第62話 私を見ろ

「いや……」


 知美の手を私の顔に引き寄せようとするが、知美が力をこめているせいで動かすことができない。


「はぁ」


 びくびくしているところも微笑ましいのだが、少し面倒になってきた。仕方ないので、知美の手に自分の顔を寄せる。


「っ!?」


 知美の指が私の鼻先に触れると、びくりと反応して、手が丸められる。


「どうした? ちゃんと私を見るんだ」


 知美の手に頬を寄せる。かがむと首に負担がかかって辛い。

 どうして知美のためにここまでしなければならないのかという疑問が浮かんでくるが、捨て置く。

 とっととこいつに謝らせる。そのために我慢だ。


「え……?」


 何かに気づいたのか、知美の手から抵抗が無くなり、遠慮がちにぺたぺたと私の顔を触ってくる。


「やめろよ。くすぐったい」


 しっとりした知美の指が、絹ごしに私に触れているかのように柔らかく撫でまわしてくるので、くすぐったくて身をよじる。

 その動きを知美の手が追ってくるので、知美の手に寄せていた顔を起こす。変な体勢をしたせいで疲れた。


「そんな……嘘……」


 知美がもう片方の手も私の頬に伸ばして、愕然とした様子で呟く。その言葉を受けて自然と私の口角が上がる。


「分かっただろう」


「いや……そんな、違う」


 私の頬を包み込む知美の手が小さく震える。それを受けて確信する。この世界で、ようやくこいつは私のことを見た。


「いいや。違わない。さあ、私の名前を言え」


「そんなこと、ない……。だ、だって、美里ちゃんが……」


 私の名前を口に出したところで知美が息を呑む。だが、自分の中では留めることができなかったようで、言葉が口から漏れてくる。


「美里ちゃんが……美里ちゃんがあんなことするはず無い!!」


 弱々しい声が途中で一転して、縋り付くような叫び声に変わる。それに伴って知美の震えが大きくなる。


 ここが正念場だ。知美の認識を捻じ曲げる。


「わ、わた……わたしのこと! あざ笑うなんて!! み、美里ちゃんが! そんなこと!!」


「そうだ。知美」


 パニックに陥りかけている知美に届くように、力をこめて語り掛ける。知美の手を私の顔から外して、そのまま胸の前で両手を包み込む。


「っ!」


 知美が感情に飲みこまれてしまうのに何とか間にあったようで、知美の言葉を遮ることに成功する。


「お前が自分で言ったんだろう。私はお前の唯一の理解者だって。私の能力で繋がっているお陰だって」


「そうよ! だから、あんな……あんなこと……!!」


「その通りだ。私がお前のことを笑いものにするわけない」


 食い気味に知美の言葉を遮って否定する。

 私の言葉で鼻白んだところにすかさず追い打ちをかける。両手で知美の肩をそっと固定して、その耳元に顔を寄せる。


「私はお前のことを分かっているんだ。そんな私があんなことするわけないだろ?」


 私の言葉を受けて、知美が息を呑み、その体から力が抜ける。肩に乗せられた知美の頭の重みが心地良い。

 ややあって、知美がおずおずと私の背中に手を伸ばして、ひしっと服を握りこむ。


「ごめんなさい! 私……私……!!」


「分かればいいんだ」


 知美の思い詰めたような声を聞いて、第一関門は無事に通り抜けたことを悟る。力業だったが、知美に私の言葉に耳を傾けさせる下地を作ることができた。今度はこいつの目を私以外に向けさせなければならない。


 もう離さないとばかりに縋り付いてくる知美に気が付いて、我に返る。


 今のやり取りで知美の中で私の存在感が増したのではないだろうか。だとすれば、知美の目を外に向ける難易度が上がってしまったことになる。


「くそが!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る