第10話 楽しいパーティーの時
お手伝いさんに車を運転してもらって、幸華は鈴乃の家の最寄駅まで出向いた。
「着きましたよ」
「ありがとう」
「とんでもございません」
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
幸華は道に出た。夕暮れ時、駅の改札に近い大きめの柱の下で、鈴乃が来るのを待つ。
「さ〜ちか〜‼」
バタバタと足音を立てて、黒眼帯の女の子が駆け寄ってくる。眼帯以外は目にも鮮やかな姿で、小洒落た萌葱色のワンピースを着て、手には赤やピンクの大きな花束を抱えている。それと、黒いマスクはもう着けないことにしたようだ。因みに幸華も、演奏の邪魔なのでもうノーマスクである。
「鈴乃」
「お待たせ! ハイこれプレゼント第一号!」
鈴乃はバサッと花束を手に押し付けてきた。
「わっ。あ、ありがとう……。第一号、なの?」
「パーティーにお呼ばれしたのに花束だけなんて訳には行かないでしょ! それより、この服、ドレスコード的にどうかな? もう少しフォーマルな方が良かった?」
「いや、所詮ホームパーティーだし……好きな格好で構わない」
「そっか! そう言う幸華は黒ワンピなんだね。やった、ワンピースのペアルックだ!」
それはどうだろうかと幸華は疑問に思ったが、そんなことよりも気になることがある。
「それより、鈴乃」
「ん?」
「何で楽器ケース背負ってるの」
鈴乃は胸を張った。
「よくぞ聞いてくれた! 今日のパーティーのスケジュールは知らないけど、どこかのタイミングでやらせてもらおうと思って! できるかな?」
「あ、うん、多分大丈夫……。何やるの」
「とぼけてもらっちゃあ困るな。勿論、『竜の宝石への二重奏』だよ!」
「えっ」
幸華はぎょっとして身を引いた。
「聞いてない……。私も弾くって事?」
「ウィ! そうだよ! 一緒にご家族の前で披露しよう!」
「ちょっとそういうのは事前に言って欲しかった」
「あはは! ごめん! 嫌だった?」
「嫌っていうか、まだ仕上がってないし、心の準備も出来てないし、無茶だと思う」
「そういう事なら大丈夫! 人に聞かせられないレベルではないし、心の準備なら今からしておこう! 何とかなるって!」
「何とかしないといけないの?」
「うん!」
「そうなんだ……」
鈴乃の強引さには呆れるというより感心してしまう。ぐいぐいと幸華に近寄ってきては、やりたい事をポンポンと口にする。並の神経の持ち主ではない。やはり才能のある者はどこかしら変人なのだろう。その性格に助けられていないとは言えない幸華であった。
「それじゃ、段取りのこともあるから、お手伝いさんに言っておく……。まずはうちに向かおう。車をあそこに待たせてある」
「かたじけない!」
幸華は鈴乃を先に後部座席に乗せると、自分もその隣に座った。
「お願いします」
「承知致しました」
車は静かに走り出す。幸華は鈴乃のお喋りに対して短く相槌を打っていた。あっという間に家の前に着き、幸華は鈴乃を玄関まで案内した。扉を開けると、待ってましたとばかりに父親が顔を出した。
「やあ! 鈴乃ちゃんだね? ようこそ! 僕は幸華の父です! いつも幸華がお世話になってます!」
「お邪魔します。こんにちは、幸華のお父様。今回は招待ありがとうございます!」
「どういたしまして! さあさあ、上がって上がって。鈴乃ちゃんはこのスリッパを使っておくれ。今からダイニングに……」
「ちょっと」
横槍が入った。後から顔を出してきた母親だ。
「今はキッチンもダイニングも忙しいの! 鈴乃ちゃん、悪いけど一旦、幸華の部屋で待っていてもらってもいい?」
「ああ、そうか……。ごめんな、本当は準備が出来た状態でお迎えするつもりだったんだけど、どうも間に合わなくて」
「大丈夫です! お気になさらず!」
鈴乃は元気に返事をして、幸華を見た。幸華は花束をお手伝いさんに託し、スケジュールのことを伝えると、階段の方を指差した。
「部屋は……こっち。階段の上……」
「へえーっ。それにしても、大きなおうちだなあ」
「そうかも」
「幸華の部屋はどんな感じなの?」
「どんなって……。普通、かな」
「いや、絶対普通じゃないでしょ」
「え……何で……」
階段を上り切った幸華は部屋の扉を開いた。
