21話「それぞれの目的」

「さて、しるし君が正式にメンバーとなって1回目の会議だ。おおよその状況を知っているとはいえ、改めて現状の再確認から行こうか、数元かずもと君」


眼鏡の真ん中を中指で押し上げてから、「ああ」っとノートパソコンを叩いた。

同時に彼の隣に吊るされたスクリーンに、プレゼン資料が浮かび上がる。


「まずは知りえている情報だが、現在捜索中のターゲットは、女性で年16歳から20歳の間。住まいは札幌市内だが、この条件に該当する人数は約48000人といったところだ」


説明に合わせてスクリーンが動き始める。その動作に滞りはない。それもそうだろう、本職はビジネスマンだ。


「加えて時間という世界だけでは出自を追うのも困難を極める。そこで記優香しるしゆうか


話を一旦区切った数本かずもとは手元に置いていた分厚いファイルを持ち上げ、「貴方には彼女の記録を辿って欲しい」っと彼女の目の前に置いた。

ファイルの重さで、机がドンっと鈍い音を立てた。


「……これは?」


そう尋ねる優香ゆうかの表情は苦かった。


「48000人分の名簿だ」

「まさか、これ全部ですか?」

「当然だ。いくら時間の覚醒者とは言え、メモ帳やスケジュール帳、あるいはノートや日記など使用している可能性が高い。名簿にある名前を対象に本の世界を使用し、時間の覚醒者と思われる人物を絞り込んでくれ」


苦々しい顔をするばかりで、彼女から返る言葉はない。


「同時に我々は別の切り口で操作を進める」

「待って下さい、時間の覚醒者は何かしらの方法で未来を知っているはずです。いずれ私たちが彼女に出会う未来があるなら、それも既に知りえているはずでしょう」

「だからなんだと?」

「わかりませんか? それはつまり私たちが彼女を捜索していることも分かっているはずなんです。そしてその上で我々へのコンタクトがないということは──」

「意図的に姿を隠しているということだね」


割って入った真壁まかべに、「その通りです」っと返して優香ゆうかはファイルを遠ざける。


「であれば、記録を当たったところで時間の世界の覚醒者である証拠を残しているとは考えにくい。そもそもの話なのですが、りつさんの世界で絞り込んだのは住んでいる地域ですよね? 住民登録をしているのは別の地域という可能性もあります」

「もっと言えば、ミスリードを誘われる可能性すらありえるだろうね」

「……ふむ。確かにその通りだろう。だが、それでは話が進展しないというのもまた事実」


真剣に議論する三人の傍ら、率の意識は既になく、十亀とがめ美音みおんも既に別の雑談に花を咲かせていた。

それでも議論の終着点はまだ先の先。


「記君、君ならこの状況、どう動くのが得策だと考えるのかな?」

「そうですね……」


数秒考えた後、はっとする。

そもそもこの議論をするのなら、その前に一つ、解明しなければならないことがあるはずだ。と。


「それよりもまず、私たちには見落としがあるかもしれません」

「ほぉ、なんのことかな?」

「この『未来を選ぶ会』の他に、もう一つ、自力で私を特定した団体がありました」

「ああ、彼らか。彼らについての情報はあるかい?」


優香は頷いて、知りえている情報を話した。

メンバーの名前と世界、彼らと行ったやり取り、そのすべてについて。


「以上を踏まえても、彼らでは私を特定できるとは到底思えないんです」

「だが同時に、時間の世界の覚醒者との繋がりも薄いように思える。仮に繋がっていたとするなら、矛盾する点があまりに多い。二楷堂ことはの件で事務所オーナーの暴露を予期していなかったこと、返済のためにアカシックレコードを欲したこと、そして僕らがそれを奪えたこと、それらどれにも説明が付かないだろう」

「直接的な関係は気づいていない……? ならなぜ私を特定できたのでしょうか?」


その問いに明確な回答を示せるはずもなく、誰も、何も言葉を発しなかった。

現存する覚醒者の中でそれを可能にする世界にも、当然心当たりはない。

そう思っていた優香の思考が、そこで止まった。


「あの、真壁さん」

「なにかな」

「神様の世界。私はその世界を直接見たことはないのですが、その世界を利用できたとするなら、私を特定できると思いますか?」

「確かなことは言えない。だが誰に教えたこともない、君の心の内を暴き出した世界だ。できないと思う方が不自然だろうね」


そして真壁はこう付け足す、「それに神居真奈美かみいまなみ一色香織いっしきかおりには接点があった」っと。


「それは確かですか?」

「いいや、ただ僕も『天の声』とは長い付き合いだ。神成の儀が何をする儀式なのかくらいは知っているさ。彼らと君が接点を持てた時点で、あの日あの時神宮までアカシックレコードを奪い返しに来る必要なんてなかったはず。かなで君とのやりとりを思い返しても、そう断言できるだけの材料になりえるだろう」

