第五話

『今回もまた成績一番だったよ! 珠玖――私の担任なんだけど、珠玖にいっぱい褒められた!』

『夏休みにね、私が入ってる部活、合唱部のコンクールがあるの。賞が取れるように頑張るね!』

『球技大会、優勝した! これはクラスのみんなで撮った写真!』

 上手に加工したフォトショップ付きの、欺瞞だらけの投稿はまだ続けられている。

 全部全部、嘘だらけだ。張り出された期末テストの成績表、その一番には瀬峰灯璃と記されている。詩亜の名前はどこにも無い。日詰さん曰く、後ろから数えたほうが早いとのことだ。

 詩亜は部活には入っていない。帰宅部だ。そもそもトリシュに合唱部なんてものは存在しない。学校のホームページを確認すればすぐにわかってしまう。

 球技大会を優勝したのはひよこのクラスだ。中・高等部合同の為、上回生がどうしても有利で、俺達のクラスは優勝どころか、散々な結果に終わってしまった。

 詩亜が投稿している写真を開く。皆が良い笑顔で肩を組んで、その真ん中の詩亜がトロフィーを掲げている写真だ。――詩亜ともう一人以外の顔は誰も知らない。

 詩亜の隣に立つもう一人に目を向ける。身長が高くて、そばかすが目立つ。どことなく田舎っぽいけれどカッコよさを感じさせる黒髪の女性。詩亜の一番の友人という平泉さんだ。詩亜が友達と遊びに出かけたと投稿するときは、大抵この人と共に写った写真が投稿されている。どことなく灯璃と雰囲気が似ている人だ。灯璃の方が何倍も美人だけれど。

 画像検索をすると、すぐに似ている画像がヒットした。どうやら、適当に拾ってきた画像の詩亜と平泉さんの部分だけ加工したようだ。

 だからこの画像に灯璃の姿は無い。

 灯璃だけでない。姦し三人組も、よく話しかけてくれるあの子も、お調子者のあの人も――担任である日詰さんも。誰もかれも、この写真のどこにも写っていない。詩亜の本当のクラスメイトは、たった一人も写っていない。

「お嬢様はSNSで理想の自分を描いていたんだよ」

 六原の研究室で詩亜の投稿を眺めていると、背後に立っていた日詰さんが口を開く。

「多くの人によく見てもらいたかったのかな。それとも、キミを心配させまいとしたのかな。――まぁ、ボクとしてはもうどっちでもいいんだけどな。理由がどうあれ、結果は同じだ」

 最初は俺に心配させまいという気持ちはあっただろう。けれど、今はどうだろうか。今の詩亜のアカウントは大量のフォロワーを獲得していて、俺が反応せずとも、詩亜は投稿を続けている。

 見ていたアカウントを詩亜からひよこのアカウントに移す。公式マークが付いていて、詩亜を遥かに凌ぐフォロワーを獲得している。投稿の一つ一つがキラキラしていて、多くの人から反応を貰っていて、そして嘘一つない。

 今ならひよこにビビっていた詩亜の気持ちが分かる。糾弾されると思っていたのだろう。精一杯加工して、嘘で塗り固めても、フォロワー数でひよこに負けている。

「別に教訓を語るつもりは無いが――SNSは簡単に人を狂わせる。数字は分かりやすい。その大小で簡単に人の優劣が判断できてしまう。大小が簡単にわかれば、人を見下しやすくなるし、上との差も分かりやすい」

「人を狂わせるのはSNSじゃなくて数字じゃないんですか」

 例えば、お金。後はレートとか、順位とかか。分かりやすい優劣が人を狂わせるように思う。

「私は理系だからね。数字のせいにはしたくない」

「なんですか。その誤った数字心信仰は」

「数字は悪くない。それを悪用する人間こそが愚かなのだ」

「マッドサイエンティストっぽい発言。流石です」

「誰がマッドサイエンティストだ。一生男に戻れないようにするぞ」

「そういう発言がそれっぽいんです」

「どちらにせよ。私達も数字の魔力に取りつかれないようにしないといけないな」

 ぐぅっと、日詰さんは一仕事が終わった後のように伸びをする。教訓を口にしないのでは無かったのか。

「随分他人事のような発言ですね」

「だってもう、ボク達の目的は達成したからな。私達の仕事は不登校になった原因を突き止めることだ」

 日詰さんは一仕事終わった後のようにぐうぅっと伸びをする。

 俺達の仕事は詩亜が学園生活を送れるようにサポートすることだろう。そもそも不登校の原因追及こそが本来の仕事ではない。

不登校の原因を突き止めただけで詩亜の学園生活をサポートしているとは言えないだろう。

「待ってください。このままだともう一度詩亜は不登校になりますよ」

 原因は未だ解消されていない。

 詩亜が高校に通い出したのだって、担任教師が旧知の中である日詰さんになることを理由に了承したと聞いている。けれど、詩亜は最近、月曜日は体調不良を理由に欠席している。このまま不登校になる日までは遠くない。

「原因は分かっているんだ。それを解消するのは六原の力を持ってすれば簡単だよ。キミ達が使っているSNSアプリを運営している会社を買い取るつもりで話は進んでいる。あとは適当に理由を付けてお嬢様のアカウントを消せばいい。ついでに新しくアカウントを作れないようにしよう」

「それは、原因の解決に――」

「なっているだろう」

 俺の発言を遮って被せる。

「お嬢様の不登校の原因はSNSだ。SNSで理想の自分を演じていたが、月夜君が入学したせいで嘘がバレてしまうことを、現実を知られる事を恐れた。――まぁ、月夜君はお嬢様を苦手としているようだから、学院内でのお嬢様の様子を知らないみたいだけれどね」

 だからSNSを使えなくすると日詰さんは言い切った。

「取り上げ教育は何の意味もありませんよ」

「だね。母親が子供のゲームを没収したところで、その子供は別の娯楽をどこかに見つけるだけだ。少なくとも勉強に向かうとは限らない。多くの母親が勘違いしているところだね。――けれど、ボク達は別のアプローチもお嬢様に仕掛けただろう」

 日詰さんはゆっくりと手を上げ、俺を指差す。

「お嬢様をよく知るキミを学内で接触させた。それによって様々な変化、お嬢様が学園に行きたくなるように仕向けてほしかったが、キミは雀宮君や月夜君、挙句の果てには私にまで手を出してお嬢様はほったらかしだ」

「日詰さんに手を出してないことはあなたが一番よく知っているでしょう」

 日詰さん以外、ひよこにも月夜にも手を出していない。

「けれど、お嬢様をほったらかしにしたのは事実だ」

 言い返せない。最近、ひよこや月夜の事があって詩亜と話せていない。気が付けば詩亜は月曜日に学校を休むようになっていた。

「お嬢様がまた不登校がちになっている理由は不明だ。おそらく、やっぱり月夜君に正体を知られるのが怖いからだろうな。そんなお嬢様の休む日が月曜日だけで済んでいるのは、私が必死に説得しているからだ。キミはその間何をしていた?」

