第53話 面倒な女達
「のわっ」
地面に体を投げ飛ばされた衝撃に声が漏れる。
「ああ、くそ」
随分と長い距離を吹き飛ばされた。周りの景色はまた黒一色に戻っている。
「うはははは。苦労しておるようじゃの」
顔を上げると、その先にいたのはシロ。
ない胸を自慢げに張って、にやけている。
「……どうなってんだ。これは」
自分では制御できない笑いに、見たことの無い牧歌的な景色。キャラ崩壊を起こした葉月と教官。
色んな事がありすぎて、頭がいっぱいいっぱいだ。
「じゃから言ったろ。精神世界は危ないところじゃから、気をつけろと」
「ふん」
してやったりと言わんばかりのシロの顔に苛立ちが募るが、言い返すことが出来なくて鼻を鳴らす。
こちらの様子を見て、シロのすっきりとしたような顔つきになる。
「くくく。お主が振り回される様を見るのも一興じゃが、さすがに可哀そうじゃ。少し助言をしてやろう」
「……いや、結構だ」
「およ?」
断られるとは思っていなかったのか、シロが呆けた声を出す。
「意地を張るでない、美里よ。わしらは同じ精神世界を共有する者同士。謂わば運命共同体という奴じゃ。ここでわしに頼ったとて、何ら恥じることは無いのじゃぞ」
「ふん」
諭すようなシロの言葉を鼻であしらう。
「違うな。これは意地じゃない。私の生き様だ」
ここでシロに頼ったら、なんだか負けた気がする。それは鼻持ちならない。
「ふむ。そうか。……分かったぞい。それならば、わしは何も言うまい」
私の宣言を受けて、シロがあっさりと引き下がる。少し意外だ。
「はぁ」
思ったことが顔に出てしまっていたのか、シロが大きくため息を吐く。
「わしは新任とは言え、おぬしの心の守護者じゃ。お主にとって大事なこと。それぐらいは分かっておるよ。なんとなく掴みかけておるんじゃろ」
「……そうだな。言葉にするのは難しいが」
そう言って煙に巻こうとしたが、思い直す。
「いや、せっかくだ。考えの整理がてら、話を聞いてくれ」
「うむ」
シロが頷くのを見て、歩き出す。向かう先は知美のいるところだ。
「この世界は知美の世界。あいつの想っていることが何よりも優先される、歪んだ世界」
この言葉はシロが言っていたこと。だが、ただ繰り返したのではない。
教官と葉月に会って、自分の中で理解した。
「そのとおりじゃ。この短時間でそれを感じ取れるとは流石じゃな」
シロも、私がこの世界の本質を実感したことを見抜き、感心するように頷く。
「教官も葉月もいつもとは様子が全然違っていた」
純朴そうで、どこか憎めない様子の葉月。
村の長として虚勢を張る教官。
「教官も葉月も私の知っている奴らじゃない。あいつらは、知美の思う教官と葉月の像だ」
「ほう。知美の思う像とな」
シロの面白がるような言葉に、首肯を返す。
「そうだ。知美が教官と葉月のことをどんな風に思っているか。それが映し出されたのが、さっき会った奴らだ」
「うくく。正解じゃ。それならば、おぬしが知美や教官にどうして吹き飛ばされてしまったか。それは分かるかの?」
「教官に飛ばされたのは、それほど重要なことじゃない。あれは教官ではないからな」
「ほう?」
あれは教官ではなく、知美が作り出した教官の虚像。
だから、教官に吹き飛ばされた理由は知美に吹き飛ばされた理由と同じだ。
「私はどうやら知美に嫌われているらしい」
「ふむ。どうしてそう思う」
「近づこうとしたら吹っ飛ばされた。教官に知美のことを聞こうとしても吹き飛ばされた。あいつは私を遠ざけようとしている。そうとしか思えない」
葉月と教官が口にしていた巫女様。それは恐らく知美のことだ。
知美本人に近づこうとしたら笑いが止まらなくなり吹き飛ばされ、教官から知美のことを聞き出そうとしても吹き飛ばされた。
あいつは私を近づけまいとしている。嫌われているとしか思えない。
「そうじゃの。知美の奴はおぬしを吹き飛ばしておる。それは事実じゃ。じゃがな」
シロが言葉を止めるので目を向けると、視線がぶつかる。
「おぬしがこの世界から追い出されておらんというのも事実じゃ。本気でお主を遠ざけようとしておったら、早々に世界から弾き出されて、シミュレータのカプセルで目が覚めておっただろうよ」
「……なるほどな」
この世界は知美の想いが全て。
知美が私を追い出そうとしていたなら、本気で嫌っていたとしたなら、とっくに知美の世界から弾かれていた。
だが、そうはなっていない。
吹き飛ばされはするものの、それだけ。
「あいつは、私のことを遠ざけようとしている。つまり、私に知られたくないことがある」
「……」