「だとするとわかりませんね、なぜあのタイミングで神の世界が情報提供を行うのでしょうか? 儀式の障害となるのはわかりきっていますよね?」

「あるいは時間の世界が君に関する情報だけをリークした。その目的に関しては、不明だがね」


瞬間、不自然な間が空いて、真壁と優香。二人の視線が合った。


「──数本君、どうやら今回のフィールドワークは、そう大変でもなさそうだ」


紅茶に口を付ける真壁の横で、「やっとまとまった? でウチは何すればいいわけ?」っと美音が身体を伸ばす。


「二手に分かれましょう」

「同感だ。僕は弐識君、数本君と共に一色香織派閥の周辺を洗うことにしよう。彼女がもし、神の世界から情報を得ていたのであれば、彼女の周囲は何も変わっていないはずだ」

「では、率さんと十亀さんは私の補助をお願いできますか? 引き続き時間の世界の覚醒者特定作業を行います」

「ま、待って優香ちゃん! 俺全然シナリオ回収できてないっす。今の流れでどうしてそうなるんすか? パズルゲームとか、自分苦手分野なんっすけど!」

「安心してください、十亀さん」


十亀をなだめながら、優香はカップを口へと運ぶ。


「方向性はわかりましたから」


それはつまり、先のやり取りだけで二人の議論は煮詰まったということ。

であればそこに、それ以上の言葉は必要ない。


「方向性?」

「かの有名な心理学者アドラー曰く、人の行動は目的を伴います。仮に私の情報のみリークしていたと仮定するなら致命的です、ゴールまであと一歩といったところでしょう」

「す、すげぇー何言ってるかマジでわっかんねぇー」

「そう難しく考えることでもないさ。記君のおかげでわからないことが分かった。そしてそれが分かればあとは、それを知るために行動する。それだけの事」

「結論だけにしますが、真壁さん方には香織かおりさん派閥に、時間の世界との繋がりがあるかどうかを探ってもらい、その間我々は時間の世界の行動からその目的を割り出すということです」

「ん? やることはわかりましたけど、実際のところ俺、何したらいいんっすかね?」

「ひとまず動きましょう。私について来てください」


優香が部屋をあとにしたところで、「僕たちも向かうとしよう」っと真壁と美音も部屋を出る。

会話をそうそうに各々が動き出しその場をあとにする中、率だけは一人、机に突っ伏したまま動くことはなかった。




   ✳︎   ✳︎   ✳︎




「どう? 香織かおり、なにかアイディアは浮かんだかしら?」


紫苑しおんのノートを一通り読み終えたところで、尋ねられた。

まだ読み終えたばっかだから。

それにしても、なにか引っかかる。紫苑が来てからだろうか、ずっとなにか違和感があって、いつまでも払拭できずにいる。


「一つ訊いていい?」

「何かしら」

「この日記、やっぱり最後は真壁に捕まってるよね? それなのにどうして私たちのところに来たの?」


日記を読んで、真壁択真まかべたくま派閥の構成についてはおおよそわかった。

相手側には紫苑の情報なんてほとんどないだろうけれど、手元にはこのノートがある。これが記優香しるしゆうかに見つかればもう、言い逃れる方法などないだろう。

そのリスクを負ってまで作成したノートでさえ、状況を打開することができていないのに、私にどうしろというのか。


「そうね、三日後には見つかって一週間とせず、世界は公のものとなる。理由なんてひどく端的なのだけれど、言うなら悪あがきかしら」

「悪あがきに巻き込まないでよ……」


要は、日記に世界を使って未来を知り、考えが変わった紫苑が再度日記に世界を使うことで未来が変わる。それを何度となく繰り返した結果、それでも真壁に捕まるというシナリオを変えることができず、今に至ったというのだろう。