 何もしていない。ただただ、自分の事で精一杯だった。

「けれど、気に病むことは無いよ。キミがお嬢様の為に行動しようとしていたことをボクは知っている。今でこそ雀宮君や月夜君に時間を取られていたけれど、最初はお嬢様に積極的に関わっていたからね。それでも変わらなかったのは偏にお嬢様の怠慢だ」

 まるで母親のように厳しい言葉を言う。

「そもそもキミなんて存在は本来いなかったんだ。お嬢様は自らの力で変わるべきだった。それを出来なかったんだ。だから脂肪吸引のように、無理やりにでも改善しなくてはいけない」

「何の意味も無いでしょう」

 肥満を解消するために脂肪吸引をしたところで、運動や過食といった肥満の原因を取り除かなければまた太ってしまう。寧ろ、以前よりも醜く太ってしまうだけだ。

「そうらないようにするのがボクたちの務めだよ。また太ってしまわないように、学園に楽しい場所を提供しようじゃないか」

 今、それが出来ていないから詩亜は不登校気味なんじゃないか。

「脂肪吸引にはリスクがありますよ」

 死亡事故だってある。

 今、SNSは詩亜の生きがいになっている。それを無理やり没収された詩亜が自死を選んでも俺は特別不思議だとは考えない。

「それに、SNSアプリだって、色んな選択肢があります」

 ゲーム機を没収された子供が他の遊びを見つけるように、詩亜だって他のSNSアプリを使うだけだ。

「そんなものは百も承知さ。なら、次はお嬢様が絶対SNSを使えないようにしよう。もしお嬢様が死んだとしたら――お嬢様は所詮それまでの人間だったということだ。頑張って隠蔽しようか。それなりに骨の折れる作業だがね」

 日詰さんは軽く死ぬだなんて言葉を口に出した。つまりそれは、この結果によって詩亜が自殺する可能性があると、六原は考えているわけだ。

 考えていて、予想出来ているのにこの人たちはその選択肢を取るつもりなのだ。

「日詰さんは詩亜の事を大切に思っているはずじゃなかったんですか」

 俺と一緒に、詩亜の事を考えて行動してきたはずだ。

「勿論、大切に思っているよ。でも、それ以上にね。ボク達は六原という企業の人間だ」

 日詰さんは顔を近づけて言う。日詰さんの赤い瞳が、凝固した血液のように黒く濁って見えた。かさぶたが張り付いているようだった。

「ボクは科学者で、キミはつい最近高校を卒業したばかりで、今も高校に通ってはいるが、それでも立派な社会人で、サラリーマンだ。組織に属している以上、その組織の利益を第一に考え行動しなければならない。そして、お嬢様は六原にとって不利益だ」

 おじさんは定期的に昔の知人を興信所で調べていると言った。そうでなくとも、親父の近況を調べやすくするためだけに自社で発行している最高ランクのクレジットカードを持ってきた。恐らく、親父以外の知人にも一番の友人だからと声を掛けて配り歩いたのだろう。

 そんなおじさんが、不登校の詩亜の事を快く思っているはずが無いのだ。財閥トップの娘が不登校? 俺や親父が悪さをする何倍ものスキャンダルだ。

「別にボクたちはお嬢様が雀宮君のように、芸能人として振る舞って欲しいと思っているわけじゃない。ただ、普通の子供のように生活してくれればそれで十分だ」

 けれど、普通の子供でなければいらないらしい。

 ただ、スキャンダルにならない、六原にとって引け目にならない存在。そうでなければ詩亜は邪魔ものなのだ。

「不登校や引きこもりというのは現代の技術ですら解決できないものだ。この世紀の天才科学者、日詰珠玖を擁する大財閥、六原ですら解決できないほどのね。だから、こういって無理やりにでも解決していくしかないのさ」

「その結果、詩亜がどうなるかわからないのに?」

「最悪、ボクが薬を開発するさ。どんな鬱もたちどころに直し、引きこもりも活動的になる夢の薬。その名もナーコティック、性転換薬を開発した私ならきっと作ることが出来るだろう。はっはっは」

 笑い事じゃない。Narcotic、つまり麻薬じゃないか。日詰さんなら作れてしまえそうなのが一層笑えない。六原を犯罪企業にするつもりか。

「もし反対するなら、大概案を出したまえよ。大概案を出さずに反対だと叫ぶのは小学生の帰りの会だけで十分だ。私達社会人のすることじゃない」

「それはありませんけれど……」

 けれど、六原の行動は許容できない。

「まぁ、安心したまえよ。さっきは強い言葉を使ったが、我々だってお嬢様を殺したいと思っているわけじゃない。そんな事は全力で阻止するさ。ただ、ボク達はお嬢様に普通の生活を送ってほしいだけ。それはキミも同じだろう?」

 勿論だ。詩亜が不登校なのと同じだけ、詩亜が死ぬことだって六原のスキャンダルになる。詩亜は簡単には死ねない。本人の意思とは関係なく、何が何でも、普通の生活を送ることが出来るようにサポートされるだろう。

「それとも何か、キミにはお嬢様がSNSを更新しなくなることで困ることがあるのかい?」

 勿論、ある。

 こんなことになったのは俺が詩亜にSNSを教えたことが原因で、日詰さんが言うようにSNSの更新を無理やりにでも止めたほうが良いだろうことはわかっている。けれど、俺は詩亜にSNSを辞めてほしくないと考えている。

 俺が瀬峰灯夜として接することが出来るのはSNSを通じてのみだからだ。

 夏に泳ぎに行く約束を詩亜としたけれど、その約束が果たされることは無いだろう。俺は決して詩亜と会うことが出来ない。なぜなら、詩亜の投稿が全て嘘っぱちであることが分かるから。

 詩亜が月夜と会うことを拒否したように、俺と直接会うことはしないはずだ。だから、俺はSNSを通じてでしか詩亜と接することが出来ない。

 嘘で塗り固められた、偽物の詩亜としか繋がる事が出来ない。俺が瀬峰灯夜として詩亜と関わる事が出来るのは、SNSを通じてだけだ。だから、詩亜にSNSは辞めてほしくない。

 けれど、そんなことを日詰さんには言えない。俺がずっと黙り込んでいると日詰さんは小さくため息を吐いた。

「キミに猶予をあげよう」

「猶予……詩亜からSNSを取り上げるのを待ってくれるってことですか?」

「そうだ。お嬢様が使っているSNSは一番メジャーなアプリ。買い取るにしても色々手順を踏まなくてはいけない。まずは社内で会議を通し、決して安くない予算を承認させ、相手の企業と話し合いを――そうそう。その前に相手の企業を弱体化させる工作も仕掛けないといけないね」

