第2話 狭い世界

 窓を越えると、一瞬の無重力。その後、重力に吸い込まれて落ちていく。

 全身の血液が慣性で置いて行かれて、頭に血が上る感覚がなんとなく癖になる。だが、そんな時間もすぐ終わってしまう。やはり三階程度だと落下時間が少なすぎる。


「ふぅ…」


 着地の瞬間、止めていた息を漏らして、柔軟性を持たせる。崩れ落ちるようにして速度を緩め、そのままどたどたと転がっていく。

 勢いを十分殺したところですっくと立ちあがり、教官の車の助手席に乗り込む。座りきる直前に車が発信し、慣性で背もたれに押し付けられる。寝起きなんだからもっといたわってくれてもいいだろうに。


「はい、退学届け」


「いらん」


 運転席の教官に退学届けを差し出したが、一瞥もくれずにはねのけられる。


「横暴だぁ」


「人類の危機という有事だ。諦めろ」


「人類の危機ねぇ…」


「そうだ」


「2020年に魔力が発見。それとともに動物が狂暴化。魔物と呼ばれるようになった。それから百年。なんやかんやあって人類の生存圏はアーコロジーとその周辺。だったか?」


「しっかり勉強しているようで感心だ。魔物が出現する前、巨大な隕石が確認された。このままでは地上で住むことができなくなる。そのために建造されたのがあのアーコロジーだ」


 走っている車の後ろを振り返ると、どこまでも続く黒々とした壁が目に入る。上の方は青くかすんで見える程に巨大なその建物がアーコロジーだ。確か高さは1kmで、四方が3kmだったか。

 アーコロジーの定義は生産と消費が完結している建造物。要は外部から何も入ってこなくても人間が生活し続けられる建物だ。食料はもちろん、空気と水。すべての生産を建物の中で賄っている。


「だが、隕石が来る前に魔物が出現。その騒ぎで各アーコロジーは孤立。そのまま現在に至る。だったか?」


「そうだ。だが、その後も隕石が落ちることは無かった。隕石というのは方便で、政府は魔物の出現を予期していたのではないかと言われているな。

 魔物なんて言われても誰も危機感を抱かない。当時は空想上の存在でしかなかったからな。それで隕石をでっちあげて、アーコロジーの建造を急がせたというのが有力な説だ。

 初期の騒ぎで通信網がなくなった今では確かめようがないがな」


「ふん。そのアーコロジーもエネルギーの生産は魔力に頼り切り。そして魔力を扱える私ら能力者はアーコロジーから追い出された。特権階級どもがいい気なもんだ」


 実際のところはどうとも思わないが。アーコロジーに入ったことがない以上、壁の中の暮らしがどうなっているかは分からない。自分とは一生かかわりのないことだ。正直言ってどうでもいい。


「魔物の出現とともに、人間の中でも不思議な力を持つものが現れた。いや、正確には女性の中、か。人間離れした身体能力に、炎を操るといった超常の力。魔力を操る彼らはいつしか能力者と呼ばれるようになった」


 魔力を扱える人間。能力者。能力者はどういうわけか女性しかいない。男性が能力者にならないのは染色体の関係だろうといわれている。

 そして能力者は皆、魔力で身体能力が強化され人間離れした力を見せる。条件によっては銃弾を避けられるし、数発撃たれたとしても戦闘不能にはならない。


「能力者ねぇ」


 つい感慨深く呟く。


「そう。身体能力はおまけみたいなものだ。能力者は一人一つ特別な力を持つ。中には能力が覚醒せず、身体能力だけ上がる者もいるがな。炎を操るというのは代表的なものの一つだ。

 そんな力を持つが故に能力者はアーコロジーを追い出された。

 普通の人間からすれば能力者も魔物も変わりはないからな。私らは丸腰でテロを起こせる化け物ってわけだ」


 教官の声は相変わらず無機質で平坦だ。だが、最後の言葉は自嘲するような響きの中に何か別の感情が入っているように感じられた。他の言葉が平坦だからこそ、その部分が際立っている。その感情が何なのかは分からないが。


「ふん。その化け物どものおかげで暮らせているってのに皮肉なもんだ」


 能力者を排斥する割に都合よく利用する有り様に不快感を覚え言い捨てる。


「ああ。現在アーコロジーの電力は魔力発電で賄っているからな。一方で食料などの生産はアーコロジーの設備に頼らざるを得ない」


「結局のところ、私らは生命線を握られてるってところか」


 アーコロジーの中には物資の備蓄がある。魔力発電を停めた場合アーコロジーの中も外も両方とも困る。だが、物資が先に枯渇するこちら側が先に音を上げる。結局のところ壁の中の人間に歯向かうことはできないのだ。


「それは向こうも同じだがな」


「向こうには備蓄がある。先にギブアップするのは私ら能力者だろ」


 教官の呟きに納得がいかなくて否定する。


「物資はそうだろうな。だが、いかにアーコロジーの壁が厚くとも魔物の襲撃を防ぎきることはできない。そして魔物には魔力のこもっていない兵器は効かない。

 いや、正確には魔力のこもっていない攻撃はすぐに再生してしまう、か。

 何はともあれ魔物に対抗できるのは能力者のみ。壁の中の人間の生命線を握っているのはこっちも同じことだ」


「なるほどな」


 だが、アーコロジーを落とされれば物資の供給がなくなる。結局のところ、壁の中の人間には歯向かえないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る