何回やっても変わらない未来を変えてくれと、紫苑はそう言っているのだ。やっぱり未来を知れる人が持ち込んでくる問題は厄介この上ない。


「まぁ、そういうなよ。つまるところ、これが最後のチャンスってわけで、可能性が0ってことでもねぇーんだろうし」

「じゃあちなみに聞くと、ノートに世界を使って未来を知って、またノートに世界を使う。この繰り返しはどのくらいの時間がかかるの?」

「1回辺り3分といったところかしら、試行回数は27681回。今年5月に覚醒して毎日何度も繰り返して。もう疲れたのよ」


なにどさくさに紛れて、胡桃くるみに膝枕してもらってるのさ。

胡桃も胡桃で、「頑張った」って頭撫でてるし。


「いや、3分ならまだ試せるでしょ」

「香織は労ってくれないのね」


私から言えることなんて一つだ。


「どんまい、来世では幸せになれるといいね」

「勝手に諦めないでくれるかしら?」

「そうは言っても真面目な話、27000回やって変わらない結末をどう変えろっていうのさ?」

「それがわかったらここまで来てないわ」


気だるげに体を起こした紫苑は、真夏の太陽が照りつける中、ホットコーヒーに手を付ける。

この気温の中よく飲めるな。


「そうはいっても始まらねぇーんだし、まずは現状を整理してみよーぜ」


こんな時でも兼継かねつぐは、やっぱり前を向いていた。

手元にあった優香との交換日記を放り投げながら、「胡桃、ホワイトボードを頼む」って立ち上がる。

ノートをキャッチし何枚かちぎった胡桃は、わずか数秒で足にキャスターが付いたホワイトボードを作ってみせた。


「今までの話を総合すると紫苑、お前の依頼としては真壁択真と出会う未来を変えて欲しいってことだな」


ホワイトボードに書き進めながら、兼継は尋ねた。


「ええ」

「そんで、俺らはアイツが世界を公にするという未来を阻止したい」

「てかさ、あの万引き犯はなんで紫苑を誘拐したいわけ?」

「順当に考えるなら、世界を公にしたあと有利に立ち回れるようにしたんじゃないかな。紫苑ちゃんの世界はそれを何度もシミュレーションできるわけだし」

「じゃ、紫苑が捕まらねぇ限りは世界が公にされることもないってことか」


言ってる兼継かねつぐだってきっとわかってる。

真壁から逃げ続けるだけじゃ、問題の先延ばしににかならないって。


「けれど彼女のノートによればそれも持って3日、ここもそう遠からず見つかってしまうのでしょうね」

「その前には僕達も何かしらの手は打たないといけないわけだね」

「闘う?」

「いいわね、いっそ息の音を止めれば問題は根本的に解決するわ」


妙案みたいに言い出したけど、みんな私に視線を向けるだけで何も言わなかった。

え、なに? これ私が悪いの?


「……紫苑、それって冗談?」


私の問いかけに、「暗殺でもない限りはそもそもれないわ」だって。

多少やる気を感じられるのは気のせいであって欲しい。いくら世界の命運を分けるとはいえ、人殺しはごめんだ。


「選択の世界だね」

「相手の選択を書き換えられるって勝ち目なくない?」


日記を読んだところ、最終的に紫苑は真壁と相対し、真壁にこう問われる。


僕に力を貸してくれないか。と。


その問いに否定してしまえば彼の世界で肯定する選択に書き換えられ、否定しなければもとより肯定していることになる。

彼の問いに、「はい」以外の選択はできないということだ。

その上、暴力も無効。

なんでも、仮に殴ろうとした場合、殴るという選択肢をとったことになり、それさえも殴らない選択に書き換えることができるときた。


「つまりそいつをかいくぐるためには、紫苑を真壁に会わせない。そんで真壁を殺すことなく世界を公にされることのない状況にするってことだ」


結論っと題打ってまるで囲まれたそれを例えるならまさに、絵に描いた餅。


「んで、こっからはお前の出番なわけだが、どうだ? いけると思うか?」

「まぁ、そうなるよね……」


これを実現するには前提が条件が厳しい。

真壁がなぜ世界を公にしたいのか知ること、そしてそれは別の方法で叶えられる願いであること。

要はもう、説得以外の道がないということであり、その結果前提から外れるようなら、私たちは選ばされることになる。

紫苑か、世界か。


「できる限りはやってみるけど、可能性は本当に低い」

「確率は?」

「それ訊く? 27000回やって0回ならその時点ですでに0.003%」


でも0じゃない。なんて言葉で前を向けるほど、私は能天気じゃないつもりだ。

おそらくもう答えは出てる。真壁の目的は、私たちが代行できるものではないのだろう。

誰も何も言えなくしてしまったみたいだ。


「ねぇ香織」

「なに?」

「もし仮に、5000兆円あげるから私を助けてって言ったら、なんとかできる?」

「ま、まぁ」


お金がいくらでもあるなら、きっと今すぐこの国を出る。

そうすれば真壁が追ってくるまでの時間が稼げるし、追ってきたとしてもノートでことが起きるその前にまた、別の国に逃げることもできるだろう。

それを寿命尽きるその日まで繰り返す。きっと騒がしいけれど、退屈な日々にはならないだろうな。


「じゃあ私の日記に、5000兆円受けっとたら香織がその日の内に死ぬと書かれていたとするわ。それでも私を助けてくれる?」

「ごめん、助けないかも」

「いいわ、それで。だってそうでしょ? 5000兆円もらったところで生きていないのなら、意味ないもの」


結局、何が言いたいのって思ってしまった。


「それってつまり、香織の明日は5000兆円よりも価値があるってこと。どうかしら? それがあと3日もあるの、どうにかなりそうな気がしてこない?」


正直ちょっと、おぉーって思ってしまった。


「だから、香織。一緒に考えましょ? その方法を」

「うん、まずは真壁が何をしたいかなんだけど──」


泥沼の道を、私たちは歩き出した。

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