箱庭サイキッカーズ

明日葉いお

第一章 兎狩り

第1話 退学日和

「動くか」


 ベッドの上でうつらうつらとしていたが、いい加減出かけようと気合を入れる。

 二段ベッドから飛び降りて、クローゼットを開ける。

 制服を手に取って、袖に手を通す。ナイフが仕込んである制服が重くて安心感を覚える。

 

 ふと、クローゼットの扉にある鏡が目に映る。


 自分の顔を見るたびに毎回イライラする。澄ましたような表情なのに、目は沈みそうな暗さをたたえている。自分は不幸なのに、それを取り繕うことができるのだと主張しているようで腹立たしい。


 これ以上顔を見ていたくなくて、なんとなく全身を見る。学園を出れば鏡を見る機会も少なくなるだろう。


 髪は肩にかからないくらい。ぼさぼさしていないのは同居人が手入れしろとうるさいからだ。胸は手のひらに収まるくらい。

 他の奴らは大きくなりたいなどと言っているが、動くのに邪魔になるだけだ。このくらいで丁度いい。そのほかに目につくのは全身に刻まれた古傷。


「ああ、くそ」


 傷を見て、地獄の特訓を思い出してしまった。その記憶を振り払うように、バタンとクローゼットを閉じる。


 着替えたので、机に向かう。つい癖でデバイスを手に取ってしまうが、思い直す。


 必要ない。


 これから学園を出て、廃墟区画へ戻るのだから。


 退学届と書いた封筒だけポケットに押し込み出口に向かう。その途中、隣の机が目に入る。整理が行き届いた机は同居人の人柄そのまま映しているかのようだ。


 机の上には写真立てが一つ置かれているだけだ。いやそうな顔をした私と、無理やり肩を組んできて、爆笑して自撮りをする同居人。

 自分の写真を見るのが嫌なので片づけてくれと何度も言ったが、取り合ってくれなかった。隠したことが一回あったが、本気でへこんでいたので、翌日には戻してしまった。

 

 何も言わずに立ち去るのがなんとなく後ろめたくて、写真立てを倒す。


 二段ベッドの下をのぞくと、そこには誰もいない。布団が乱雑にめくられている。昨日は同居人が戻る前に眠ってしまった。その上で自分より早く出るとはご苦労なことだ。


 廃墟区画から来た自分に根気よく常識を叩き込んだお節介な同居人を思い浮かべる。困っている人を放っておけない。そんな奴だからこんな面倒くさい奴の世話を任されるのだ。


 余計なことばかり考えているのに気付き、思考を切り替える。今日学園を去ることは前から決めていたことだが、つい長居してしまった。


 あまり意識はしていなかったが、この部屋にも愛着がわいていたのだろう。


 再度気合を入れなおして、部屋を出ようとした瞬間、ジリリリリとデバイスが耳に刺さる不快な音を出す。

 出撃要請のコールだ。

 自分にかかってきたのは初めてだ。これまではどの部隊にも属さず適当に過ごしていたが、所属部隊を探す三か月の猶予が今日で終わってしまった。形式上は今日から自分を拾った教官の部隊に所属していることになっている。


 無視してやろうかとも思ったが、いい加減うるさい。仕方なくコールに応じる。


「はいはい」


「山口だ。出撃のコールにはさっさと出ろ」


 硬い声。だが、強くあろうと必死で思い続けているような薄っぺらさも感じる。兵役を終えた者たちに多い、そんな声だ。表面ばかりが頑なで、その裏は空っぽ。まあ、教官がどんな経緯でこんな声になったかはどうでもいいことだが。


「ああ、悪かったな。まだ九時半だから寝てたんだよ」


「うちの始業は8時50分だ」


 間髪入れずに、こちらを責めるような口調で返してくる。


「あぁと……ほら、あれだよ。昨日は遅くまで任務だったんだ。特例で午前が休みのはずだろ」


「お前は昨日まで任務も課されずふらふらしてただろうが」


 少しイライラも交じり始めたようだ。棘が強くなってきた。あの日か?

 いや、教官は現役を退いて、つまり学園を卒業して二十年位。四十も近くなってくると些細なことでイライラしてしまうのだろう。可哀そうに。


「うちの同居人のこと知ってるだろ。あいつの帰りを待ってたんだよ。遅くまで」


 実際にはさっさと寝ていたが。ここに来るまでは浅い眠りしかできなかったから、しっかり眠れるのがありがたい。それも今日までだが。


「お前の部屋の下に着いた。窓から飛び降りろ」


 切れてしまった。会話を楽しめなくなったら人生終わりだろうに。教官は潤いが足りてない。


「プライバシーの欠片もねぇ」


 勝手に部屋に押し掛けるとか、ストーカーか。その上に飛び降りろと言ってきた。

 色々と思うことはあるが、教官にはなんだかんだで義理がある。合流するとしよう。


「どっこいしょっと」


 窓を開け放ち、片手で桟に手をついて乗り越えた。

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