「どうぞ」
「お邪魔します! わーっ、広い!」
「そうかな」
「凄く広いよ! そして大きさに似合わず質素だね!」
「質素?」
「カーテンは灰色だし、ベッドの布団も灰色だし、カーペットまで灰色だし、壁には何も掛かっていないし……唯一掛けてあるカレンダーにも絵や写真が付いていない!」
くっくっと鈴乃は可笑しそうに笑った。
「きちんと片付いているし、もう、幸華のストイックさを体現したような部屋だよ! やっぱり普通じゃなかった!」
「だって何も無い方が落ち着くから……。別に普通だよ、これくらい」
「そっかー!」
「それ、納得してないでしょ」
「うん!」
「……」
幸華は小さな丸テーブルと、クッションを二つ、部屋の真ん中に出してきた。
「ここ座って」
「はーい。じゃあ、今のうちに、プレゼント第二号を渡そうっと」
「お気遣い頂きまして……その、ありがとう……」
「良いって良いって。ほらこれ」
鈴乃は小さな鞄から小さな紙袋を取り出した。ご丁寧にリボンも貼ってある。
「……開けていい?」
「開けて開けて」
紙袋に貼られたテープを慎重に剥がして、幸華は中身を取り出した。
何かの液体が入った、とても小さな瓶が出てきた。
「これは……」
「香水! 薔薇の香りだよ」
「へえ」
幸華は蓋を開けて鼻を寄せてみた。嗅ぎ慣れない上品な香りがした。
「こんなの、初めてもらった」
「やっぱり? 幸華はお洒落にはあんまり興味無いから、持ってないかもしれないと思って、選んでみたんだ」
「ありがとう。これ、どうやって……いつ使えば良いんだろう」
「普段使いでも良いし、特別な日に使うのも良いよ。お洒落っていうのはね、周囲の人からの印象も良くなるし、自分の気分もぶち上がるから。おすすめ!」
「そっか。……今度、使ってみる」
「嬉しい! 是非そうして!」
「うん」
幸華は香水を箪笥の中に仕舞った。戻って来ると、鈴乃はどこか一点をただただ見つめていた。
「どうしたの」
「ねえ、幸華。あの黒い箱は何?」
「……ああ、あれ」
幸華も出窓の方を見やって言った。
「あれは、今日の零時に、お母さんに貰った。でかい宝石が入ってる。代々伝わるお宝で……元々、私が二十歳になったら譲るつもりだったんだって」
「へえ、そうなの」
鈴乃は片方しかない目でずっと箱を見つめている。
興味があるのだろうか。
「中身、見る?」
幸華が言うと、鈴乃ははじかれたように幸華の顔を見た。
「いいの!?」
「いいよ、別に」
「ありがとう!」
幸華は再び立ち上がり、鈴乃を連れて出窓のところまで歩いた。
「今開けるから」
四桁の数字を合わせて、箱の蓋をゆっくりと開く。
窓から差す光を受け止めて一層輝く宝石が現れた。
「はい。ガーネットだって」
「……」
いつもやかましい鈴乃が、言葉を失って宝石を見ている。
「鈴乃?」
「……幸華……。あの、これ、……触っちゃ、駄目だよね、流石に」
「構わないけど」
「えっマジ!?」
「うん。はいこれ、手袋」
「はわわわわわ……!」
鈴乃はそうっとガーネットに触れると、目の高さまで持ち上げて、ためつすがめつした。その右目は大きく見開かれていて、まるでこの宝石の魅力を一つも漏らす事なく見ておきたいと思っているかのようだった。
「鈴乃は、宝石が好き?」
「んー、好きって言うか、親近感」
「……それは、自分の涙が宝石になるから?」
「うん、そんな感じ」
「デュエットの曲を気に入ったのも、タイトルに宝石と付いているから?」
「えっ? ああ、それは違うよ。曲として好きなんだ。タイトルはたまたま」
「そっか」
鈴乃はそっとガーネットを箱に戻した。
「貴重な物を見せてくれてありがとう」
「……どういたしまして」
幸華は箱に鍵をかけた。
トントン、とノックの音がした。
「お嬢さん、準備が整いました」
「ああ……ありがとう。今行きます」
「お待ちしております」
幸華は鈴乃を見た。
「行こうか」
「あ、うん!」
「……。うちの人はみんな大袈裟で……誕生日にそんなに気合い入れなくて良いって、毎年言ってるんだけど、毎年お手伝いさん総動員でパーティー開いちゃって……」
「愛されてるねえ」
「……」
「良いんじゃないの、楽しそうだし」
「そうなんだろうか……」
階段を降りてダイニングに向かう。
