大図書館にて ルリの友人たちの会話

 女は黙ってレポートを捲る。レポートは角を揃えられ、机に二つの山を作っていた。

 女は赤く整った爪で紙を持ち上げ眺めたり、光に透かしたり、読み落としを探す動作を戯れに繰り返す。小さく机が鳴った。動きを止めて、女は捕食者の視線を向ける。慮外者を見る冷たい目は、相手を見た途端に春の山程度に温まった。


「許可は取ったと思っていたが…手違いでもあったか? 初代館長」

「いいや、間違ってやしない。ルリがどうしているのか…気になってね」

「約束に縋るか。愚かなことだ」


 鼻をならす女に、初代館長カウルユルエウスは淡く笑った。

 彼らは共犯者であり、同僚であり、共通の友人を持ち、互いを戦友と呼ぶ。長く太い嘴の端をかすかに引き攣らせて、女は再びレポートを見た。注意していなければ気がつけない小さな諦観。


「あの子に変化があれば、私が来ているわけもない。貴様の知能は高かったはずだが?」

「では言い方を変えようか。女王陛下。ご自身の一族が滅ぶまでの記録など読んで、どうなさるおつもりか。『ルリの面』を全うするルリを守るよりも重大な用事かな。これは」


 カウルユルエウスの視線に、女王はカラカラと失笑する。嘴が眼前の男を飲みこめるのではないかと思えるくらいに広がるが、初代館長は動かない。やがて笑いを挟み噛み殺し、女王はゆるりと目をたわめた。


「否、否、否。我が後進の不始末は我が姪の不始末。翻っては、我が不始末にも起因する。あれの悪性を甘く見た、娘に心を傾けすぎた。……後世の語られ草を学ぶ機会を、大図書館は許せぬか?」


 黒くつよい翼がゆぅるりと広がる。

 夜闇を吸う漆黒。羽の一枚一枚が、柔らかそうに見えて鋼より硬い。丸く小さな頭に見合わぬ長太の嘴。―――第一代フラクロウ帝国女王「スカーレット」を前にして、大図書館初代館長「カウルユルエウス・フーラ」は、駄々をこねる子どもをなだめるような場違いな息を吐いた。


「何も許さないとは言ってないだろう……。あっちにちゃんと守り人は残しただろうね?」


 七柱信仰の「第二柱」、七女神信仰の「第二席」、荒七業の「天嵐姫くるおしひめ」。

 未だ信仰が途切れない故に、今に至っても『新しいルリの候補』は生まれ続ける。見張りを欠かしてはならない。『ルリの友人』は、彼女の眠りを守るためにあるのだから。


 目蓋が同時に震えた。

 額を抑え、初代館長が視線を小さく棚の影に動かす。目の動きを捉えた女王は、一瞥もせずに嘴を上下させた。

 不運にも書見部屋を訪れてしまった生徒が、ガチガチに固まって跪いている(恐怖で立っていられなかったとも言う)からであり、当の生徒がつい最近、研究生の暴走で『渡航禁止世界』へ送られた(一歩間違えたら消滅していた)トラベルであったことも理由だろう。

 憐憫と僅かな期待は、些細な無礼を押し流す。ニ、と女王の口の端が持ち上がる。


「私とて、天秤の一端。役割は果たすさ。私は『ルリの狂気の面』だからね」


 応えるように初代館長も苦笑した。


「そして、わたしは『ルリの中立の面』。だからこそ、仕事をちゃんとしてきたかは確認しておかないといけない。そういう役目だからね」

「フッハハ、愚か者。そんなことで役割を放棄すると思うたか。おもて、めん、側面、仮面……そうさな。我らは面。偽りの「ルリ」。世界を騙すための小道具。……貴様の生徒が書いた解灰期の記録、驚いたぞ。面は精霊協会だったか?」

月礼教シアナシシャと……方向性は真逆だけれど祈道キドウもだね。森の民は上手いこと各地の信仰を混ぜた。融和は大変だったろうに、愛の為せる業かな」

「それができておらねば、彼奴らも消えている。……天空の愛し子のループは、滅びを悪夢におとしめるもの。当人が納得できるまで、月の主の心根に叶うまで永遠に。悪夢におとしめられた『世界』は『渡航禁止世界』の仲間となり『禁書』の一冊に成り下がり、正史は守られる」

「森の民は勤勉だ。トラベルの体だけ乗っ取って、あの世界から逃げ出す技量はあった。けれど、トラベルはトラベルのまま、何の傷もない」


 二人、目を合わせる。声が揃う。

 頭の痛い問題の一つ、布石で解決できるならばやすい。


「「彼らは、公平であることを選んだ」」


 戯れのように伸ばされた黒い『  』の手が器の形を作る。


「狂気にゆだねて食らうようなら、狂気の代行者、ルリの代弁者として縊り殺してやったものを」

「中立であると示されたなら、中立の代行者として、天秤の代行者として、忍耐に適う褒賞を」


 器に紅い『  』の手が重なって、静かにかえされる。

 合わせた手のひらを見つめたまま、女は無表情に呟いた。


「第三は?」

「彼女は……善行になるなら、認めるんじゃないかな」

「問題ないな。第四は役割に忠実な者を好み、第五は存在を許されなかった者同族に甘い。第六は……二つに一つだが、どちらに転んでも問題ない。第七は認めざるを得んだろう」

「ね、自分たちは見捨てられた側だと知っていて、守られている側を助けたもの。第一も絶対認める。そうなれば、魂の回収ができる」

「『灰の怪』はどうする。禁書世界には、まだいるぞ」


 女王が持ち上げたレポートを、憂鬱そうにカウルユルエウスは見た。

 『灰の怪』。フラクロウが作り出してしまった大災害。現行世界の理の外にある、消すことのできない滅びの因子。正史世界では浮島生物が解決したけれど、『渡航禁止世界』は解決ができなくなっために『渡航禁止』になった世界だ。同じ手は使えない。


「ファローがね、調査に行ったよ」

「…………私が協力を望んで、目をつけられた技術者の一人か」

「『宝石科学の設計図』『リリア・ユニコニスの作戦』『宝石科学を狂わせた科学者の身体組成と精神性』。一つでも手に入れば、対策は建てられる。……彼は」

「第三と第五に話を通してくる。生物のみでアレを打倒できればよし。叶わなければ、あと数百年、祭儀を続けてもらうほかあるまいよ」

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