声には出ていないが、シロが私のことを試しているような、それでいて面白がっているような気配が伝わってくる。
「だが、この世界から追い出したりはしない。ということは、だ。あいつは、私に知って欲しいとも同時に思っている」
「くくく。いいぞ。その通りじゃ」
シロが心底おかしそうに笑う。
「おぬし、なかなか見込みがあるな。人の心というものを理解しておる。それは非常に複雑なものじゃ。白黒はっきりとつけられるものでは無い。知って欲しいけど、知られたくない。相反する感情が同時に存在しておる。全く、人とは難儀なものじゃよ」
「ああ。そうだな。面倒くさくてたまらん」
「くくく……」
「なんだよ」
シロが忍び笑いをするので、ぶっきらぼうに問いかける。
「お主、気づいておらんのか」
嘲るような、面白がるようなシロの声。
「口では面倒だの言っとるくせに、楽しそうな顔をしておるぞ」
顔に意識を集中させると、頬が引きずられる様な感覚。
無意識のうちに口角が上がっていたらしい。
「ふん。そうか。私は今、この状況を楽しんでいるのか」
「くくく。今更気づきおったか。戯けが」
「ふん」
息を吐きながらシロに裏拳を叩き込むが、空を切る。
あの野郎、また消えやがった。
「精々、知美と向き合うことじゃ。あやつが何を思い、何を感じておるのか。真正面からぶつかるがよい。ここは精神世界。知美の想いはもちろんじゃが、おぬしの想いもまた強い武器になる。それを努々忘れるでないぞ」
「ふん」
どこからともなく響くシロの声に、鼻を鳴らして返事をする。
そうして一歩踏み出すと、再び知美が姿を現す。
この世界のこいつが何を思って、どうして私を遠ざけようとしているのか。
とことん突き止めてやる。
「よう」
覚悟を胸に、意気揚々と声を掛ける。
「……また、来たのね」
また来た。
知美は今、そう言った。
こいつは、私がさっき来たことを認識している。
ほんの短い時間の関わり。だというのに、こいつはたったひと声かけただけで、私だと気が付いた。
その事実を受けて、確信する。
やはり、こいつは私を遠ざけようとしながらも、本気でそうしようとしているわけではない。
むしろ、そうやって私の気を引こうとしているのではないだろうか。
知美は、私に構ってほしくてたまらないのではないか。
「ふっ」
そう思うと、なんだか愛おしく感じてきて、つい鼻で笑ってしまう。
「うくく」
ほんの軽い気持ち。
可愛い奴だと思って、微笑ましく感じた。
たったそれだけ。
「ふふ、ふふふふふふ」
それだけだというのに、またしても笑いがこみ上げてくる。
さっきと同じだ。
「……やっぱり。また、私を笑いに来たのね」
違う。そうじゃない。
ただ、お前のことを知りたかった。だから、会いに来た。
「うはっ、うははははは」
だけど、自分の口から漏れてくるのは、耳障りな笑い声。
制御できない。
こわい。
「もう、来ないでよ……」
知美が追い詰められたようにうずくまって、今にも泣きだしそうな声を出す。
……私の能力が発動すればいいのに。
そうすれば、今、何を感じているか。何を言いたいのか。
それを余すことなく伝えられる。
「だいっきらい」
ぼそりと呟くような声。
私の笑い声にかき消されそうな程、小さな音。
だというのに、私の中で時間が止まる。
直後、その声が衝撃となって襲い掛かり、私の体を吹き飛ばす。
体が投げ飛ばされる浮遊感。
先ほどのような不快さは感じない。
膜を一つ隔てたように、何もかもが空虚に感じる。
そうやって、自分をまるで他人でも見るかのようにして俯瞰して、気付く。
私は、ショックを受けているらしい。
知美にきらいと言われて、一瞬、頭が真っ白になるほどの衝撃を受けた。
その言葉を受け入れたくなかった。
知美は本心で言ったわけではない。
それは、なんとなく分かっている。
いや、そう思いたいだけか。
「はぁ」
なんだかよく分からなくなってきて、ため息が漏れる。
今更ながら自覚する。
私は、知美に寄りかかられて心地良く思っていたらしい。
一度認めると、不思議なほどにストンと胸に落ちる。
同時に、腹が立ってくる。
「あの野郎、散々こっちのことを振り回したくせに、あんなこと言いやがって」
言葉に出すと、怒りがさらにふつふつと湧き上がってくる。
知美の声が蘇る。
だいきらい。
自棄になって、何気なく言った言葉だろう。
それなのに、その短い言葉に私はこうまでも心を乱してしまっている。
許さない。絶対。
あいつの口から本心を聞きだして、謝らせないと気が済まない。
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