第5話 覚えられない
駐屯地の中を教官はすたすたと歩いていく。彼女を見るや、兵士たちは道を開け、直立不動で敬礼する。
これがモーセの奇跡のようだとかいうやつかと、感心しながら進む。
いや、こちらの歩みと共に敬礼されるのはどちらかというと出所したヤクザとかいうやつのほうが近いかもしれない。
でかい奴も空気を読んでいるようで、視線を忙しなく動かしながら居心地悪そうにしている。
そんなこんなで駐屯地を抜ける。ここまでは廃墟も建物の形が分かるくらいだったが、駐屯地の先は瓦礫ばかりで、辛うじて建物の基礎が残っているというのがほとんどだった。
窓が分かるくらいに面影を残しているものもちらほら見かけるが、精々三階建てのものだ。
「っぅはーーっ!!息が詰まる!やっぱ軍人さんは苦手だー」
でかい奴が我慢の限界とばかりに声をあげ、これ見よがしに深呼吸をする。こいつは喋ることで空気を取り込む特殊な人間なのだろうか。
「ふふっ。葉月ちゃんは大げさね。けど、軍人さんも一緒に街を守ってるんだから悪く言わないでね」
隊長とやらがたしなめる。教官に対しては面白みのない硬い声だったが、隊員に対してはかなり柔らかい。確か、同居人に見せられた資料ではこんな声をママみがあるとか表現していた。
それからうるさいのは葉月とかいうらしい。上は立川だったか。よし。完全に覚えた。ぱっと名前は出てこないが、立川葉月とか聞けば顔が出てくるくらいには完璧に覚えた。
「いや、それは分かるよ。けど、あんなチクチクした雰囲気だったら力が出ないって。あれだよ。パフォーマンス?とかいうやつが下がるよ」
「もう、葉月ちゃんったら。軍人さんは規律が大事なのよ。背筋が伸びるようなあの雰囲気も必要なものよ」
「うぅー…。分かるよ……。分かるけどさー、やっぱ柔軟な判断ってやつ?も大事だってー」
葉月が不貞腐れるように引き下がる。自分が正しいことを主張したいというより、駐屯地で味わった不快感を消すために声に出して、それを共感して欲しいといったところか。
面倒な奴だ。
「ふふっ。そうね。軍人さんが命令をしっかり守る分、私たちは柔軟に動きましょうね」
「そうそうっ!!そうだよね!!あたしらが頑張らないとだよね!いやー、能力者っていうのも大変だわー」
隊長が葉月をなだめると、葉月はコロッとご機嫌になり、調子に乗り出す。
あの隊長すごいな。面倒くさい奴の扱いを完全に心得ている。
突然隊長がぽん、と柏手を打つ。
「さて、それじゃ、関川さんが入ってくれたことだし自己紹介でもしましょうか。構いませんよね?」
「ああ。今日の任務は兎狩りだ。説明するまでもないだろう」
「わかりました。関川さん。兎狩りっていうのはね…」
「大丈夫だ。分かってる」
隊長がご丁寧に説明を始めようとしたので遮る。
このお節介さはなんだか同居人を思い出す。といっても、あっちはつんけんとして自分がいなきゃダメなんだから、というせっかちな世話焼きだが、この隊長は柔らかい。包み込まれるような安心感があって、全然腹が立たない。
「本当?大丈夫?」
「そーだぞー。あれだ。聞くはいっときのはじ?とかいうやつだぞー」
隊長が眉を下げて心配そうにうかがってくる。声が内側に向いている。
心配そうというのもあるが、自分にできることが無くて寂しいといったところか。ここで説明を頼んで満足させてやる義理もないが。
「兎が魔力を得たことでジャンプ力と繁殖力が強化。顔面に当たれば首が飛ぶこともある。ただし直線的な動きしかできないので、動きをよく見てすれ違いざまに斬ってしまうのが楽。で、よかったか」
「そうよ。偉いわね」
にっこりとして、手をわずかに動かすが、はっとした顔で引っ込める。頭をなでようとしたというところか。
こいつ本当に女子高生か?子持ちとか言われても普通に納得するぞ。
「はいはいはーい!あたしも知ってる!繁殖が早すぎるせいで防衛圏から根絶やしは諦めて、定期的に間引きしなきゃいけない!」
「そ、それから、確か……軍人さんは鉄砲玉って呼んでるんですよね」
鉄砲玉。とんでも勢いで直線に突っ込んでくるからつけられた呼び方だ。
「そうね。二人とも物知りさんね」
偉い偉いと、隊長がおどおどした奴の頭を撫でる。
うるさい奴、たしか名前は葉月だったか。あいつはふんすと胸を張っている。あんなに殴りたくなる顔は久々に見た。
「はい。それじゃ改めまして。紅巾隊の隊長をしています。下田郁美です。三年生で、一番年上です。みんなからは隊長って呼ばれているわ。よろしくね」
任務の確認を終えると、隊長が話を戻す。隊長なんて柄じゃないけどね、と呟いて苦笑いする姿はどこか茶目っ気もある。
その会話のコントロール力は素直にすごいと思う。優等生過ぎてつまらん奴だとも同時に思うが。
得物は銃。身長の3分の2くらいあるごついライフルを肩に掛けている。腰には拳銃のホルスターを二つつけている。
「そんなことないぞー。タイチョーは隊長で、あたしらの隊長だからすごいんだぞー」
「そ、そうです。あの、その、隊長には助けられてます。隊長以外が隊長なんて考えられません!」
葉月と、小さいのがフォローする。葉月のはフォローになってるのか?あと小さいのがどもらずに話してるところを初めて見た。
「ふふっ。ありがとね。ただ、私も間違っちゃうこともあるから、その時は遠慮せずはっきり言ってね」
少し違和感。声音はこれまでと同じで柔らかい。だけど奥行きを感じる。どういうことだ。
「まっかせろー。この葉月ちゃんがばしばし言ってやろー」
「そ、そんな。私がそんなこというなんておこがましいですぅー」
二人の返答に思考を邪魔される。葉月はともかく、小さいのもなんかイラつく。常に声が自分自身に向いていて、予防線を張るようなことばかりだ。
「ありがとね。けど、遠慮すること無いのよ」
やはり声が違う。奥行きと感じたのはやや声が沈んでいるせいか?
