第42話 力の一端

 木々の隙間を縫って、葉月が熊に向かって突撃する。私もそれを追う形で熊との距離を詰める。


 一方の熊は葉月に気が付くと、こちらも葉月に向かって駆け出す。


 熊の何より恐ろしいところがこれだ。


 奴らは自分の再生力を知っている。だから負傷などお構いなしにひたすらこちらを排除しようとしてくる。


 熊が威嚇するようにうなり声をあげ、右前足を振りかぶる。


「嗚呼々々々々々々!!!!」


 葉月がそれに負けないほどの鬨の声を上げる。


 衝突の直前、葉月の姿が進行方向のほぼ真横にぶれる。


 熊の再生力があれば、真正面であれば分厚い肉体で葉月の突進を受け止めることができる。


 葉月は自分の足を止めないために、能力を使って進路を調整したのだ。


「よし!」


 葉月が熊の右前足を吹き飛ばすのを見て、思わず声を上げる。


 だが、手を緩めてはいけない。奴の再生力の前ではかすり傷だ。


 間髪を入れずに銃弾を叩き込もうとして、一瞬躊躇する。


 奴の再生力ならば、回復した肉が銃弾を押しのけるのではないか。


 だが、そんな迷いを一蹴して弾丸を撃ち込む。


 イクの弾が通用しない筈が無い。


 そんな根拠もない無責任な信頼。だが、それを裏付けるように知美から強い覚悟が流れ込んでくる。


 弾丸を受けて、熊が目標を葉月から私に変える。葉月には追い付けないと踏んだのだろう。


 銃弾に照らされて、不気味に影が伸びる。


 その姿に一瞬気圧されるが、知美の覚悟を受けて私も腹を決める。左手で刀を鞘ごとベルトから引き抜き、右手で刀の柄を握りこんで地面を蹴る。


 熊の再生力はすさまじく、銃弾は再生した肉に押し出されて地面に落ちる。


 葉月の吹き飛ばした前足も、肩口からごぽごぽと泡のように肉が噴き出して、形は既に元通りだった。毛皮だけ生えておらず、脂肪と筋繊維を剝き出しにした前足はなかなかにグロテスクだ。


 熊をこちらの間合いに入れる直前、熊が後ろ足で立ち上がる。


 ひどく前傾しており、すぐに四足に戻るだろう。


 だが、立ち上がった目的は移動ではなく攻撃。自重をフルに乗せた前足の一振りだ。


 最後の一歩を強く踏み込む。


 立ち止まってはいけない。熊の胴体の右側を切りつけて、そのまま駆け抜ける。


 しかし、その算段を熊が叩き潰す。


 早い…!


 想像以上の早さで前足が振り下ろされる。


 こちらに覆いかぶさるような斜めの軌道。咄嗟に鞘で地面を突く。


 突然加わった力で体のバランスが崩れる。


 そのまま体を捻らせて、無理やり熊の攻撃を掻い潜る。


 更に捻りを加えて熊に向き直ると、熊の背中を斬りつける。


 固い…!


 毛皮を裂いたものの、脂肪に阻まれて肉に全く届かない。


 直後、左腕に抉られるような痛みが走る。知美の痛みだ。


 痛みと共に流し込まれた考えに面食らうが、即座に切り替えて、刀を鞘に戻す。


 前足を振り下ろした熊は巨体に似合わぬ俊敏な動きでこちらに向き直る。


 遠心力と共に叩きつけられた左前足を後ろにステップしながら躱しつつ、同時に抜刀して斬り下ろす。


 腕は背中より脂肪が少なく、肉まで届いた手ごたえを感じる。


 決死の思いでつけた傷も一瞬で再生してしまう。


 だが、それでいい。


 こちらの狙いは手傷を負わせることではない。熊をその場に留めること。


 熊の再生力に押し出されたイクの弾丸の上に誘導することだ…!