「あ、来た来た。鈴乃ちゃん、こっちに座って」
「ありがとうございます!」
「幸華、突っ立ってないで早く座りなさい」
「うん……」
机には花束を活けた花瓶がある。四人分の皿にずっしりとしたステーキが載っていて、隣にはレタスやトマトたっぷりのサラダがでんと置いてある。それから、じゃがいものポタージュ、数種類のパン、バターとジャム、ミルクティー。
「おおー」
鈴乃は感心したように声を上げた。
「凄いですね! 沢山ある!」
「食後にはシフォンケーキを注文しておいたからね」
父親がにこにこして言った。幸華は顔をしかめた。
「お父さん、お母さん、鈴乃は少食だって伝えたはずだけど」
「大丈夫だよ幸華! 私、食べようと思えば食べられるから!」
「え、そうなの」
「うん!」
いつもより賑やかな食事が始まった。鈴乃は幸華が初めて見るような食べっぷりを見せた。ステーキもパンも残さず食べた。お手伝いさんが切り分けてクリームをかけてくれたシフォンケーキもきちんと平らげた。
ボリュームのあるメニューだったのにぺろりと完食できるなんて。何でいつもは食べないのだろう。鈴乃にはまだまだ謎がいっぱいだ。
鈴乃はリラックスして、紅茶のおかわりを飲んでいる。
「あ、そうだ。二人とも、バイオリンをやってくれるんだっけ?」
父が言い出したので、幸華は小さく嘆息した。
「あ、今やります?」
「やってやって。楽しみだなあ」
「承りました!」
鈴乃は立ち上がった。
「幸華、準備しに行こう!」
「……うん……」
先んじてスリッパでパタパタと階段を登り、見当違いの方角へと突進しかけた鈴乃を幸華は連れ戻し、再び自室へ案内した。鈴乃と二人で、弓に松脂を塗る。
「これ、あんまり塗るのも良くないって聞くけどね!」
「……本番前だし少しだけ……」
「引っかかり方が段違いだもんねー」
その後、鈴乃が出したラの音に合うように調弦をする。アンサンブルの際はファーストの音程に耳で合わせるのがルールだ。もちろんファーストの担当の人も音が合っていることが前提だが。
ラが合ったら、各自でレとソとミを重音で弾いて合わせていく。これで四本の弦の調律が合う。
「それじゃあ行こうか」
「うん」
片手には楽器、片手には譜面と譜面台。幾分落ち着いた様子で、鈴乃は幸華についてきた。リビング・ダイニングへ通じるドアの前で、幸華は覚悟を決めて鈴乃を振り返った。鈴乃は何も言わずに頷き返した。
二人が入っていくと、父は歓声を上げて拍手をし、母も拍手をして良い姿勢で待っていた。
しばし、沈黙。
「え、何か挨拶とか無いの?」
「幸華が言うんじゃないの?」
「私セカンドだけど」
「でも今日の主役でしょ」
「んんんん」
今更になって改めて、己が主役のパーティーに他人を呼んだことが恥ずかしくなってしまった。自意識過剰ではないか。まるでナルシストだ。
「幸華ー、応援してるぞー!」
父の掛け声でもっと恥ずかしくなってきた。しかし、ことここに及んで尻込みするなんて演奏者として失格だ。堂々としなければ。幸華は覚悟を決めた。
「では、グリュンベール作曲、『竜の宝石への二重奏』を演奏します。よろしくお願いします」
「お願いします!」
二人は揃って頭を下げる。拍手が止んだ辺りで、鈴乃が楽器を構える。幸華もそれに倣う。
軽快に弓が動き出す。曲全体を引き締める主題は、弓全体を使った滑らかな動きと、ごく僅かな弓の着地点のみを使うスピッカートの動きを使い分ける。右手の機動力と細やかな制御が求められる弾き方である。出だしだから、最も時間をかけて二人で練習してきた。代わる代わる登場する旋律の聞かせ方も、二人で研究した。
新しい旋律が現れ、また馴染みの主題に戻り、少しずつ変化していく曲調。でも根底にあるものは変わらない。ぐんぐんと前へ押し出すテンポ感。遅れたり引きずったりするのは、この曲には似合わないと、鈴乃は言っていた。だから進む。先へ先へと。
最後、希望に満ちたハーモニー。聞く者に明るい気分を届ける──そして自分の心も明るくなるように演じ切る。
「ブラボー‼」
二人が弓を下ろす瞬間を待ち侘びたように、父が叫んだ。父母が拍手をしている。幸華は伏し目がちになりつつも、鈴乃に合わせてお辞儀をした。
「ありがとうございました」
「良い曲だねえ幸華! そして良い演奏だった! 心が晴れ渡るようだ!」