 六原は確かに驚くような大企業で、世界に与える影響だって計り知れない財閥だ。しかし、詩亜が使っているアプリの運営会社だって世界情勢に影響を与えている大企業。買い取りは楽に進まないだろう。もしかしたら難航するかもしれない。一年、いやそれ以上の猶予だって――

「大体、来週までには買い取ることが出来るだろう」

「来週!? 一年とか、半年とか、そんな次元ですらないじゃないですか!」

「兵は神速を貴ぶのだよ。可及的速やかに。それが六原のルールだ」

 速やかすぎる。神速と言うが、神様だって裸足で逃げ出すような速度だ。

「その試算は信用出来るんですか?」

「この試算はボクが行った」

 いくら六原といえども、そんなわけあるはずがない。そう思ったが、日詰さんは数字と理論にだけは絶対の信頼がおける。その日詰さんが試算したとなれば、そうなのだろう。

「具体的には、今日の午後には会議で承認が下りる。実は、工作活動自体は以前から行われていたんだ。今日の夜には買い取りの交渉を……」

 流石創業者の一代で世界的な成長を遂げた大財閥。この行動の速さは間違いなく急激な成長の一因だろう。けれど俺にしては困るだけ、あと一週間もしないうちに詩亜との関りが途切れる……?

「キミには来週までの猶予期間を与えよう。来週の月曜日、お嬢様が学校に来るかどうか、それによってお嬢様のアカウントを消すかどうか決めようじゃないか」

 詩亜は月曜日学校に来ない。つまり、猶予期間は火・水・木・金の四日。たったそれまでの間に引きこもりから脱却させる。

 そんなこと、一介の小市民である俺が出来るとは思えない。

 それこそ、夢と理想を自在に描き出す薬でもない限り。


「詩亜さん。ごきげんよう!」

「灯璃さん。ごきげんよう。その……今日は元気ですね?」

 楽しい学校生活の始まりは挨拶から。

 そんな挨拶強化週間のスローガンに似た物を内心に掲げ、詩亜に俺史上、一番の笑顔を向ける。

「詩亜さんと土、日、月、火と四日も会えなかったので。詩亜さんの顔が見られて嬉しいんです」

 今日は水曜日。火曜日、詩亜は学校を休んでしまった。日詰さんは来週までと制限時間を付けたが、そんなこととは関係なく、詩亜の限界が間近に迫っていたのだ。

 ただでさえ短い制限時間が短くなってしまったが、ここは嘆くよりも水曜日は学校に来てくれたと喜ぶべきだ。なんたって、今日も休んでこのまま引きこもっていてもおかしくはなかったのだから。

「ごめんなさい。少しその……体調が悪くて」

 誰も責めていないのに詩亜は少し困ったような顔をして謝罪の言葉を口にする。

 休むことが後ろめたくて、良くないことだと思っているんだ。それならまだチャンスがあるはずで、更生出来るはず。

「体調が悪かったなら仕方ないですけれど、その間詩亜さんと会えなくて灯璃、寂しかったです……」

 月夜と同じように上目遣い――は女性としては高い身長の為出来ないけれど少しだけ高い声を出してしょぼんと落ち込んだ雰囲気を作る。

 これが月夜から学んだぶりっ子術だ。可愛い女の子が自分のせいで落ち込んでるとなれば嫌でも学校に来たくなるはずだ!

「あっ、そう、なんですか……」

 けれど、そう思っていたのは俺だけのようで、詩亜は半歩俺から距離を取る。

 くそ、やはりカッコいい系の灯璃で月夜のような可愛い系をやるのは無理があったか。

 方針転換だ。俺は日詰さんから預かった詩亜が休んでいた間のプリントを持ってくる。

「詩亜さんが休んでいた間のプリントです」

「うん、ありがとう……」

「このプリントは急ぎで、このプリントは日詰先生ですから待ってくれると思います。これは……」

 溜まっていたプリントを一枚一枚説明する。これがひよこから学んだ世話焼きお姉さんのスキルだ。ぶりっ子よりも灯璃の容姿には似合っているはずで、優しい世話焼きの美人が居れば学校に来るのも楽しくなるはず!

「灯璃さん、ありがとう。私、結構休みがちで、その後に学校に来るのは憂鬱だったりしたのですけれど、気が楽になりました」

 早速効果があったのか、距離を取っていた半歩分、詩亜は距離を詰めてくる。

 それが嬉しくて、俺はついつい更にひよこっぽい行動を取ってしまう。

「オーッホッホッホ! なんでも頼ってくれていいのですわよ!」

「えっ、何でそんな笑い方なんですか」

 数歩分、詩亜は俺から距離を取る。なぜだろう。俺は現実世界との距離がそのまま詩亜との心の距離な気がした。

 その日、詩亜は俺を避けるように行動し、それ以上のやり取りは無かった。


「馬鹿か。キャラを変えすぎだ」

 正座をしている俺の前で日詰さんはその小さな体を出来る限り大きく見せるため、みかんと書かれた段ボール箱の上に立ち、仁王立ちをしていた。

「月夜君の方はまだいいが、なんなんだ。あの雀宮君のモノマネは。芸歴半年のイロモノタレントの方が上手だぞ」

「いや、ひよこのキャラっていうとあの特徴的な笑い声かなと思いまして」

「雀宮君があの笑い方をするのはテレビの前か下級生の前、つまりそのイメージを求められている時だけでそれ以外は普通だろう。それはキミが一番知っていると思っていたが」

 ひよこがあんな昭和風の笑い方を俺の前でしたのは入学式のあの日だけだ。どうしてと一度聞いてみたら「変な笑い方でしょう」と苦笑交じりに返された。

 あの笑い方はひよこを傲慢高飛車なお嬢様像とイメージしている人相手にだけしているらしい。あの上手に作られた工芸品のような縦ロールも、毎朝時間を掛けてセットしている。かなり面倒だと寝坊した日のひよこがぼやいていた。

 恥ずかしいから見ないでとひよこに言われたが、無視して動画アプリで検索したら、ひよこはテレビの中では世間が想像するテンプレートなお嬢様ぶっている事を知った。

「月夜君の方だって、あのかわい子ぶっている動作は長年他人に愛されることを考えた結果自然と身に着いたものだ。見よう見まねで出来るものじゃない。女子を舐めるなよ!」

 俺は今女子なのだから、舐めるもなにも無いだろうとは思ったが、口には出さなかった。

「キャラを変えすぎたせいでお嬢様は気味悪がって、キミから距離を取るようになったんだ。わかっているのか」

「はい。ですが、明日こそは必ず成功させて見せます!」

「本当に、約束できるな?」

「はい!」

 日詰さんの質問に俺は元気よく答える。

 きっと出来るはずだ。なんたって明日は詩亜と放課後に出かけるのだから。

 今日一日避けられていた俺は、当然そんな約束を交わすことなんて出来ていないのだけれど。


 放課後の詩亜の行動は早い。

 日詰さんのHR終了の挨拶が終われば、荷物を持ってすぐに駆け出してしまう。その動作はまさに神速。兵は神速を貴ぶが六原のルールだと日詰さんは言っていたが、その六原の娘らしい行動の速さと言える。

