異国の少年と激情の娘【06】
「あれ? 眠れないんですか?」
月明かりの下、倒れた大木に腰掛けていたルーダは足音に顔だけ振り返った。
カリャーナの家の中に人三人が寝る広さは無い。
だからといって老婆や少女を外で寝かせるわけにはいかないのでルーダは自主的に外で眠ることにした。
幸い外は星が夜空にまんべんなく散っているので雨の心配は無いだろう。
掛けられた声に、チェリアは腰の後ろで両の指を組み合わせる。
「あんたも起きてるじゃない」
言われて、ルーダはきょとんとしてから小さな笑い声を立てた。
「言われてみたらそうですね。 ……で、落ち葉のベットの居心地はどうですか?」
「床に雑魚寝だとわ思わなかったわ。 ……悪くは無かったわよ? ふわふわしてたし」
意外だったと感想を漏らすチェリアにルーダは頷いた。
「ああいう生活を長く送っているとベットなんて必要ない気がするって本人は言ってるんです。単にシーツの取り替えが面倒だというのが本音らしいですけど」
山は――森は少女が知っている森よりもずっとずっと静かだった。
虫の音は無く、あるのは風に揺れてできる梢の旋律のみ。風はチェリアの薄茶色の髪を微かに揺らす。
「ねぇ、ルーダ。あのカリャーナさんだっけ? 知り合いなの?」
ルーダの隣に腰掛けて疑問を投げかけるチェリア。
座っている向きが違うので傍から見れば背中合わせのように見える。
ルーダは小さく頷いた。
「ええ、知ってます。昔からの知り合い……というより、俺が生まれる前から俺の事を知っている方ですね」
「うん? どんな人なの? あたしから見ればとってもとぉっても不思議な人なんだけど」
彼女なりに言葉を選んだらしい。
彼は苦笑した。
「何て言えばわかりますかね。 ……カリャーナさんは賢者なんですよ」
「賢者? 物語の?」
首を傾げる彼女にルーダは笑いながら眉間に皺を寄せる。
「そこまで大げさではありませんよ。知恵袋おばあちゃん。と言えばわかりますか?」
「なんとなく」
「そんな感じです」
ふぅんと鼻を鳴らしたチェリアは、ぴっとルーダに向けて人差し指を立てた。
「ねぇねぇ、風竜の呪いってなぁに?」
言葉に引き寄せられて視線を流した先に、好奇心で煌めいている少女の瞳と出会った。純粋なる輝きにルーダは「うっ」と気圧される。
片頬を引きつらせ、声を詰まらせた彼にチェリアはむっと頬を膨らませた。
「な、ぁ、に?」
語調が強い。
少年は一度空を見仰いでから肩を竦めた。少女に一瞥を流す。
「聞いていたんですか?」
「隠す気はなかったんでしょ? あんたが原因だったみたいだし」
「そうなんですけどね」
さて、どこから話そうか。
両指を意味もなく絡んではほどき俯き加減で言葉を探しているルーダの横顔はどこか儚い印象をチェリアに抱かせた。自然と巨木の根本で穏やかな寝息を立てていた少年の姿を思い出す。
ルーダは獣の気配が充満するのに風に鳴る梢の音しか聞こえなかったなかで、たった一本の樹木に全てを委ねて安らかに眠っていた少年。彼がそこにいるのが当たり前な光景に今にも切れそうだった緊張の糸が一気に緩んだのを覚えている。
思わず泣きそうになったので慌てて彼の頭をこづいて誤魔化した。戸惑いで何をすればいいのかもわからなかった。
結局できたのは八つ当たり紛いのことくらいで。
チェリアはあれだけの安堵感を今まで経験したことがなかった。
彼女は、その時初めて人柱に選ばれて、自覚していた以上に精神がまいっていたことを知ったのだ。
彼はずっと両手を組んでは開き組んでは開き、を繰り返している。言いあぐねいているのがはっきりとわかった。
賭けにでようと、彼女は下唇を噛み締める。
確認したいことがあるのにその機会をことごとく見逃していて、焦りさえしていた。
小さく息を吸う。体を少しだけ彼の方に向けた。
「ねぇ、リーガルーダ」
「なんです?」
小さな呼び声にルーダは顔を俯かせたまま応えて、半瞬後、弾けるように立ち上がった。
衣擦れの音と、動いた空気がチェリアの頬を撫でていく。
いきなり立ち上がった少年を見上げると、その顔は驚愕に引きつっていた。
切羽詰まっていて、一言でいうのなら「非常にやばい」と言いたげな顔だった。
「賭に勝った」
「なんの賭ですか」
思わず半眼になる彼を見上げて、チェリアはにんまりと至極ご機嫌な笑みを顔中に広げる。
「だって、リ、で止めてルーダって言い直すんだもの。気になるじゃない、人として」
「言い直したって事は知られたくなかったことなんだなって思って普通はそれに触れないようにするものじゃないんですか?」
諦め混じりに聞く彼に、少女は輝んばかりにの笑顔を振りまき、
「だって気になるんだもの」
繰り返した。
ルーダは肺に残っていた残り僅かな息を全て吐き出す。
引き際を見分けなければ大変な目に遭うということをこの少女は知っているのだろうか。
前髪を掻き上げて気を取り直す。
正体を知られるのも時間の問題だろう。なら向こうが見破る前に明かしてしまおう。ルーダはそう腹を決めた。この場は開き直った者勝ちだ。
「まず、俺の名前を君は知りました。他に何が知りたいですか?」
小さな、ともすれば聞き逃してしまうほど小さな声にチェリアは咄嗟に首を上下に振った。
「勿論――」
「最初に言っておきますが君の描く理想像からはかなりかけ離れてますよ、俺は」
ぱっと少女の顔が輝いた。
「じゃぁ、じゃぁ……」
期待の眼差しに、心底嫌そうな顔でルーダは頷いた。
「王都セレンシアの守護竜――陸竜リーガルーダです。 ……君の言うところの縁起のいい存在ですよ」
――王都セレンシアの守護竜リーガルーダの名前を親に貰ったなんて随分縁起がいいじゃない。
チェリアの脳裏に自分の台詞がよみがえった。
彼の言葉よりも表情にチェリアは溢れさせていた好奇心の輝きを薄水色の双眸から消す。
心底嫌悪をあらわにする彼の顔は、とてつもなく彼に似合わない表情としてチェリアの目に映った。
「嫌、なの? 自分が嫌いなの?」
早口に捲し立てる彼女を見下ろして、ルーダは前髪を掻き上げて頭の後ろに向かって指を滑らせる。
「ええ、嫌いですね」
茶色の瞳の奥底で、昼間少女が垣間見た、人間では持ち得ない黄色い炎が小さく揺れ爆ぜた。
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