「なるほどね。良かったんじゃないの」
「幸華のお父様とお母様! 聞いて下さってありがとうございました! お陰様で楽しい思い出になりました!」
鈴乃も実に嬉しそうである。その横顔を見ると、今日の演奏を引き受けて良かったのかも、と幸華にも思えてくる。
「さあ、それじゃあ二人とも、早く片付けてこっちへおいで」
父は座席を手で示した。
「二十歳を迎えた幸華のために、ワインを用意してあるんだよ。鈴乃ちゃんには、残念ながらあげられないけれど」
「わあ! 幸華! 急ごう!」
「う、うん」
「幸華はどんな酔い方するのかなー。見るの楽しみだなー」
「見なくて良い……」
戻ってみると、ワインボトルがちゃんと用意されていた。
「幸華の生まれた二〇〇三年に作られたワインだよ。前々から探して、お父さんが予約をしておいたんだ」
「へえ……」
「どこ産ですか?」
「ん? ブルゴーニュだよ」
「ブルゴーニュ! それは大変だったでしょう。よく手に入りましたね」
「何のこれしきさ。鈴乃ちゃん、飲めないのに詳しいのかい?」
「あはは、今ならネットでささっと見るだけで分かることも多いですからね!」
「なるほどなるほど。では、コルクを開けるとしよう!」
ポンッと良い音がして、幸華のお酒人生の始まりの音が告げられた。ワイングラスに少量注がれたものを少しずつ飲むのだと教わって、恐る恐る口をつけてみる。
「……渋い」
ブドウジュースに似た味を想定していたのに、全く違う未知の感覚が口の中に広がって、幸華は顔をしかめた。
「もっと香りとかを味わって飲みなさいよ」
「ムヌヌ……」
酒の席でも母の小言を言う癖は健在のようである。これでは、大人の階段を登ったのだという気があまりしない。
「まあまあ、最初はお父さんも分からなかったよ。これから徐々に良さを分かって行けば良い」
「うん……」
「いやあ、娘と酌み交わせるなんて、毎日の楽しみが増えたなあ」
「毎日って、あなたはそんなに飲まないでしょ」
「それもそうか! じゃあこのお役目はお母さんに譲るとしよう」
こんな調子で、和やかに時は過ぎた。
「わざわざ送ってくれなくても良いのに! 手間でしょ?」
そう言う鈴乃を車に押し込んで、駅まで一緒に乗って行く。
「そういう訳には行かない。お客様なんだから」
「でも運転手さんも仕事が増えて大変じゃない?」
「今日は特別に給与を上げて来てもらってるよ」
「そう言う問題じゃ……。ま、いっか。ありがとうございます」
夜の街明かりや街灯が窓の外を過ぎ去って行く。
「今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそお招きありがとう! お陰様で楽しかったよ」
「……あの……」
「うん?」
「普通は……普通は、こんなに盛大に祝ったりしないと思う。ちょっと高いレストランとかでコース頼んで静かに食事するくらいなら、よくあると思うけど」
「いやー、多分それも普通ではないよ。私の体感だと、家でちょっとケーキ食べてプレゼントもらう程度が一般的かな。あくまで体感だけどね」
「そうなんだ……? じゃあホームパーティーの方が普通……?」
「どうかなあ」
「とにかく、あんな風に大騒ぎされるの、私あんまり得意じゃなくて。演奏以外で注目されるのも苦手だし。それに、もし鈴乃が迷惑だったらどうしようって思ったんだけど」
「まさか! 楽しかったって言ってるでしょ。それに、どちらにせよ、普通なんて面白くないよ。もっと自由でいいって」
「そっか……。だったら、良かった。安心した」
「うんうん。幸華はもっと、どーんと構えているといいよ」
車は、駅に着いた。
降りる前に鈴乃は、右目でじっと幸華を見つめて来た。
「今日はありがとう」
「……こちらこそ」
「楽しかったよ、色々。それじゃあ、バイバイ」
「うん」
お手伝いさんが降車して車のドアを開けてくれる。鈴乃は楽器ケースを抱えて、よいしょと車を降りた。
「バイバイ」
「またね」
これで今日の大騒ぎは終わりだ。遅くなってしまったし、後は帰って、お風呂に入って、眠るだけ。明日にはいつもの日々が戻っているはず。
──そう思っていた。
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