 瞬間、濃密な魔力を意識の片隅に捉える。


 それを受けて、熊の左側をすり抜けて、リリパット号とは反対側に駆け出す。


 直後、熊のおぞましい呻き声があたりを包む。


 こちらに意識を向けさせるために、体を反転させつつ投げナイフを放つ。


 ぼんやりと光る熊の体。私が撃ち込んだ隊長の弾丸がマーカーとなって、それを目印に隊長が狙撃したのだ。


 改めて、隊長の能力の取り回しの良さに感心する。


 一方、熊は私の放ったナイフを無視して、リリパット号へと駆け出す。


 まずい。


 私よりも隊長を脅威だと感じて、そちらの排除を優先しようとしたのだろう。


 熊を追いかけつつ、意識を集中させる。


 所詮相手は野生動物。濃密な殺気をぶつければこちらに意識が向くはず…!


 自分の知覚を球状に段々と広げていくイメージ。自分の感知できる範囲を無理やりに押し広げる。


「うらああああああああああ!!!!」


 葉月が熊に突進する。


 隊長が撃ち込んだ追撃の弾丸はどういうわけか熊の肉体から離れない。


 その弾丸が放つ光目掛けて葉月が攻撃したのだ。


 しかし、その突進も速度が乗り切っていなかったのか、熊の背中の肉を僅かに削ぐだけに留める。


 ダメージはそれほど与えられなかったものの、熊が少しよろめく。


 そうして熊の足が止まったおかげで、私の広げた知覚に熊が入り込む。


 広げた意識を熊だけに集中させる。そして、廃墟区画で幾度となく向けられてきた害意を、収斂させた意識に乗せる。


 殺してやる。


 意識の刃を冷たく、鋭く刺しこむ。


 殺してやる。殺してやる。


 それに釣られて、私の中で暴力衝動が一気に膨らむ。


 殺してやる!


 熊がびくりと体を震わせ、ゆっくりとこちらに向き直る。


 自分の中で何かが弾けたような気がした。


 途端、知美から流れ込んでくる抉られたような左腕の痛みがうねるように強くなる。


 それと共に入り込んでくる情報。


 熊の動きが、周囲の地形が、葉月の位置が手に取るようにわかる。


 自分を中心として、視界など関係なしに周りのことが全てわかる。


 だが、まだ遠い。


 周りに比べて自分が一拍遅れているようなそんな感覚。


 稲光を確認してから音が遅れて聞こえるようなそんな感覚。


 これでは駄目だ。熊に対応しきれない。


 為すべきことを瞬時に理解する。


 おもむろにナイフを取り出し、痛みのする場所、知美との接点に突き刺す。


 冷たい刃が腕に入り込む異物感。それを押しつぶす程の鋭い痛み。


 だが、まだだ。まだ足りない。


 ナイフを捻って腕を抉る。


 肉が外気に晒されて息が詰まるほどの痛みが襲ってくる。腱を傷つけられて指が勝手にピクリと動く。


 左腕の痛みが強くなると共につながりが深くなる。


 心臓の鼓動と共に血があふれ出て、傷口がじくじくと熱くなる。


 それと共に知美がどんどん近くなる。


 左腕の傷はイクが私を援護するとき、猫から庇って噛まれたもの。


 猫の牙で抉られた傷を、同じ痛みを共有して、重なりだす。


(近い…。猫たちに集中していたせいであんなに遠かった美里ちゃんがこんなに近くに感じる)


 私を理解してくれるたった一人の人。


 その存在を背に感じて、戦闘で疲れ切っているはずなのに、どんどん力が湧いてくる。


 ポスンと鯉口を切ると、ノータイムで状況が分かる。


 熊はどういう訳か足を竦ませて、こちらを見て唸っている。その体はひどく強張っている。


「葉月!船の近くになったおかげで知美の索敵の精度が良くなった!こっちで合わせるから、私のことは気にせず突っ込んで来い!」


(私の能力を美里ちゃんを中心に発動できるようになった。戦いの中でそんな説明をしている暇はない…!)


