第63話 開眼

「落ち着いたか?」


「ズッ……。ごめん……」


 私が知美を裏切っていないと分かって安心したのか、知美は感極まって泣いてしまった。

 そのお陰で私のついた悪態が掻き消えたのは良かったが、しがみついて泣いてくるので、どうすればいいのか分からなくなった。

 結構な時間のあいだ背中を適当に叩いていたが、ようやく知美が落ち着いてくれたので安心する。


「全く、お前は本当に面倒な奴だな」


 しがみついてくる知美の力が緩んだので、手を肩に移動させて体を離す。知美の温もりが無くなったことに、不覚にも寂しさを覚えてしまう。だが、そんなことを考えてしまう自分を誤魔化すために、つい面倒だと口走る。


「スン。ごめんね。けど、こんなこと出来るの、美里ちゃんだけだから……」


 鼻をすすりながら少し俯いて言う知美に、不覚にもときめいてしまう。

 だが、能力が発動して以来常に知美と繋がっていた時間のきつさを思い出して、雑念を追い払う。


 ここでこいつを振り払わなければ、一生付きまとわれる。


 邪魔になったら消せば良い。そう思っていた。だが、認めよう。

 私は知美のことを憎からず思い始めている。

 能力が発動してから知美の不安や喜びを共有し続けて、それが自分の一部になってしまった。

 それに知美の精神世界をのぞいて余計に情が移ってしまった。

 周囲が歩み寄ろうとしていることは理解しつつも、やはり受け入れることができないという面倒くささ。そして、この世界で大きな像ができる程に私の存在が大きくなっていたという事実。しばらく前の私なら甘えるなと拒絶していただろうが、どういう訳かそれが微笑ましく思えてくる。

 もちろん知美に縛られるのはごめんだ。しかし、認めるのは癪だが、知美を始末することに抵抗を覚えてしまうことも事実。そんな自分を受け入れられなくて躍起になって否定するのは馬鹿げている。

 仕方がないから、アケミを手伝うことに決める。

 こいつの負荷を私以外にも分散させる。アケミの思惑に乗ることには腹が立つが、目をつむる。


「美里ちゃん?」


 不安そうに震える知美の声で思考から引きずり上げられる。


「悪い。色々考えてた」


「むぅ」


 適当にあしらおうとすると、知美が不満げに小さく唸る。


「今、美里ちゃんは私の前にいるんだから、私のことだけ考えててよ……」


「私は忙しいからな。お前だけに構っている余裕はないんだ」


 ここでこいつと一線を引かなければずるずると寄りかかられる。直感的にそう悟ってしまった。これからの判断一つでこの先の未来が大きく左右されるのだ。余裕はない。


「……そっか」


 知美が寂し気に呟いて俯きかけるが、思いとどまったようで、顔を上げる。


「でも、いいよ。分かってるから。美里ちゃんがつれない人だって分かってて寄りかかってるから、良いの」


 知美の言葉に狂信者じみた熱がこもり始めて、背筋がぞくりとする。


 やばい。早く止めなければ。なおも続きそうだった知美の言葉を無理やり遮る。


「ふん。お前は見る目が無いな」


「そんなこと無い。なんだかんだ言いつつも、今だってこの世界で私と向き合ってくれてる。あなたは私のことを見捨てられない。それが分かったから、決めたの。私の全部、美里ちゃんにあげるって」


 だめだ。強い。どうあがいても私から離れてくれそうにない。

 少し嬉しく感じてしまう自分が居るのも否めないが、そんなもの一時のまやかしだ。強引にでも私以外に目を向けさせる。


「そんなもんいらん。重すぎる」


「ふふ。分かってる。でもね、もう決めたの。だから返品なんてさせない。私が勝手にそうしたくてやってるだけだから、あなたは自分の好きにしていいの。私をどうしたって構わない。美里ちゃんのために何かできてるって、そう思えるだけでね、私、とっても幸せなの」


 陶酔する様な知美の言葉で、ストンと胸に落ちる。

 私がこいつを拒絶できない理由が分かった気がする。


 こいつはきちんと理解しているのだ。

 自分が私のために何かをしたいと思っていること。それが私のためを思っての行為でなく、自分の中の何かを満たすための行為だということ。それを自覚してしまっているのだ。


 倒錯的ともいえるそんな感情を頭では理解しつつもやめることができない。

 考える程に思考の沼に引きずり込まれて、ただただ苦しむ。それから逃れるすべは私に寄りかかるしかない。そうやって私のことを考えている間は幸せで、ほかに何も考えなくて良いから。その甘さは知美の感情が駄々洩れになっていたから、よくわかる。