 その詩亜を捕まえて「一緒に遊びに行きましょう」なんて誘うのは無理だ。だから、俺は先回りすることにした。

 いつものように詩亜はHRが終わるや否や教室を駆け出し、校門の前に止まるリムジンに転がり込む。

「ふぅ、今日もなんとかやり過ごすことが出来ました……」

 そのリムジンの中で詩亜は一息つく。いつも通り、自分のリムジンに乗ったことで安心していて、隣に座っている俺に気が付いていないようだ。ここはそっと声を掛けて気付かせてあげるのが優しさというものだろう。

「詩亜さん。そんなに息を切れせてどうしたのですか」

「えっ、あ、あ、灯璃さん!? どうしてここに!」

 詩亜は驚きのあまり飛び上がり、リムジンの天井に頭をぶつける。鈍い音をだしたかと思うと、頭を押さえて座り込んだ。

「詩亜さん! 大丈夫ですか?」

「大丈夫です! あっ、もしかしてここ、灯璃さんの車でしたか。ごめんなさい、間違えちゃいました! ――あれ、開かない!?」

 詩亜はリムジンの扉を開けようとするが、ロックがかかっているから開かない。それは運転席でのみ解除が可能なもので、どれだけ開けようとしても開かない、

「いえ。このリムジンは確かに六原の――詩亜さんが通学に使っているもので間違いありませんよ。では、花巻さん。車を出してください」

 俺が運転手の花巻さんに声を掛けると、彼は無言で頷いて車をゆっくりと発進させた。

「花巻はうちの運転手で、その花巻が明璃さんに従っていて、っていうか灯璃さんはどうやって車の中に? 私が一番早かったはずなのに。えぇ~~っ」

 詩亜は手を頭の上に乗せたまま目をぐるぐると回している。混乱しているようだ。一つ一つ説明してあげる必要がありそうだ。

「まず、私が詩亜さんよりも先にこの車に乗っていたのは私がHRに参加していないからです。日詰先生に頼んでサボらせてもらいました」

 当然日詰さんは協力者なのでそんな芸当が可能だ。

「花巻さんに関してですけれど、実は私、どうしても詩亜さんと仲良くなりたくて茂樹さんにお願いしたのです」

 詩亜と遊びに出かける約束なんてしていない。だからこうして拉致まがいの手法を取ることにした。

 本人以外の全てが了承済みの拉致。間違いなく成功する仕掛けだ。

「どうぞ、これ。茂樹さんに繋がっています」

 俺が差し出したスマホを詩亜は恐る恐る受け取り耳を付ける。

「――お父さん? ――うん。――わかった」

 詩亜の声は小さく、どんな会話をしているのかしっかりと聞き取ることは出来ない。

 通話が終わった詩亜はおずおずとスマホを差し出した。抵抗するのを諦めたような暗い顔だ。

「お父さんが、灯璃さんと出かけなさいって」

「そうこなくっちゃ」

 おじさんにまで時間を割いて貰った。今日で詩亜を心変わりさせなくてはいけない。


 俺と詩亜を乗せたリムジンはこの辺りで一番大きな商業施設が集まっている場所に止まる。

「ほら、詩亜さん行きましょう」

 詩亜の手を取って車から出る。

 高級車から女子高生が二人出てきたからだろうか。それとも、俺と詩亜の見た目が麗しいからだろうか。道行く人々は俺達へと視線を向ける。皆が俺達二人を見る。俺達を注目する。

「私、日本の女学生がどうやって放課後遊ぶのか、ちゃんとリサーチしてきましたから。ほらほら、あそこで飲み物を買いましょう」

 この注目の半分は俺だろうけれど、もう半分は詩亜だ。詩亜は同性でさえも見ほれるほどに美しく成長した。普段は部屋に引きこもって、休日はほとんど外に出ていないらしいけれど、こうして外に出れば詩亜は視線を集めることが出来るくらい可愛いんだ。

「少し並びますけれど、それも楽しみの一つだって聞いています」

 詩亜の手を引いて、その行列の末端に加わる。

 SNS中毒の詩亜にとって、この注目は嬉しいものだろう。

 だって、目立ちたくてSNSの更新を続けているはずだ。承認欲求が止まらないから学校を休んでまでSNSの更新を続けているはずなんだ。

 麻薬が無いと解決しないのであれば、与えてやればいい。詩亜の承認欲求を満たしてやればいい。SNSの魔力に勝ち得るものは、現実の注目。承認欲求は贅肉のように無限に肥大するものだけれど、ならその方向性を変えてやればいい。インターネットの人気者じゃなくて、現実で認められていと思わせればいい。

「詩亜さんはこっちの味ですよね。はい、どうぞ。写真撮りましょう。写真! 日本の女学生はそうしてSNSで更新するのですよね」

 そのはずなのに、詩亜はその誰もが羨むはずの美しい顔立ちを、背筋を丸めて視線を下に固定することで隠してしまっている。

 照れているのだろうか? SNSで反応を貰っていても、現実でこう注目を浴びるのは初めてだろう。俺は詩亜の背筋を伸ばしてやって、その若い女性に人気があるという飲み物と、俺と詩亜のツーショット写真を撮る。

「絶対、この写真を詩亜さんのSNSで更新してくださいね」

 それでも、詩亜がインターネットの人気者を諦めないのならば、それでもいい。ただ、あの加工を辞めさせればいいんだ。加工じゃなくて本当の写真を使うようになればいい。本物の写真でSNSの更新をするなら学校に行ってコミュニケーションを取らなくてはいけないだろう。それは六原が望む詩亜の姿だ。

 俺はその後、詩亜の手を引いて商業施設の中を回った。

 幼い頃、そうしていたように俺は詩亜の手を取って連れ歩く。幼い頃と同じように、詩亜はたどたどしい足取りで、俺の後を付いてくる。

 緊張していたのか、照れていたのか、最初は口数が少なかったけれど、詩亜は少しずつ口を開くようになって、それなりに笑顔を見せてくれるようになった。

 楽しんでくれていたと思う。その証拠に、去り際詩亜は笑顔で「楽しかった」と言ってくれたから。

 だから、きっと、おそらく、この方向性で間違っていないのだと思う。

 その楽しさが、詩亜を傷つけていたなんて、その時の俺は知る由もない。


「今日はここです! もう二泊三日で二人分、ホテルの予約も取っています!」

 金曜日の放課後も、昨日と同じような方法で拉致して詩亜を無理やり連れてきた。

「まさかこんなところに灯璃さんと来ることになるとは思いませんでした」

 俺と詩亜が来たのは国内最大級の大型テーマパークだ。俺たち以外にも制服で歩いている高校生の姿がそれなりに見受けられる。

「詩亜さんは私とここに来るのが嫌でしたか?」

「そんなことはありません! 嬉しいですけれど、どうしてここに来たのかと」

「それは勿論、日本の学生は放課後、制服のままこうしてテーマパークで遊ぶと聞いていたからです。詩亜さんとこうして来ることが出来て良かったです!」

「そういうのって、現役生よりは大学生くらいの人がやっているイメージがありますけれど……。灯璃さんは帰国子女なんでしたっけ? その日本観はどこで得たものなんですか」