 葉月がこちらに意識を向けると息を呑む。一瞬体の動きが止まるが、すぐに返答を返す。


「分かった!」


 葉月のその声と体の力の入り具合に緊張は無い。


(葉月は私たちのこと、信じてる。だからこんなことで変に遠慮なんてしたりしない)


「はっ」


 息を吐いて、熊との距離を一気に詰める。


 方針変更だ。


 熊の意識をこちらに向けるために攻撃して、すぐに離脱するヒットアンドアウェイで行くつもりだったが、ゼロ距離でただひたすらに切りつける。


 理屈は分からない。だが、知美と重なり合ったおかげで知美の能力を私中心に発動することができる。


(不思議な感覚。私はここでイクと一緒に猫の処理をしているのに、同時に美里ちゃんの中で熊と対峙している。自分の体を動かしているのに、美里ちゃんにもはっきりと意識が向いている。それなのに、目の前の猫を疎かには一切してない。むしろ効率が上がっている。今なら何にだって負けない。そんな無敵感が私を支配している…!)


 まだ動き出そうとしない熊の顔を切りつける。


 硬い顔の骨に阻まれるが、深い刃傷を刻み込む。


 それもすぐに再生するが、ステップしながら納刀して、間髪入れずに切りつける。


 これまではただ繋がっているだけだった。だが、今は違う。知美の一部が私の中にいる。


 どういうことかは分からないが、これが私の能力の真価なのだと感覚的に理解する。


(こんなにも近くに美里ちゃんを感じる…。私を受け入れてくれてる……)


 じんわりと湧き上がる多幸感と愛しさ。


 それが刀をより鋭くする。


 再度納刀すると、熊が動き出そうとしているのが伝わる。


 右後ろ脚。


 わずかに力が入ったその部分を切り裂く。


 その傷も一瞬で再生する。


 だが、動きの起こりを阻害されて熊はバランスを崩す。


(これが、私の力……)


 知美はこれまで強い魔物と一対一でやりあうことは無かった。


 隊長が援護についていてくれたし、有効打を入れるのは葉月の仕事だったからだ。


 だからその能力を活かして敵の動きを完封するという発想は浮かばなかった。


 知美の恩恵はそれだけではない。


 一週間練習しただけの付け焼刃の刀。


 それが妙に体に馴染む。意識せずとも適切に力が入り、最高の軌跡を刀が勝手に描き出す。


(そう。変に力まない。刃を上から押さえつけて切り潰したくなるのは分かる。けど、それじゃダメ。刀の反りに逆らわず、流れるように斬る。刀の本質は斬ること。叩き切ることを旨とした直剣とは全然違う)


 知美の体に染みついた技が、私の体から自然と繰り出される。


 斬っては納刀するという抜刀術だけに特化した歪な技術。


 周りとは隔絶された暗い世界。


 他者を拒絶する自分の弱さから目を逸らすのに、刀の鍛錬は最高の逃げ道だった。


 ひたすらに洗練された知美の抜刀術は、納刀という動作が技のつなぎの邪魔になったりしない。


 むしろ、鞘の中で刀を滑らせることで剣速が早くなる。


 熊の動きの起点を見つけてはそこを潰す。熊が無理やり攻撃をしてくるならば、位置を変えて、最小限の動きでかわす。


「るおおおおおおお!!!」


 インターバルを挟んで突進してくる葉月を避けて、ただひたすらに斬りつける。


 刀の一撃一撃は浅い。


 しかし、ごっそりと肉を削ぐ葉月の攻撃とも合わさって、熊の再生力は明らかに落ちている。


 それに伴って肉質も柔らかくなり、刀が骨まで到達するようになる。


 これなら、やれる…!


 肉を切り裂く手ごたえに、熊を完封している優越感に気分がひたすら高揚する。


「っ!?」


 何か嫌な予感がして咄嗟に飛びのく。


 直後、猛烈な地響きがして、立っていられず尻もちをつく。


 魔物がパニックに陥り、森がざわめく。


(リリパット号が浮上した!やった!やってくれた!キャプテンムクダ、最高だ!!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る