 しかし、それはただ目を背けて本質的な問題から逃げているだけ。分かっていてもやめられない。


「くくく……」


 分かっていてはいても、やめられない。そうしてあがく知美の様に私はきっと惹かれたのだ。

 知美に対してずっともやもやしていたものが晴れて清々しい気分だ。


「はははは!!」


 晴れやかな気分になって、腹から笑いがこみ上げてくる。


「美里ちゃん……」


 ジーンとした声で知美が私を呼ぶ。

 私がこいつのことを受け入れたのだとか、勝手に都合の良いことを考えているのだろう。

 面倒な奴だ。

 だが、それが面白い。


「お前は考えすぎなんだよ。考える程に周りが見えなくなっているから、余計に質が悪い」


「えっ……」


 軽やかに紡がれる私の言葉を受けて、知美が虚を突かれたような声を漏らす。


「ふっ」


 呆気にとられたような知美の表情が面白くて、つい鼻で笑ってしまう。

 そうして知美の顔を見ていると、その包帯の奥も見てみたいという衝動に駆られる。

 その衝動のままに右手にナイフを出現させ、知美の包帯を撫でるように切り落とす。念じるだけで武器が現れるなんて、精神世界とは便利なものだ。


「あっ……」


 またしても知美が呆然とするが、剥がれ落ちる包帯に気づくと、俊敏な動きで顔を抑える。


「だめ!!」


 俯いて顔を見せまいとする知美に嗜虐心が掻き立てられる。


「お前の顔をしっかり見たいんだよ」


「だめ……。こんな傷、見られたくない……」


 知美の声は弱々しくて、それが一層私を掻き立てる。


「お前は私のためになんだってしたいんだろ? 私が見たいと思ったんだ。頼む」


「……でも、こんな汚いの、見せられない」


 強情な奴め。


「頼む。お前の全部を見せてくれ」


「っ!?」


 知美が息を呑んで肩をびくりとさせる。だが、しばらくすると緊張していた体から力が抜けていく。


「……うん」


 やがて弱々しく頷くと、手が下ろされる。


「ふん」


 知美の頬に手を添えて、俯いていた顔を上げさせる。

 そこにあったのは二本のひっかき傷。顔の端から端まで抉るように刻まれた傷跡は痛々しい。不自然にぼこぼこした白い皮膚の中に瞼が埋まっている。


「ひどい傷だな」


「!?」


 知美が体をビクッと震わせて、わなわなと口を開きかける。


「だが、これが今の知美を形作ったと思うと何だか感慨深いもんだ」


 頬に置いた手を傷跡に移動させて、そっと撫でる。

 隆起した白い皮膚はすべすべで、なんだか心地良い。


「……気持ち悪くない?」


「ふん」


 不安げに問いかける知美を鼻であしらう。


「そんなことで今更引いたりするか。馬鹿」


「っ……!」


「まだだ」


 私の言葉で知美が感極まりそうになるのを察して、水を差す。


「目、見せてくれ」


「……でも、何も見えないし」


「ふん」


 なおも渋る知美を鼻で笑う。


「それはお前がそう思い込んでいるだけだ。さっきもそうだったろ?」


「でも……」


「私の顔、見たくないのか?」


「っ……!見たい」


 食い気味で知美が返事して、もぞもぞと顔の位置を調整する。


「ふぅ……」


 やがて丁度良い場所が見つかったのか、息を吐く。


「……いくよ」


「ああ」


 覚悟を決めたような声を上げると、ギュッとつむっていた目が薄目で開かれ、次の瞬間にはパッと見開かれる。

 目が合った瞬間、サッと血流が速くなり、胸がときめく。焦点は定まっていないような虚ろさはあるものの、綺麗な瞳だ。息を吸うのも忘れて、知美の黒くてきれいな瞳に吸い込まれる。

 これまで包帯をした顔しか見たことが無かったせいか、落ち着かない。自分でもよく分からない高揚感が湧いてきて、そのふわふわ感のせいで口角が上がりそうになる。


「ふん。綺麗な目じゃねーか」


 しばし言葉を失っていた自分に気づいて、それを誤魔化すようにぶっきらぼうに言い捨てる。


「ふふふ。すごい……。本当に見える……」


 夢を見ているかのように浮いた声で知美が呟く。

 その声で我に返ったのか、知美がはにかむ。


「っ」


 これまでは口元だけだったが、目じりも柔らかくなって、そんな知美の表情にまたしても鼓動が早くなる。


「美里ちゃん、思ってた通り。難しそうな、でも寂しいような、気を張ってるような、よくわからない顔している。ふふふ。おかし」


 知美が鈴のように軽やかに笑う。


「っ!?」


 その笑いと共に、真っ黒だった世界が閃光に包まれる。辺り一面が白に塗りつぶされて、何も見えなくなった。

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