 勿論SNSだ。詩亜が使っているものは勿論、その他のSNSも使い、一般的な女子高生を調べた。

「それに、どうして二泊三日……」

「折角週末ですから、お泊りできる方が楽しいじゃないですか」

 俺は詩亜の手を引いて、ゲートに入る。

「お泊り用の物はホテルに送っています。ですから気兼ねなく。さ、私と遊びましょう!」


 平日といえども週末で、流石大人気テーマパークと言うべきかかなり込んでいた。

 放課後から来たこともあってほとんど遊べなかった上、インドアな詩亜は少しアトラクションを遊んだだけでへとへとに疲れてしまっていた。

「うう……、もう疲れました。寝る。すぐに寝ます。おやすみなさい」

 詩亜が疲れていたようだから、少し早めに切り上げてホテルに移動することにした。セミダブルのベッドに詩亜は頭から飛び込む。

「制服に皺が付いてしまいますよ」

 俺は苦笑しながら詩亜が飛び込んだベッドに腰かける。

 本番は明日明後日だし今日はもう十分だろう。今日は幾つも詩亜と俺の写真を撮った。詩亜のアカウントを確認すると、しっかり投稿されていた。疲れたと言っているが、こういうところはきっちりとしている。

『きょうは友達とテーマパークに行ったよ! 制服で少し緊張したけど楽しかった。明日も明後日も遊ぶみたいで楽しみ!』

 可愛らしい顔文字と一緒にそんな文章が投稿されている。一緒に投稿されている画像まで見る必要は無いだろう。俺と一緒に撮った写真のはずだ。

 自分ことで少し恥ずかしいのだけれど、正直なところ灯璃は美人だ。その灯璃と詩亜のツーショット。そして場所は人気テーマパーク。昨日の投稿の反応はまだ確認していないが、今日の投稿は普段よりも反応は良いものになるだろう。

 それによって詩亜が灯璃との写真を求めるようになったら上々だ。灯璃と仲良くするには学校に通うしかない。

「あれ、灯璃さんは自分の部屋に行かないんですか」

 ベッドの上に寝転がったまま、詩亜は顔だけをこちらに向ける。

「どういうことですか? 私は今、自分が借りた部屋に居ますけれど」

 お互い、少しだけ首を傾げる。きっと頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいる事だろう。

「えっと、そうではなく、詩亜さんが今日寝る部屋です」

「ええ。ですからここがそうです。私は今日、今詩亜さんが寝転がっているベッドで寝ます」

 詩亜は背後にきゅうりを置かれた猫のように飛び上がる。

「えっ、あっ、すみません。ここ、灯璃さんの部屋だったんですね。自分の部屋に移動します!」

「いえ。ここは詩亜さんの部屋でもありますよ。他に部屋は取っていません」

 また、お互いの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。何か二人の間で齟齬が起きている気がする。

「二人分、ホテルの予約を取っているのでは……?」

「はい。ですから一部屋二人で」

「ベッドが一つしかありません」

「はい。少し大きめでセミダブルの部屋を取りました」

 まだ詩亜は分かっていないようだ。俺は二人の間にあった齟齬の正体に気が付いたので、飛び上がった詩亜を倒してベッドの上で寝転がした後、俺も同じように、向き合うようにして寝転がる。

「今日、私と詩亜さんは、同じ部屋で、同じ所で眠るんです」

 ~~! と、声にならないような叫びをあげながら詩亜は飛び上がってベッドから降りる。

「え、同じ部屋、同じベッド、どうして!?」

「どうしてって、節約したいじゃないですか。学生同士のプチ旅行ですから、こういったところで節約しましょう」

「な、なら私が出します! 私がお金を出しますからもう一つ部屋を取りましょう!」

 詩亜は財布から黒のクレジットカードを取り出す。俺が持っているものと同じ、六原が発行している最高ランクのクレカだ。俺と同じように、きっとなんだって買えてしまうのだろう。

「今日は私の我儘で詩亜さんに来てもらったのです。詩亜さんにお金を出してもらうなんて出来ません」

 まぁ、俺が出すにしろ詩亜が出すにしろ出所は同じ六原なわけだけど。

「それに、今から部屋は取れませんよ。さっき確認したら部屋は全て埋まっていました」

 これは嘘だ。幾ら週末といってもホテルの部屋が満室だなんて事は無い。けれどそれを知ってしまえば詩亜は一人で部屋を取るだろう。

 ただでさえ残された時間は少ないんだ。睡眠時間さえも詩亜と仲良くなるために使いたい。

「ろ、六原の力を使って無理やり部屋を変えさせましょう。部屋をもう一つ取ることは出来なくても、ツインベッドの部屋に変えてもらうことくらい……」

「六原系列のホテルならそれも出来るかもしれませんけれど、ここは雀宮系列のホテルですから難しいでしょうね」

「どうしてうちのホテルじゃないんですか!」

 詩亜が我儘を言って俺たちの計画を台無しにしないためだ。

「お姉様にクーポンを貰ったので」

 勿論、ひよこに頼んで六原のお嬢様の買収を受けないようにと、ここのスタッフには言い含んで貰っている。

「わ、私。寝相が結構悪いんです」

「私は眠りが深いタイプなので気になりません」

「歯軋りとかしちゃうかも」

「では耳栓をしておきますね」

 鞄から耳栓を取り出す。中には他にもアイマスク等、詩亜の言い分を回避するための道具が入っている。

 何年幼馴染をしてきたと思っているんだ。詩亜の言いそうなことなんて大体わかる。

「それとも、詩亜さんは私の添い寝では満足していただけませんか?」

「う、ぬぬぬ……」

 出来ないとは言えないのだろう。その代わり詩亜は少しだけ頬を膨らませて、抗議の視線を俺に向ける。

「ごめんなさい。次はちゃんとツインベッドの部屋を取りますから」

 そんな表情を俺に見せてくれるくらい、詩亜は俺に気を許してくれているらしい。

 それが嬉しくて俺は微笑みながら人差し指で詩亜の頬を突いた。ぷしゅーと血色の良い唇の隙間から空気が漏れる。

「約束ですよ? 次は、絶対にそうしてくださいね」

 そうして俺の小指と詩亜の小指は絡まる。この約束は、守ることが出来る約束だろうか。もう、詩亜との約束を違えたくはない。

 その晩、俺と詩亜は両手を握り合って、おでこをくっつけるようにして眠った。

 幼いいつか、そうしていたように。


『明日も明後日もってことは、友達と泊りなの?』

『うん、そうなんだけどね、灯夜君。聞いてよ~! その友達が間違えたみたいで部屋を一つしか取ってなかったの』

『それは大変だな。ちゃんと寝れそうか?』

『うん。大きいベッドだったからそれは大丈夫だと思う。でも、その友達物凄い顔が良いから耐えられるか心配だよぉっ』

『はは、なんだよそれ。寝不足にならないよう、ちゃんと寝るんだぞ』

『わかってるよぉ』

『でさ、その友達の事なんだけど、何か困ったことは無い? それと、明日どんなところを回りたいとかある?』

………

……

『今日は昨日行けなかったところに行ってきたんだけど楽しかった!』

『楽しそうで良かったよ。一緒に行った友達と楽しめた? その友達で困ったことは無かった?』

『今日ずっとそればかり聞いてくるね? 楽しかったよ! その友達、私一番の友達だもん!』


 二日目、土曜日の夜、ホテルのエントランスで詩亜とのやり取りを読み直す。

 最近は詩亜とやり取りをして無かったのだけれど、昨日の夜から連絡を取るようにした。詩亜が明璃をどう思っているか確認するためだ。とりあえず悪くは思われていないし、灯璃の行動はそれなりに詩亜の望むようになっているはずだ。

「順調だな。ふふふ……」

 日曜日の最後に、最近休みがちな詩亜が気になっている。出来れば月曜日、休まずに学校に来て欲しい。一緒に居るときっと楽しいから、毎日学校に来て欲しい。そう伝えよう。それで詩亜の不登校が完全に治るとは思ってないけれど、ひとまずの応急処置にはなるだろう。夏休みに入る前までは登校してくれると思う。それ以降は、夏休みに考えよう。

「何お嬢様とのやり取りを見てほくそ笑んでいるんだ。気持ち悪い」

 丸めた紙で頭を軽く叩かれる。頭上を見上げると日詰さんの顔があった。頑張って背伸びをしている姿が愛らしい。

「どうしてここに?」

「未成年二人でホテルの予約が取れるわけがないだろ。三人二部屋、ボクとキミとお嬢様で予約しているんだ」

「そのあたりはひよこが何とかしてくれるって言っていましたけど」

 何とかするというのは未成年二人で予約を取れるようにするのではなくて、保護者に連絡しておくという意味だったのか。

「それで、お嬢様とのやり取りを見てどうしてニヤニヤしていたんだ。傍から見ていたが、かなり気持ち悪かったぞ」

「見てないで声くらいかけてくださいよ」

 日詰さんは俺の向かい側の席に腰掛ける。

「好きな人とのやり取りを見返している男が世界で一番気持ち悪いよな。連絡を送った際の既読の速度でバレるぞ。何、こいつ私のメッセージずっと見ていたのって」

「仕事で必要だったから見返していただけです」

「仕事を言い訳にする男も気持ち悪い」

「日詰さんは過去に何があったんですか?」

 どんな男性遍歴を得てきたんだ。少なくとも、全員ロリコンだったんだろうなということしかわからない。

「私の事はいいだろう。お嬢様は今何を?」

「風呂に入っていますよ。詩亜は風呂長いみたいなので外で時間潰していました」

「同性だから気を使わなくてもいいと思うけどな」

 日詰さんは納豆をかき混ぜるときのようにマドラーを使ってコーヒーを混ぜている。さっきから聞こえてくるじゃりじゃりしたと砂のような音は砂糖だろうか。

「それで、調子はどうだ? 猶予は明日しか残っていないが」

「順調ですよ。全く問題はありません」

「ふぅん? よほど自信があるんだな。ボクがキミと同じ状況ならもう諦めてしまっている。ボク達には教えていない秘策でもあるのか」

「秘策? そんなものありませんよ。ただただ普通に仲良くなってお願いするだけですけれど」

「それにしては随分強気だが。もしかして、もう諦めてヤケになっているのか?」

「……さっきから日詰さんの言いたいことが分かりませんけれど、諦めるって何のことですか。俺と詩亜は順調に仲良くなっていますよ。詩亜は楽しそうにしていますし、ほら、この通り灯夜が聞いても問題は無さそうです」

 灯夜と詩亜のDMを日詰さんに見せる。

 詩亜が灯夜とのやり取りで全く嘘偽りのないことだけを話すだなんてことは当然考えていないけれど、嘘を吐く理由もない。灯璃への軽い愚痴すらも無い。順調と言って差し支えないはずだ。

 けれど日詰さんは俺が差し出したスマホの画面は一瞥するだけだった。

「キミはお嬢様の投稿を見ていないのか」

「当然、見ていますよ。今日も楽しそうだったじゃないですか」

「文章だけでなく、ちゃんと写真も見ているのか?」

「写真?」

 そんなもの見る必要は無い。だって俺と詩亜とのツーショット写真が投稿されているはずだ。他に詩亜は写真なんて撮っていない。それ以外の写真が投稿されているはずがない。

 日詰さんから返されたスマホを受け取る。詩亜とのDMから、詩亜のマイページに移る。詩亜の投稿の一番上には、このテーマパーク一番の目玉である城を背後にして、二人で一緒に撮った写真が載せられていた。

 スタッフにお願いして撮って貰った写真だ。傾いた太陽が白い城と詩亜達の着ている制服を橙色に染めている。

 その写真に灯璃(おれ)の姿は無かった。

 俺がよく知っていて、そして何もしらないヤツが詩亜の隣、現実には俺が居た場所を占領していた。

 身長が高くて黒髪の、そばかすが目立つ女性。どことなく灯璃と似ているけれども、全く違う、赤の他人。

「平泉……」

 詩亜のイマジナリーフレンドが、俺の座を奪って我が物顔で鎮座していた。

「その反応だと今知ったみたいだね」

「これ、どうやって……」

 灯璃はパソコンなんて持ってきていない。こんな精巧なコラージュをどうやって作ったのかわからない。

「フォトショップだろう? キミと平泉さんの雰囲気は似ている。スマホのアプリで適当に加工すれば十分だ」

 確かに、よく見れば顔以外の部分は俺だ。制服も、靴も、手の形だって俺そのもの。

 ただ、顔だけが全く違っていて、間違いなく別人だ。

「最近のアプリは凄いからね。ボクの開発した薬のように、男を女のように見せることだって可能だ。キミたちは似ているからこのくらいの加工、短時間で済ませられるだろうね」

