エピローグ:三話
「……まじか」
「すごいなぁ、この量」
「お前なぁ。他人事みたいに」
「ごめんごめん。でも俺、手伝えないし?」
「ここで応援してる」と言って、彼は適当に俺の近くに椅子を引っ張ってきた。歩行車が邪魔で上手くいかないようなので、俺はそれを座りやすそうな位置に置いてやる。
それから俺もあきらめて書類を一旦机に置き、その前に腰かけた。一枚一枚、目を通し始める。その姿を見た蛍琉は、感慨深そうにこう言った。
「夏川もすっかり社会人なんだなぁ」
と。その言葉に、俺も頷く。
「あぁ。もうずいぶん経つよ」
「その間のこと、知らないのが惜しいな」
「お前が寝てたからだろ」
「あぁ、うん。まだなんか変な感じだよ。俺にとってはやっぱり寝る前は大学生だった訳でさ。目が覚めたら三年経ってましたって。そう言われてもピンと来ない。学生から卒業した覚えもないしな」
蛍琉の言葉に、俺は書類を捲る手を止める。その点は俺も気がかりだった。彼は確か、眠る前の時点で卒業に必要な単位は足りていると話していたはずだ。
しかしまだ、卒業制作は完成させていなかった。つまり、大学を卒業できてはいない。
「大学はどうなったんだ?」
「それなら姉さんから聞いた。休学扱いになってるって」
「じゃあ」
「ちゃんと復学して卒業するよ。せっかく俺の席、残したままにしてくれてたんだから」
蛍琉の言葉にほっとした。ちゃんと卒業できるのか。そうなれば、気がかりなのはあと一つ。
「そのあとは、どうするんだ?」
「そのあとって?」
「卒業しても音楽、続けるのか?」
蛍琉が復学するのは、周りの配慮に応えてきちんと卒業するためだ。そのためにもう一度、音楽をするのだろう。
しかし、そのあとは?
彼は、音楽を嫌いになったりしていないだろうか?
俺のそんな不安は、しかし、蛍琉から間髪入れず返って来た言葉で、瞬く間に消え去った。
「続けるよ。夏川が俺の音楽、好きだって言ってくれたから」
そして彼は更にこう、言葉を続けた。
「安心しろよ。色々あったけどさ。色々で済まないくらいのことが、沢山あったけど。俺、やっぱり音楽が好きだよ。だからお前のために、そしてお前のためだけじゃない、俺のためにも音楽は続ける」
『音楽を続ける』
そう言った蛍琉の言葉に、迷いや躊躇いはなかった。だから俺も、安心してその言葉を受け入れることができた。
「そっか」
「うん。だからさ、お前も一緒に、音楽やってくれよ。俺、お前のピアノ、好きなんだ」
「あぁ。また二人で始めよう。ここから」
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