これではこの近くに野生のままに繁殖させていた薬草や毒草は全滅しているだろう。
気絶したチェリアを起こそうとその頬を軽く叩きながルーダはカリャーナを見上げる。
「いつからご覧になっていたんですか?」
「そうだねぇ。……確か、おまえの腕が砕かれたあたりかい? まぁ、びっくりしたよ。チェリアがイズリアスの風をそっくりそのまま返した所はね」
含みのある視線を向けられて、ルーダは眉を顰める。
「それにしてもよかったんじゃないかい。探していたんだろ? 王都の王子の伴侶を。占いの通り、力を返す……反発の力を持つ少女だ」
チェリアを見下ろしてルーダは力無く首を上下に振った。
まさかこんな形で発見することになったとは予想もしなかった。ルーダは脱力感に項垂れる。
先見の占いで予言された王子の伴侶の花嫁を探し出す事がルーダの旅の目的だった。この先に待ち受ける戦火から王都を守る為に必要な力を持った娘を求めて、遂には手に入れた。
「ただ、本人無自覚なのがいただけないんですけどね」
突出した優れた能力でも自在に扱えなければ無能とも等しい。
それでも、取り敢えず見つかった。風竜の呪いを受けるというアクシデント付きだったが、収穫があったので結果オーライだろう。
「祝福をと言ってましたからイズリアスさんは俺と彼女が王都に行くまで手は出さないでしょうし……なんかこうやって考えるとここまで飛ばされた意味がわかるような気がしますよ」
ルーダは半眼になる。
「カリャーナさん。あとで承認証かなにか書いてくださいよ。村娘ですよ? それなりの後ろ盾が必要です。竜の祝福と賢者の証があれば十分でしょう」
「その姿のままで帰るのかい?」
姿も力も風竜の呪いで変えられている。
全くの別人と化したおまえが無事に王宮に入る為の証はあるのか。
問われて、ルーダは小さく笑った。
「これでも俺は守護竜ですよ? 王様本人を引っ張り出せばすぐにわかってくれますよ」
それまでが一苦労になるでしょうけど。と付け足してルーダは苦笑した。
「カリャーナさん。あとで彼女を家に運んで置いてください」
「ああ、いいよ。おまえは予定通り外で寝るんだよねぇ?」
問いかけに、怪我人でさえ容赦しないんですねとルーダは小さく笑った。
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