第三章:七話

雄大に尋ねられ、改めて当時のことを振り返ってみる。すると、なぜだろう。蛍琉と別れたあと、そのあとのことが、そこだけすっぽりと記憶から抜け落ちていることに気がついた。


「蛍琉と別れて、気がついたら家にいて、それでそのまま朝になってた」


「途中で俺たちに会ったことは覚えてないか?」


「雄大と明人に?」


「あぁ」


覚えていない。首を左右に振った俺を見て、雄大は一つ、頷いた。


「あの日な、俺と明人が学校から帰ってたら、荷物も持たずに歩いてるお前を見かけて、声かけたんだ。そうしたら返ってくる返事も曖昧だし、お前、ぼうっとしててちょっと様子がおかしかったから、二人で話を聞いた。それで蛍琉とちょっと前まで一緒だったんだって知って。お前たちが俺たちと同じで、帰り道の途中だったことも分かった」


「お前の話が要領を得ないから、聞いてるこっちも苦労したんだぞ」と、明人が口を尖らせる。


「それで荷物持ってないのはまずいだろ? だから来た道一緒に戻って、そしたら、まぁ、道にそのまま鞄がほっぽってあってな。その横に、あの頃よく蛍琉が持ってたウォークマンが落ちてた。だから『これは?』って聞いたらお前が一言『貰った』って言ったんだよ」


「そう……だったのか」


「そのあと心配だったからさ、とりあえずお前の家まで一緒に行って、鞄とウォークマンはそのままお前のお母さんに預けたんだけど。思い出せないか?」


俺は必死で記憶を手繰り寄せた。そういえば、あの日、部屋に母親が入ってきて何か言っていた。


ウォークマン。


白いものが目に入って。


それを見たら、そのたびに蛍琉のことが頭をチラつくから。


俺は、そう、確かそれを勉強机の引き出しの奥にしまって鍵をかけたのだ。その勉強机は実家にずっと放置されていて、もう使わないからと数年前に処分した。その引き出しの鍵は失くしてしまっていたけれど、どうせ必要な物は入っていないと思っていたから処分する前に開けようともしなかった。


そうだ、俺はそこにウォークマンを入れたんだ。

入れて、鍵を閉めたのだ。


「……思い出した。でも、もう曲が入ってるあのウォークマンはない」


「ないって……」


明人が唖然とした顔でこちらを見る。


「捨てたんだ」


「お前っ……」


明人が何かを言いかけて、しかし、口をつぐんだ。


「詳しくは聞かないよ。お前にも事情があるんだろ?」


「……あぁ。ありがとう」


三人の間に沈黙が落ちる。少し気まずい空気になったところで、雄大が仕切り直すように口を開いた。


「でも、そういえばなんでまた改まって蛍琉が眠る前のことについてなんて聞くんだ?」


「……」


「なぁ、蒼馬、お前確か今、あの脳神経科学研究センターに勤めてるんだよな? まさか蛍琉がそこに?」


「悪い。それは言えない」


脳神経科学研究センターへ、夢治療のために送られてくる被験者の情報は、もちろん外部に漏らしてはならない。完全なる秘匿情報だ。


「守秘義務ってやつか。じゃあ仕方ないな」


明人があっけらかんと返す。雄大も頷き、それならと質問を変える。


「蒼馬は逆に、何か思い出したこととかはないのか? 新しい情報とか」


「実は」


俺はそこで橋田のこと、そして春野さんから聞いた吉村のことを二人に話した。雄大は俺と同じく、橋田との間に起こった出来事が、蛍琉が昏睡状態に陥った原因だと考えたらしい。


一方の明人は、話を聞き終わったあと、何かが引っかかるようで、一人で何事かぶつぶつ言いながら考え込んでいた。


「吉村……吉村か」


「何か知ってるのか?」


「蒼馬、ちょっと待って。なんか聞いたことあるんだよなぁ、音楽学科でその名前」


「お前、無駄に交友関係広いもんな」


「無駄にって言うなよ! いや、実際に会ったことはないと思うけど。誰かから聞いたのか……。吉村……音楽学科の吉村……」


「音楽学科にも友達がいたのか?」


「ん? あぁ、バイト先が一緒のやつがいてさ。確かそいつが言ってた気がするんだけど……。あ、思い出した! 万年二位!」


「は?」


「いや、確か、吉村啓介よしむらけいすけじゃないか? そいつ。プロのピアニストを両親に持つサラブレッド。界隈でも有名で、腕前も優秀だったらしいんだけど、うちの大学入ってからはずっと蛍琉に負けてたって」


「その言い方だと、蛍琉はずっとその学科でトップ?」


雄大が驚いた顔で聞き返す。


「雄大は学校違ったから知らなかったか。うん。そうだった。だから吉村って人はずっと二番目になってたらしいな。でも実力はやっぱり確かだったらしくて、それを僻んでた一部の生徒から、万年二位って言われてたって」


「そうだったのか」


「蒼馬も知らなかったのかよ。おい、しっかりしろよ」


「うん……ほんとだよな」


「そういえば、その吉村って人もあの年末コンクール、出たんじゃなかったか? うちから二人エントリーするって聞いた気がするぞ?」


「え、じゃあもしかして」


俺はふと思い出してスマホを取り出した。メッセージアプリを開いて最後に蛍琉に送った送信画面を表示する。


「なんだなんだ?」


「俺、確かあの日、コンクールのホームページのURLを蛍琉に送ったんだ。それを見れば名前が分かるかも」


「ふうん。どれどれ。あ、あった。あるじゃん名前。これ、吉村啓介」


スマホの画面を明人が指差す。


「この人だったのか。俺、ここにのってる曲、初めて聴いた時、鳥肌が立ったんだ」


「え? 聴けるのかこれ」


「名前の横にある再生マーク押したら、聴ける仕組みになってる」


「聴いてみていい?」


明人がボタンを押すと、問題なく音楽が再生された。何年かぶりに聴くその曲は、どこか粗削りで、まとまりがないようにも感じるのに、やはり俺の中にストンと入ってくる。隣の雄大を見ると、彼も感心したように腕を組んで頷いていた。


「これは、確かにすごいな。先が読めない曲調で、なんだろうな、そこから色んな感情が次々と溢れてくるみたいだ。明人はどうだ?」


雄大の言葉に、しかし、一向に明人からのレスポンスがない。不思議に思って彼の方を見ると、明人は青ざめた顔で固まっていた。


「明人? どうしたんだ?」


「……蒼馬。お前これ、まずいよ」


「何が?」


「お前、このURL蛍琉に送ったんだよな?」


「ああ。蛍琉と同い年の人が、いい曲作ってエントリーしてたから、聴いてみろって」


「……この曲だよ」


「え?」


「蛍琉が蒼馬に作ってた曲、これだよ。完成したものは聴いてないから細かいとこは分かんないけど。でもこの曲、蛍琉のだよ」


「……嘘だろ」


その言葉に、雄大も絶句する。俺は全身の血の気が引いていくのが分かった。

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