異国の少年と激情の娘【05】
「カリャーナさん?」
沈黙した老婆にルーダは小さく首を傾げた。
「茶色だあねぇ」
「唐突過ぎます」
ルーダは思わず半眼になった。
沈黙はただ自分の姿をまじまじと見る為に作られたものだったらしい。
カリャーナはテーブルの上に両肘を立てて、皺だらけの両手の指を組む。
「金色の髪がすっかり茶色になっちまってねぇ、いやいや勿体ない。目の色も濁っちゃいないが、あの鳶色が消えちまうとは……」
「何が言いたいんですか?」
「あんたらしくないねぇ。どんなヘマやらかしたんだい? あたしに縋るほど」
少しだけ顎を持ち上げたことでフードの裾が微かに揺れた。ルーダはフードの奥に秘められたカリャーナの鋭い灰色の瞳が垣間見えた気がして、知らず唇の先を強く噛んで俯く。
「あたしゃぁ、あんたの力にはなれないって前にも言ってなかったかい?」
言葉は突き放しているが、口調はどこまでも穏やかだった。だからこそ、その穏やかさにルーダは居たたまれなくなる。一瞬にして言い訳が幾つも脳裏に浮かんだが、緩く首を横に振って浮かんだ考えを振り落とした。
「その、王都にいる知人の頼みで西の砂漠に向かったんですけど……」
ちらり、と気遣わしげにチェリアを見遣るルーダをカリャーナは無言で話の先を催促した。チェリアはきょろきょろとたいした物が無いというのに辺りに視線を彷徨わせている。話を聞いているようにはとても見えなかった。
「風竜の聖域に踏み込んでしまったらしく。呪いを受けてしまったんです」
一瞬にして髪の色も目の色も、体も、力の属性も変えるほどの力強い呪い。
それ以上の呪いの干渉を防ごうと本能の力が働いた結果、反発力が生まれてこんな山の中に突然飛ばされてしまった。
チェリアに話せないことは伏せたもののカリャーナには全て伝わるだろう。
目配せした視線の先で老女が静かに頷くのを見たルーダは安堵の息を吐いた。
「そのせいで、ここら一帯に嵐が出現して、多大な被害を与えてしまいました」
「ああ、道理で騒がしかったわけだねぇ……で、飛ばされた場所があたしの家に近かったから頼りに来たと?」
「力が貸せないと言われるのを覚悟で来ました」
カリャーナが席を立つ。のろのろと頼り無げに戸棚へと向かった。
「言うてみな」
話くらいは聞こう。
呪いを受けて飛ばされた。ただそれだけならルーダはカリャーナの元には来なかった。来訪を決めた理由くらいは聞いてやるとカリャーナはルーダの発言を許した。
棚からポットと茶葉の入った袋を取り出して席に戻る、そんな老婆にルーダは敬意を込めて深く深く頭を下げた。
「その途中で情けなくも体力が尽きてしまって、それで休んでいたら彼女に出会いました」
再び話し始めたルーダに促されたように老婆は顎を引き、忙しなくそんなに見る物があるのだろうかと首を傾げたくなるほど辺りを見回している少女を見遣った。
服と化粧で着飾れた娘。
「人柱だぁねぇ」
辺境に残された風習。
「はい。彼女の村はギレン山の麓にあるそうです。ご存じですがこの地方の気候は『嵐』と縁遠いです。村人達は慌てふためき思案した結果、彼女を人柱として山に捧げる事で二度と嵐に襲われないようにと考えたのだと聞きました」
老婆はポットからテーブルの上に置かれた三つのカップにお茶を注ぐ。
なんとも手慣れた手付きだが、持つべき疑問はどこからお湯とカップが出てきたのだろうかという所だろう。
漂い始めた紅茶の芳しい香りにチェリアの視線がテーブルの上のカップに注がれる。
「ふぅん。まぁ、嵐の脅威は去ったも同じだね」
「一時的なものですからね」
彼をこの山に飛ばす為に作られたようなものだから。
手招きして少女を席につかせたカリャーナはカップをチェリアの前に置いた。
常識から逸脱した光景に慣れ始めたのか、調子を狂わされ続けたせいなのか、チェリアは素直に貰ったカップに口を付けた。
ルーダは人心地つく少女を見守ってから自嘲した。
「人柱なんていう物は元から必要無かったんですよ」
「いや? 必要だったかもしれないよ」
きっぱりと否定されてルーダは顔を上げる。
目の前にカップを差し出すカリャーナがいた。
「風竜の聖域に踏み込んで、飛ばされたんだろ?」
聞かれて、彼は小さく頭を上下させる。
「普通ならね。いや、この場合普通というかどうか迷うけど、どんな気紛れを起こしても風竜がこんな山の中に飛ばすわけがないんだよ」
「どう、いうことですか?」
聞き返したルーダにカリャーナは、こりゃだめだね、と肩を竦めて見せる。ぐいっとカップを彼の前に突き出す。
「ッあの、どういう?」
カップを受け取り、慌ててルーダは聞き返した。
今、聞かなければいけないような気がしたから。
「わからないかい?」
確認の口調。
ルーダは情けない面持ちで小さく、しかし、しっかりと頷いた。
本当にわからないルーダは、嘆息するカリャーナにびくりと反応する。
「相変わらず察しが悪い。厄介だねぇ、あんたの悪い所だよ。お直し」
諦めの濃い溜息を吐きながら緩く首を左右に振る。
「考えなくてもわかることだよルーダ。あんたの前には誰が居る?」
皺だらけの細い手で自分の胸を指差す女性に、ルーダは一度目を瞬かせる。それはヒントを貰ってようやっと答えに行き着き驚いた人がみせる瞬きであった。
「あたしがいるからだよ。これでもまだわからないっていうんならとっとと帰りな」
老婆の口調は辛辣なものに取って変わっていた。
ルーダはというと軽く茶色の瞳を見開いて放心しかけてさえいる。答えは簡単にそこにあったというのに気づかなかった自分にショックを受けているのか、老婆に答える声は聞こえない。
むしろ聞こえたのは、落ち葉の上に陶器が落ちた鈍い音だった。
足元で無事なままのカップと飛び散った紅茶が落ち葉の中へと吸い込まれている。
「大丈夫かい?」
カップの存在すら忘れたほどの衝撃を受けたらしいルーダに、フードの裾を指先で持ち上げたカリャーナはその白濁した灰色の瞳をまんまるにさせる。
「ルーダ?」
物音でチェリアもやっと声を取り戻す。
二人の声に、危うく意識さえ手放そうとしたルーダは、重心を失い始めた体に慌てた。
「そ、そうでした。カリャーナさんですよね。他の方ならいざ知らず俺みたいな者をこんな地に飛ばすわけがないですね――すると?」
醜態を曝した照れ隠しに早口で捲し立てたられたルーダにカリャーナはやれやれと両肩を竦めた。
「それは、今夜考えるんだね、じっくりと。あたしが言わないでもわかってるんだしねぇ……。さぁさ、今日はここにお泊まり。もう日が落ちてきたからねぇ」
言葉に二人は申し訳程度の大きさしかない窓の外に視線を走らせた。
同時に唖然となる。
落ちてきたからねぇ、どころかどっぷりと日は落ち切っていたからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます