逆異世界転生物語 ~ペンギン博士の憂鬱~

エルサリ

【1日目 新妻琴美A】末期癌の私のもとに転生者が訪れた件

真っ白な天井。


私はこれまで、どれだけこの天井を見上げてきたのだろうか。


そしてこれから、どれだけこの天井を見上げることができるのだろうか。




「もってあと1か月といったところですかね」


「新妻さん、お辛いと思いますが、気を落とさずにいてください」


「母親には私のほうから伝えておきましたので」


「お大事に」




あと1か月か。


今日が3月8日だから、頑張れば4月までは生きられるのかな。


そしたら友達はみんな高校生かな。


双葉ちゃんも高校生になるんだ。


第一志望の高校受かったって言ってたからな、私まで嬉しくなっちゃう。


それから、それからは。


ううん、それで十分かも。


……。


本当のことを言うと、私も高校行きたかったけど。




身体をベッドに放り出す。


今日も天井は真っ白だ。


だけど、実はそこには「30」と大きく赤々と書かれている。


そして、1日寝るごとにカウントダウンされていき、


0になると……。


私はゴロンと横を向いた。


窓にかかる白いカーテンからは太陽が漏れ出ている。


カタカタと風が窓を叩く音が聞こえてくる。


陽の光と風を浴びれば、少しはこの陰鬱な気分が流れ落ちるかもしれない。


ぶかぶかとスリッパを履いて、窓の金具を外した。


窓を開けると、瞬間、強い風が私を襲った。


白いカーテンは舞い上がり、私の長い髪は乱され、思わず顔を背ける。


慌てて窓を閉じる。


ハァとため息をつく。


今日はもう休んでいたほうがいいかもしれない。


そう思いながら、振り向くと――


――そこには知らない男が1人立っていた。




「俺、生きているのか?」


男は呆然と病室で立ち尽くしている。


2,3秒の間、虚空を見つめたかと思うと、キョロキョロとあたりを見渡した。


そしてすぐに、私のことを見つけ、快活に声をかけてくる。


「ねぇ、ここはどこ?そして、君は誰?」


「えっと、ここは夕田辺市立病院の私の病室だけど」


私は戸惑いつつも、返答してしまった。


「病院!?病院ってあの、おとぎ話に出てくる施設か?」


男は驚いたように声をあげる。


そして、興味深そうに部屋を見まわした。


この男は、果たして何を言っているのだろうか。


「ごめん、あなたの言っていることが全然わからないの。


 あなたこそ、どうして私の病室にいるの?」


「そう聞かれても、俺にもさっぱりわからないんだ。


 俺は夕食の準備を終えた後、ぶらぶらと散歩していたんだが、


 突如、突っ込んできた車に轢かれて、


 俺は死んだ。


 ……と、思っていたんだけどな。


 気が付いたら、この部屋にいたんだ」


男はあっけらかんと話す。


私は男の話をうんうんと頷きながら聞いていたけども、


……なんの説明にもなっていなくない?


結局、なんでこの部屋にいるんだろう。


「そうなんだ。


 不思議なこともあるんだね」


相槌を打ちながら、素直に思ったことを答える。


「驚かないのか?


 悪いが、俺は大いに驚いているぞ」


「そりゃ、ビックリはしているよ。


 だけど、車に轢かれたんでしょ?


 それなのに生きているんなら良かったなって」


ゴクリと生唾を飲み込む。


「私はもう生きていられないから」


「え、どういうことだ?」


「私、癌なの。


 それももう末期の。


 あと1か月も生きていられないんだって」


「君が、癌で……?


 そんなはずないだろ?」


「私だって、信じたくないよ。


 だけど、もう、全身に転移し始めたって。


 いつ心肺が停止しても、おかしくないの……」


「そうじゃない!」


男は叫んで私の声を打ち消す。


じっと私を見つめている。


「君が癌で死ぬのなんてありえないだろ!


 だって、癌の特攻薬なんて、もう何十年も前に完成しているんだぞ」




「……今なんて言ったの?」


動揺して聞き返す。だけど、同様の答えが返ってくる。


「だから癌の特効薬なんて、もうとっくに完成しているだろ?」


「え……?、は……?そんなわけないよ」


「まあ、待て。今から作ってやるから」


そういうと男はポケットからポーチを取り出す。


ポーチの中にはカラフルな小瓶がいろいろ入っているが、


ヒョイ、ヒョイと軽やかに取り出して、調合し始めた。


「抗癌性のあるフェリシモ抗体酸と患部探査性のあるウィリアムス溶液を、


 2:5の割合で集円した後、ミカガミ透紙で不純物を除去すれば


 ほら、癌治療の即効薬の出来上がりだろ。


 こんなの中等部2年で習う範囲だよ」


そう言いながら、青紫色の液体を私に向けて差し出す。


……なに、これ?


癌の特効薬……?噓でしょ……、そんなもの、あるはずが……。


「本当は静脈注射か遠透析吸引ができればいいんだけどな。


 まあ、経口投与でも、すぐに血液に浸透するからさ。


 ほら、飲んでみなよ」


この男は何を言っているの?


理解できないし、信用できるはずもない。


なのに……、どうして……。


男の顔をチラと見上げる。


その表情は楽しげで誇らしげで、


自由研究を作り上げた子供のように純真な顔をしている。


……どうしてそんな顔ができるの?


「そんなこと言われても、私……」


か細い声でやっと言い返す。


「癌特攻薬なんて、あるはずがない。でしょ?」


「え?」


男は虚を突かれたように驚く。


「あれ?もしかして、俺、何かやっちゃったか?」


事態が飲み込めないのか、さっきまでの自信満々だった表情が一変する。


「これを飲めば、君の癌は治るんだ」


「そんな薬、あるはずないって言ったでしょ」


思わず大きな声を出してしまう。


私はもう死ぬのだ。


4月までは頑張って生きて、未練は残さないようにしようと、


そう思っていたのに。


いきなりわけわからない男が来て、わけわからないこと言いだして、


私の癌が治るとかわけのわからない薬を作り出して……。


こんな薬信じられない。


こんな薬信じたくない。


だって、信じてしまったら……。


生きていたいと思ってしまうから。


涙が頬を伝うのを感じた。


「私、半年以上入院していたの。


 抗癌治療も手術も、受けたの。


 それなのに、いきなり変な人から、変な薬渡されても、


 どうしたらいいか、わからないよ」


涙はやがて大粒になりポタポタとこぼれだす。


みっともない姿を見せているのは自覚している。


男も困った顔でこちらを見ている。


「あのさ」


申し訳なさそうに男は口を開く。


「俺には、この世界のことはわからないし、


 君のことも知らないんだけど、


 生きたいんだろ?」


確信を突いた問いを投げかけてくる。


私は、黙って俯くことしかできなかった。


だけど、男はまっすぐこちらを見据えてくる。


「目の前で癌で死にそうな人がいて、


 俺に、その人を救うことができるんだったら、


 俺は絶対にその人を助けたい」


私にまっすぐと言葉を向ける。


「君を救いたいんだ」


……どうして、そんな純粋な目を向けられるの?


「信じられない気持ちはわかるけど、だけど――」


「――わかった」


男の言葉を遮る。


「この薬を飲めばいいの?」


「信じてくれるのか?」


「ううん、どうせもう死ぬと思っていたから。


 最期にだけどあなたに賭けてみようかと思ったの」


別にこの男を信じたわけではない。


でも、信じる、信じないを考える前に早く結論を出したかった。


そうすれば、変な希望を持たなくて済むから。


ゴクゴクゴク。


私は男が差し出した青紫色の液体を喉に流し込んだ。


瞬間、頭がクラっとする。


視界がボンヤリと歪んできて、思わずベッドに座り込む。


「眠くなってきたか?」


男の声に私は黙って頷く。


頭はボーっとして真っ暗になってくる。


「だとしたら、薬が効いてきた証拠だ」


私はベッドで横になり、


そのまま静かに目を閉じた。


「おやすみ」




そこで、私の意識は途絶えた。

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