みまわり

@offonline

 子供のころ、雑踏を押し潰す大人の群れを漫然と眺めていたような気がする。その群れに今は参加している。

 あの頃は何を思っていたのだろうか。

 将来、何になりたいと学校で発表したのか。今では脳みそに残っているのかすら怪しい。

 理想の自分を描いていたのだろうか。

 明るい未来をただただ無邪気に待ちわびていたに違いない。

 小馬木は草臥れた中年であるという自覚を背負いこんで、代わり映えのない世界を生きていた。

 日が昇る前にマンションを出て、サラリーマンとして活動した。日が暮れると帰路に立った。

 もう何年続けているのか。脳みそにデータがない。

 考える力の萎縮に小馬木は酒をやめる。という宣言だけをしては晩酌を楽しみにした。

 ひたすらに仕事で時間を潰す日々を送っていた。

 スーパーで総菜を買い、夕食を確保する。おそらく半額を狙うサラリーマンという認知が広まっているだろう視線を覚える。羞恥はもはや何の役にも立たない。

 染みのついたエコバッグを片手に、雑踏の中を歩いていると個々の群れが減っていく。

 自分の住処が近づく。自分だけが街灯を頼りに歩いているだけになった。

 孤独を抱擁するように、家族の熱が光となってコンクリートやアスファルトを照らす。

 その夜に気づかれないよう息を殺して進んでいく。そうして、いつもと同じようにマンションに入り込み、警備員に頭を下げた。警備員は胡乱な顔を向けるばかりだった。

 小馬木はいつから警備員が仕事をしているのか知らなかった。

 マンション経営に関する知識はない。小馬木はあの警備員がバイトなのか正規なのか少しだけ興味を持ったが、問いかける元気はなかった。

 薄暗い廊下の詰まりにある古臭いエレベーターに搭乗して三階に滑り込む。すると一人の少年が入違いざまにエレベーターへと吸い込まれていった。

 見たことのない少年だった。引っ越してきたのだろうかと首を捻った。もとからの住人ではないという自信がある。あれほどの美麗を忘れるほど世間に疲れているわけではないと思っていた。

 今日一番の幸運だと胸中で喜びをかみしめた。その日の晩酌は美味かった。

 初めこそ、喜色を抱くほどの美しさに高揚を得たものだけれど、それが毎日となっては異変であって不安に苛まれた。

 二〇時を過ぎた頃合いに、それは見計らって出没するといってもいいほどである。その少年は小馬木に対して微笑を浮かべ、目線をくべるのであった。

 その所作が手馴れているものだから、余計に恐ろしいと思った。たまらずに小馬木は警備員に相談をした。白髪の薄毛を持つシルバーな人材の警備員は怪訝な顔をして、そんな少年は見ていないといった。

 予想されていた回答ゆえに動揺は小さかった。そこで、警備員にオカルトを信じるのかと問えば、変質者を見るようにねめつけてくる。

 これで小馬木はしたり顔を隠すように顔を固くした。

 現世に繋がりを持ったのだから、何かあっても小馬木という人物の情報が残るのだという安心を得た。しかし、奇妙なことにそのやりとりを終えた際、少年が小馬木の後ろを通り過ぎていった。

 小馬木は警備員に話を振った。その少年が今しがた後ろを通ったのだと。

 回答を得る前に、警備員が蒼白となってるのを確認した。幽鬼となったそれは、外を見やるように警備室から身を乗り出した。

 小馬木は後ろに下がった。すると警備員は鯉のように口を開けると倒れてしまった。警備員は死んでしまったのだと思った。

 小馬木は淡々と目線を動かした。決めつけていた。視野に収まるという確信が不思議とあった。

 少年は外で小馬木を見つめていた。小馬木はおもむろにお辞儀をすると少年は消えていった。その行為が正しいことであると小馬木は思った。理由は知らない。ただ、それきりに日常が戻った。

 小馬木は自室で、漫然と一夜を明かした。

 次の日には、警備員があいさつをしてきた。狸のような警備員だった。大声だから無視することもできずに、おはようございます。と返した。

 不変が一つ減った。

 マンションで少年を見かけることはなくなった。つまりは、別のところで少年を認めた。

 スーパーで買い物をしていると、あの少年を見かけた。

 少年は何やら嬉しそうに微笑んで、それから何か、言葉を発しようとしたのか。しかし、どうにも戸惑っているように口をとがらせ、眉をひそめた。けれども首を振り、手を振って、陳列棚の奥に引っ込んでしまった。

 小馬木は物は試しと足早に少年のいたところへ移動したものの、やはり影を掴むことはできなかった。その不審な行動に警戒心を抱く目線を浴びただけだった。

 おとなしく小馬木はいつもの日常を続けることにした。

 今日も少年は微笑む。それだけだった。それは小馬木が病床につき死ぬまで続いた。

 身体はどういうわけかガタが来ていた。仕事ばかりが人生を押し潰していた。味気ない命だと小馬木は思った。けれども立ち行かないのだから仕方がない。幸いなことに看取られて死ぬことはできるようだった。

 それは美しい思い出に浸るようなもので、もはや現実味がなかった。

 最後に小馬木は少年と会話をする機会に恵まれた。何か語った気がする。小馬木はもう覚えていない。

 小馬木は最後まで、少年を美しいと思ったが、どう美しいのか表現することはできなかった。

 少年と表現する姿があったはずだが、小馬木はそれがどういったパーツで構成されているのか言葉にすることも、脳内で組み立てることもできなかった。

 ただ遠い昔、あのような少年を見たことがあるという確信を得ていた。

 あれは小馬木が頭の中で思い描いた理想の自分に、ひどく似ていた。

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