5、小さなお弔い
夏休み中も学校には、プールの後に本を借りる子や教室でメダカにエサやりをする子などがポツポツときた。
そんな夏休みも折り返しに差しかかったある日。プール後にメダカの様子を見に来た低学年の子供二人がしょんぼりとやってきた。
手に持つヨーグルトの容器には、白くなった死んだメダカが浮いていた。
世話が悪かったわけではなく、猛暑や寿命だろう。どうしようもない。
そう伝えれば慰めになるだろうか?
私の胸はぎゅっとした。
「おはかつくってもいい?」
もちろん作っていい。けれど、それはどういう意味なのだろうか? 子供の言うことはまだよくわからない。よく本を借りにくる子以外は名前も学年もおぼろげだ。
この子は2年生だったはず。ああ、まだお墓の作り方がわからない。そういうことなのだろうか?
「いいよ。一緒に作ろうか?」
私は、仕事の手を休め校庭に出た。
ギラギラとした太陽が眩しく、くらくらする。帽子のひとつでも欲しいところだが、あいにく外に出ることを想定していないから持ってはいない。
お墓は、校庭の北側の木陰に作ることにした。
スコップを借りるために、職員室で聞いたらその辺が定位置らしい。
自分も金魚を飼っていたし、飼育委員だったのでお墓は作ったことがあったはずだがあまりにも昔のことで、一緒に作ろうと言ったもののどう弔ったのか思い出せない。
歩きながら記憶を手繰る。
私が小学四、五年生の時に学校で世話をしていたのは、うさぎとニワトリとインコだった。
ウサギが病気で死んだ。獣医に見せるなどと言うことは考えも及ばず、上級生と一緒に薬草になる葉を調べエサの他にヨモギやタンポポやハコベを一生懸命に摘んで食べさせていたが、そのかいもなく死んでしまった。
たぶん、自分の世話が悪かったのだろうかと、そんなことばかり考えて、お墓の作り方までは覚えていない。
泣いてばかりいたから、上級生が何とかしてくれたのだろう。
六年生にできたことが、大人の私にできないとは……。
子供の頃からマンション暮らしで、私はペットを飼った経験はない。後にも先にも、あの飼育委員の記憶しかないのにあまり覚えていないなんて。
しかも、自分は教師ではないのに、何が伝えられるというのだろう。
大人として情けない。
とにかく、弔う気持ちが大切だと気を取り直した。
作業のために、私はいつもベージュ色のエプロンをしている。そのポケットに、メモ帳もハサミもマジックまで入っていた。
私は、グリーンカーテンに使っている朝顔の葉をエプロンに入っていたはさみで数枚摘んだ。
あとは、花壇に植えてあるペチュニアのピンクの花とサルビアの赤い花。目に入ったシロツメグサも摘んだ。『いいの?』と子供に聞かれたが大人の裁量で問題はない。
むしろ、弔いには必要だと思った。
おぼろげな記憶がよみがえる。
スコップでほどほどに掘った穴に、緑の葉を敷き花を散らす。そこにそう、ふわふわだけれど硬くなった白いウサギを横たえた。
その赤い目が閉じていたか開いていたかさえ思い出せないのに、私に弔いをする資格はあるのだろうか。
*
「ここに、メダカさんを寝かせてあげてね」
子供は小さな手で、小さな小さな白いメダカを花の
なぜだか目が潤んだ。
毎日魚も刺身も食べているというのに、こんなシラスより少し大きいだけのメダカの死が胸に刺さるのか。
私はたぶん、子供より困惑していた。
いい大人が、感傷的になってどうする……。
そうして、メダカの
最後に少し大きめの石を墓標にし、残った花を添え手を合わせる。
「メダカさん、今までありがとう。お空で元気に泳いでください」
私がそういうと、子供たちも真似をして同じことを言って手を合わせた。
宗教は関係ない。これは普遍的な別れの挨拶だ。
しかし、私が忘れてしまったように、この子たちもすぐに忘れるだろう。
そうしてまた、いつか日か不意に思い出すのだろうか?
子供たちは清々しい顔で去って行った。
子供は切り替えが早い。
私は膝の土を払うと大きな入道雲を見上た。
大人には、夏の日差しは眩しすぎる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます