第64話 希望の光

「これは……」


 突然の閃光に反射的に目をつむり、恐る恐る開けた時、世界は一変していた。

 その様子をしっかりと確かめるために慌てて立ち上がる。


「嘘だろ……」


 思わずそんな言葉が出てしまう程に強烈な景色だった。

 辺り一面、緑であふれていた。

 どこまでも続く足首位の高さの雑草。ところどころに背の高い草がぽつんと混じり、花を咲かせているものもある。風に吹かれて草がさざめき、規則的なようでいて無秩序にうねる様に圧倒される。風と共に波が伝播していくが、同じような動き方のようで、どこか違う。そのちょっとした違いが面白くて、いつまでも眺めていられそうだ。


「!?」


 アーコロジー周辺では想像もつかない景色に心を奪われ、呼吸も忘れてしまう。ハッとして大きく息を吸うと、青臭いにおいにまたしても言葉を失う。

 少しくどいようにも感じられるが、なぜか頭がすっきりする不思議な香り。澄んだ青空のもとで深呼吸すると、自分の存在がちっぽけに感じられて、能力に振り回されていたことすら取るに足らない悩みに思えてくる。


「すごい……」


 下からの声に目を向けると、知美も振り返って同じ景色を見ていた。表情は見えないが、きっとこいつも自然に心を奪われているのだろう。


「そうだな。映像で見た時は何とも思わなかったが、こうして目の当たりにすると飲みこまれてしまいそうだ」


「うん、そうだね。やっぱり美里ちゃんは凄いや」


「は?」


 知美が私を見上げて、話の流れをぶった切る。どうしてそんな話になるんだ。


「誰も受け入れてくれない真っ黒な世界。私はずーっとそこにいて、これからも変わらないんだと思ってた。でも美里ちゃんが来た途端に世界がこんなに綺麗に色づくんだもの。私が今、こんなに晴れやかな気分で居られるのは美里ちゃんのおかげ。やっぱり美里ちゃんは凄いなって」


 ぺたんと座り、喉を無防備にさらけ出してニコニコしながら言う知美にしばし言葉を失う。

 そんな態度からもすべてを預けようとしているのだという知美の在り方が伝わってきて、景色から受けていた感動が冷や水を打ちかけられたようにスッと無くなってしまう。

 気合を入れ直す。間違ってはならない。


「言ったろ。お前は色々考えすぎなんだよ」


「うん。だからね、やっぱ美里ちゃんが居ないと……」


「違う」


 知美が出そうとした結論を遮る。きょとんと見上げてくる知美に、腰を下ろして真正面から向かい合う。


「そうじゃない」


「えっ? 何言ってるの? 美里ちゃんが居ないと……」


「そういうところだよ。すぐに結論に飛びつくな」


「っ!? どうして分かってくれないの……」


 知美が怒ったように息を呑むが、すぐに寂し気な表情になって呟く。

 その様子が痛々しくて、罪悪感が湧いてくるが、その感情から目を逸らす。


「お前は自分で自分の世界を閉じていただけだ。周りの奴ら……隊長やら教官やらはお前のことをずっと気に掛けていた。それを勝手に哀れみだって決めつけて跳ねのけてきたのはお前の思い込みだ」


「違う! そんなこと……」


「本当にそうか?」


 拒絶しようとする知美の言葉を上塗りする。

 最後まで言わせてはならない。外に出てしまった言葉は自分自身を良くも悪くも縛り付けてしまう。


「さっきまではお前の思い込みのせいで私の言葉も届かなかったんだ」


 正確にはこの世界の知美が自分に近づく者に対するあり方を強要していたせいだが。広義でとらえれば思い込みのせいとも言えるだろう。


「隊長たちのことは分かってるだろ。気の良い奴らだよ」


「いや……。違う……」


 呆然自失とした様子で知美が呟く。その顔に手を添えて、俯こうとするのを阻止する。ここで逃がすわけにはいかない。とことん知美に自分自身と向き合わせる。


「何がだ」


「ち、違うの……。イクも教官も心の奥では私のこと……あ、憐れんで……。だから……だから……!!」


 わなわなと口を震わせながら言葉を絞り出す知美の目に涙がたまってくる。

 その様子を見て、先ほどから感じていた罪悪感の原因に気づく。


 知美の目のせいだ。


 これまでは包帯のせいで隠れていたが、それが取り払われた。これまでは主に口元の動きから知美の感情を読み取っていたが、わずかな動きに注目している内に、こいつの感情の動きに対するセンサーのようなものが敏感になったのだろう。

 だが、包帯が無くなった途端に知美の情報量が増えた。しかし、センサーは敏感なままだ。そのせいで知美の感情を過度に受け取ってしまい、影響されていたのだろう。

 それに気づくと同時に自分の中で熱が冷めるのを感じる。同情心が鳴りを潜め、嗜虐心が芽吹く。


「どうしてそんなに否定する? 躍起になって拒絶するのは本当は分かってるからなんだろ?」


 私の言葉に小さく息を呑んだ知美を確認して、一拍だけ間を置いて続ける。


「全部お前の思い込みだ。今もお前の周りにいる奴らは、真剣にお前のことを想っている。それをお前が拒絶したんだ」


「い、いや……」


 私の言葉に、知美が首を振ろうとする。だが、私の手で固定されているから顔を動かすことができない。

 感情が昂って震えている知美を見ると、私の中で何かが満たされる心地良さを感じる。


「でもな。分かるよ」


「え……」


 努めて優しい声色を出すと、知美が縋るように私を見つめる。その目がたまらなく愛おしくて、自然と口角が上がる。


「知美。あんたは色んなものを失った。大事なものだったんだろ。それが無くなるのは辛いもんだ。その辛さを知っているから、周りを遠ざけた。拒絶して、遠ざけて。そうやって大事なものができないようにすれば傷つかない」


「え……ぁ……」


 知美の震えが大きくなって、目にたまっていた涙がポロリとこぼれる。その雫が知美の顔に添えている私の手に当たり、私の手から熱を奪う。その感覚に頭がすこし冷静になって、私もどこか高揚していたことに気づく。だが、それが何だか心地良くて、その昂りで冷静な部分を追い払う。


「本当、知美は馬鹿だな。だけどな、もう分かっただろ。大丈夫だ」


「だい……じょうぶ?」


「ああ」


 私にしがみつくかのように言葉を反復させる知美が可愛い。その感情のままに片手を知美の後頭部に動かしてくしゃりと撫でる。


「私だけじゃない。隊長だって葉月だって、紗枝もいる。ついでに教官もな。あいつらはお前のことを大事に思っているし、簡単にくたばったりしない。だから、大丈夫。お前もあいつらのこと受け入れていいんだ」


「……いいの?」


「言ってるだろ」


 知美の目をしっかりと見据え、一語一語に重みを持たせる。


「お前は難しく考えすぎなんだよ。もっと他の奴らに頼っていいんだ」


「う……」


 一瞬くしゃりと顔を歪めると、知美が感極まったのか、私の胸に飛びついて、抱き着いてくる。


「う、うぅぅぅ……。私……わたし……!」


 静かになく知美の嗚咽を肌で感じて、ほっと胸をなでおろす。


「大丈夫。みんな、お前のことが大好きなんだ。勝手にいなくなったりしないさ」

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