「どうしてこんな……」

 わざわざ加工までして、俺の顔を平泉と入れ替えた? そんな事をする理由がわからない。

「因みに、キミがお嬢様に嫌われているというわけでも無いよ。ボクの方からも確認しておいた。お嬢様がボクにも嘘を吐いるのなら、どうしようもないけどね」

 まさか、詩亜が明璃を嫌っているなんてそんなわけがない。今までの反応、行動、全て嫌っていては出来ないことだ。

「わからない、わからない、わからない……」

 大切な幼馴染の考えが、全く理解できない。

 ちらりと、助けを求めて日詰さんに視線を向けてみたが、肩を竦めてみせただけだった。日詰さんは俺の説得が成功しようとしまいと、どちらでも構わないのだ。

「一つだけアドバイスをしてあげよう。大人になると誰もが聞いておけば良かったと後悔する教師の忠告だ。わからないことがあればどうしたらいいのかな? キミは答えを知っているはずだよ」

 知っている? わからない事を知る方法なんて……

「さて、後は若い二人で解決することだ。大人のレディである私は今晩、キミ達の部屋を盗聴するなんて野暮な真似はしないようにしよう。もう眠いんだ」

 ふぁぁと日詰さんは大きな欠伸をする。時刻はまだ二十時。寝る時間まで子供なのかよ。


「詩亜さん。お話があります。ここに座ってください」

 ベッドの上で正座して正面をぺしぺしと叩くと、風呂上がりの詩亜は一度首を傾げた後、楽しそうな顔をして俺の正面に正座で座った。恐らく、何かの遊びだと判断したのだろう。

「これについて話があるんです」

 俺が差し出したスマホを見ているうちに詩亜の目は段々大きくなる。丸い瞳が、一層大きく開かれる。

「これ、どうして……」

 スマホのディスプレイが表示している画面は勿論詩亜のアカウント。ここ数日、俺と一緒に撮ったはずの写真が、全て別人にすり替えられて載せられている。

「制服とテーマパークのタグで検索をしていたら出てきたものです」

 詩亜はアカウントに鍵をかけて非公開にはしていない。だから検索すれば簡単に見つかる。顔も隠していないし、詩亜は自分の顔を別人になるほど加工していないから、知っている人が見れば詩亜のアカウントだと一目でわかる。

「詩亜さんのアカウントを勝手に見てしまったことは申し訳ありません」

 頭を下げたが、俺に対する逆切れのような言葉が降ってくる事は無かった。

 詩亜はわなわなと震えたまま、口をぱくぱくと開閉させる。声を出したいのだろうけれど、何を言えばいいのかわからないのだろう。

 詩亜が話しやすいよう、こちらから質問を投げてあげたほうがよさそうだ。

「まず、この女性はどなたなのでしょうか」

 俺は詩亜の隣にいる平泉の顔を一指し指でさす。

「えっと、平泉泉という方で……、私が作った、空想上の、人物です……」

 詩亜はしどろもどろになりながら何とかとなった様子で言う。

 下の名前は初めて聞いた。平泉泉。随分安直な名前だ。幼い頃――例えば、俺と別れた直後に作ったのだろうか。

「一緒に撮った写真。その私の顔を平泉さんの顔にして投稿した。ということでいいですよね?」

 今度は口を開かずに、詩亜は頷いた。

「どうしてこのようなことをしたのでしょうか?」

 わからないことがあれば、直接聞いてしまえばいい。だってわからないのだから。

 他人を思いやって、慮って、推測したとしても、何を考えているかなんてわかりようがない。直接顔を合わせていないインターネット上のやり取りなんて余計にそうだ。

 ひよこがそうしたように、俺は詩亜に直接聞くことにした。

 けれど、直接聞いたところで答えが返ってくるとは限らない。詩亜は口を開かず、頷いたりすることも無く、ただ正座をし続けた。

 柔らかいベッドの上でも正座は疲れる。少し足を崩したら詩亜はびくりと震えた。

「ごめんなさい。怖がらせてしまいましたか? ただ足が疲れたから崩しただけです。詩亜さんも辛ければ崩してくださいね」

「……はい」

 はいと言ったが詩亜は足を崩さない。まるでメデューサに睨まれたかのように固まっている。

 このまま詩亜を固まらせていても話は進まない。俺の方から話を進ませる必要があるだろう。

「このようなことをしたということは、詩亜さんは私が嫌いなんですか?」

「いえ、まさか!」

 石造のように固まっていた詩亜は、俺の一言で呪いが溶けたかのように動きだす。首と手を凄い速度で横に動かした。

「私の事は苦手で、今日までの事も煩わしいと感じていたというわけではないのですね?」

「はい! 寧ろ、灯璃さんは美しくて、格好良くて。どうして私なんかに構うのだろうと思うほどです。けれど……」

 末尾に近づくほど声が小さくなる。最後の方は、息も絶え絶えの虫の羽音の様だった。

「けれど?」

 けれど、何だというのだ。

 灯璃は美しい。可愛く成長した詩亜と並んでも遜色が無いほどだ。最初、俺が女になったことを認められなかった理由の一つに、美しすぎたこともある。俺が女になっただけで、ここまで美しくなるのかと。

 詩亜と共に写った写真をSNSにあげて何の問題も無いはずだ。寧ろその分、反応は良いものになるんじゃないだろうか。

「灯璃さんは、綺麗すぎるから……」

「はい」

「私が霞んでしまいます。灯璃さんの存在感で、私なんて目立たなくなって、希薄になって、見た人が忘れちゃいます」

 詩亜は自分が目立ちたくて、注目されたいから、自分よりも目立つかもしれない灯璃は邪魔だということか。

「私は詩亜さんにとって邪魔者だったということですか?」

 詩亜は頷かなかった。けれど否定もしなかった。

「灯璃さんといるのは楽しいです。これからも仲良くして欲しいと思っています。けれど、私のアカウントで灯璃さんを載せることは出来ません」

「私が詩亜さんより目立ってしまうかもしれないからですか?」

 詩亜はSNS中毒で、現実とインターネット上での違いを知られることを恐れて不登校になるほどの筋金入りだ。自分以外が注目されるなんて耐えられるわけがない。考えてみれば当たり前のことで、俺が今までやってきたことは逆効果だったというわけか……

「灯璃さんは美人だから、灯夜君が私の事を忘れちゃいます」

 灯夜? 詩亜の口から俺の名前が出てきた。俺がどうしたって言うんだ。

「灯夜君というのは、以前聞いた詩亜さんの幼馴染の男の子の事ですよね?」

「はい。私がSNSを始めたのは灯夜君に勧められたからなんです」

「それはまた、どうして?」

 俺は知っているはずなのに、素知らぬ顔で詩亜に聞く。

 詩亜は俺の事を他人に話せて嬉しいのか、少しだけ頬を紅潮させて、つっかえることなく話し出す。

「色々事情があって、私と灯夜君が離れ離れにならなくちゃいけなくなったんです。その時の私は情けなくて、泣いてしまって、おかしいですよね。別に、一生離れ離れになるわけでも無くて、会おうと思えばいつでも会えるのに」