「はい。それじゃ、葉月ちゃんお願い」
「おう。まっかせろー」
こいつは葉月。声が大きいうるさい奴。以上。後、得物は薙刀。
「聞いてた!?今すっごくどうでもよさそうな顔してた!適当に聞き流したでしょ!!」
すごいな。教官だけじゃなくて、こいつもエスパーか。そういえば能力者だったわ。
「ああ。葉月だな。よろしく。私は関川だ」
「またあしらわれた!?っていうかそれだけ?下の名前はなんだっけ?」
「美里だ」
「ふーん。じゃあみーちゃんだね。よろしくみーちゃん」
「あ、ああ」
名前を呼ばれたのは、ましてや愛称で呼ばれたのは久しぶり過ぎて面食らう。なによりも、自分がそれを少しうれしく感じていることに腹が立つ。
「で、その小さいのは」
そんな感情を誤魔化そうとして、ぞんざいに話題を変える。
「わ、わたしですか!?」
「ふふっ。紗枝ちゃんよろしくね」
「は、はい」
隊長はそんな私の様子を見て微笑ましそうにして、話題転換に乗ってきた。
全て見透かされているようでマジで怖い。
「え、ええと……岩藤、紗枝……です。あの、その……今年入ってきた一年生、です。あーと、えーと……魔物と戦うのは、その、怖い……です。…けど!皆さんの足を引っ張らないよう頑張ります。…よろ、しく……です」
「足を引っ張るだなんてとんでもないわ。紗枝ちゃんにはいつも助けられてるんだから」
「そーだそーだ。さえちーはすごいんだぞー。どーんって来たらガシャーン!ってなって、とにかくすごいんだぞー」
小さくておどおどした奴は紗枝というらしい。
張りの無い弱弱しい声。当然声は内向きだ。それでいて自身を落とせば周りが褒めるということを分かってやっている。
なにより、それを無意識にやっていて、自身の面倒くささに気づいていないことに腹が立つ。
いまも隊長と葉月が懸命に持ち上げて、紗枝が満更でもなさそうに否定している。これまた面倒な奴だ。
「はい。それじゃ、ともちゃんお願いね」
茶番がひと段落ついて、最後のメンバーに移る。盲目の少女だ。…紗枝が自分へのちやほやが終わって、少し残念そうにしてるのが癇に障る。
「…飯田知美。二年生。よろしく」
葉月がまたそれだけかと騒ぎ、隊長がたしなめている。…飯田知美。不気味な奴だ。
さっきから後ろをついてきて、こちらをうかがっているのを感じる。刀の鯉口を切っては戻して、カチカチやっていてうるさい。
音の反響で周りのものを知るエコーロケーションとかいうやつか?
声も硬くて何も読み取れない。不気味な奴だ。
「あーーー!?」
「なんだ。うるさいの」
「さっきからなーんかおかしいと思ってたんだよ。なにかなーって思ってたんだけど、分かった!ともちんが突っ込まない!!」
「あっ。……そういえば、そうですね。ともさんが突っ込まないから、その……、葉月ちゃんが放し飼いになってます」
「そーそー。なーんか調子でないと思ったら、それだ!ってか!みーちゃんもさえちーもさり気に私のことディスってない?」
「そ、そんなことないですよー。ははは…」
「自意識過剰だぞ。騒音女」
葉月が「なにおー」と嚙みついてくる。少し意外だったのが、紗枝の奴が葉月をいじるのにためらいが無かったことか。声にも含みが無くなっている。
そうしてはしゃいでいても飯田は何も言わない。こちらをじっとうかがいながらカチカチやっている。やはり不気味だ。
「お前らそこまでだ。そろそろ兎の生息地だ。気をつけろ」
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