 けれど、流暢に話すことが出来ていたのは最初の内だけで、段々と泣き声交じりになっていく。

「私がぐずっていると灯夜君が教えてくれたんです。これで元気な姿を見せてくれって。だから、私は元気だよ。あの時みたいに泣いてなんかいないよって色んな事を投稿していったんです」

「そうしていくうちに内容がエスカレートしていったということですか?」

「はい。――最初の内は軽い事だったんですけれど、中学に上がるころにはもうほとんどが嘘の内容でした」

 その内容を月夜に見られ、嘘が露見しそうになった。

「そうやっているうちに昔の知り合いとは会わないようになりました。嘘だってバレるから。別人だと言われたくないので。馬鹿、ですよね。灯夜君と離れたくなくて始めたのに、灯夜君とは完全に離れ離れになってしまいました」

 ぽたりぽたりと、ベッドの上に水滴が落ちる。

「もう灯璃さんには私が抱えているもの、全て話したいと思います。付き合ってくださいますか?」

「勿論、私は詩亜さんの友人だと思っています。詩亜さんが私の事を友人だと思ってくれているなら、話してください」

「実は私、不登校だったんです。中等部から進学組の皆さんは知っていることなんですけれど、灯璃さんは聞いていましたか?」

 灯璃は涙を腕で拭って、なんてことも無い世間話をするような笑顔を向けて言った。

 中等部の皆が知っている。入学式の日、詩亜に話しかける人がいなかったのはそれが原因か。一度辞めて入りなおした人間と積極的に関わりたいとは思わない。

「――はい。噂程度の話しか知りませんけれど」

 知らない振りをするのは簡単だけれど、詩亜と積極的に絡んでいる俺が詩亜に関する噂を知らないというのは無理がある。実際、俺は詩亜の事を調べていた時に詩亜は一度中等部を辞めた生徒だという話を聞いている。

「はは、噂ですか。私はその内容を知りませんけれど、きっと悪く言われているんでしょうね」

 そんなことは無い。特にいじめも何も無かったのに財閥のお嬢様がいつの間にか学園を辞めていて、なんでだろうね。しかも戻ってきた。といった程度の話だ。

「昔の知り合いがトリシュに通うことになったんです。嘘がバレる事を恐れた私は逃げ出してしまいました」

「でも、今はトリシュに通っていますよね? 高校で入学しなおしたのはどうしてですか?」

「珠玖――えっと、日詰先生の事なんですけど、私のホームスクーリングの先生であった珠玖が担任になって学校生活をサポートしてくれると聞いたので、今度は頑張りたいなと思ったんです。今度こそは理想の自分になろうと考えたんです」

 インターネット上の自分が嘘の存在なら、その存在になってしまえばいいと、そう詩亜は考えたわけだ。

「でも、結局私はダメダメで、全然理想の私になれませんでした……。ごめんなさい、詩亜さん。ありがとうございます。私と仲良くなりたいと言ってくれて、でも私は私になれなかったから、ゆっくりと消えようと思います」

 消える。それは中等部と同じように、不登校になって学校を辞めるということか。

「別に、理想の自分になれなくてもいいじゃないですか。学校に通っているだけで成長しています」

「でも、灯夜君はそう思いません。灯夜君は、あの私を私と信じているから。今の私なんて、私じゃないんです」

 違う。そんなことは思っていない。詩亜は詩亜だと叫ぶことが出来たらどれだけ楽だろうか。

 でも今の俺は灯夜じゃなくて、灯夜の事も知らない。灯夜の事を何も知らない灯璃が言ったとしても、詩亜にとってみれば何も知らないで何を言っているんだとしかならない。

 日詰さんが言うように、無理やりにでもSNSを奪ってしまえばいいんじゃないかとすら思えてくる。

「私が辛い時や悲しい時は助けに来てくれるって灯夜君と約束したんです。だから私は、常に灯夜君に見て貰えるような、完璧な自分を演じないと……」

 詩亜は拭った瞳からまた涙をこぼし始める。

 辛い時や悲しい時って言うのは、今じゃないのか。幼馴染の男の子に見捨てられないよう、必死に理想の姿を演じて、現実の自分とのギャップに苦しんでいる。

 こんな詩亜を助けるために俺はいるはずだ。けれど、ただ詩亜を見ている事しか出来ない。俺は瀬峰灯夜じゃなくて、瀬峰灯璃だから。お姫様を助ける王子様にはなれない。何も知らない、ただのエキストラに過ぎないから。

 そして、詩亜を助けなくてはいけないはずの灯夜は、今詩亜を苦しめている。俺が教えたはずのSNSと、俺に見捨てられるかもしれないという気持ちが、詩亜を追い詰めた。

 約束を破った男の物語のオチは、自分自身が女の子を苦しめていた。そして自分は今女で、何をすることも出来ず、女の子が泣いているのを見ている事しか出来ない。そんなものなのか。

 俺はひよこを振って、月夜との縁すらも切った。何もかも捨てて、詩亜の為ならなんだってするつもりだったのに、そんな物語の結末がこんなものなのかよ。

「灯夜君に見捨てられたくないよぉ……」

 何もせずにただ詩亜を見ていると、詩亜は灯夜に捨てられたくないと、ただうわ言のように繰り返す。

 昔のように、手の甲で目を拭う詩亜を見て思いつく。

 ――ああ、そういえば捨てるものはまだあったな。

「男との連絡で詩亜さんが苦しんでしまうなら、そんなもの辞めてしまいなさい」

「でも、それじゃあ、本当に私がつらい時、泣いちゃったときに、灯夜君が来てくれない」

 今、泣いているほど辛いのに。理想と現実のギャップで、学校に通えなくなるほど苦しいのに、詩亜は本当に辛い時と言う。きっとそれほどまでに灯夜の事を大切に思ってくれている。

 一度裏切ったのに。学校を辞めるほど苦しんで、悩んだのに。俺は詩亜を助けなかったのに。

「なら、私が詩亜さんを守ります」

 ごめんな、詩亜。今度は絶対に違えないから。

「そんな詩亜さんが今苦しんでいて、泣いている事に気が付かないような男は放っておいて、今目の前の私を信じてください。私なら、詩亜さんを守れます。辛い時や悲しい時に傍にいることが出来ます」

 今度は、絶対に君を苦しませない。本当に近くで、君を守る。

「でも……」

 そんなこと言われても詩亜は信じられないだろう。一度裏切られてしまっているのだから。俺が裏切ってしまった。

 なにか、詩亜を納得させる物が必要だ。絶対に裏切ることが無い。契約のような物が――

そういえば、この学校において姉妹の契りは絶対だそうですね」

「えっ……?」

 俺の発言の意図を測りかねているようだ。当然、大切な話をしているはずなのに、全く違う話を振られたのだから。

「詩亜さんと姉妹の誓いでも結べればいいのですけれど……私たちは同級生ですから結べませんね」

 俺は昔と同じように手を取って、座り込んでいる彼女と目線を合わせる。

「ですから、恋人の誓いを結んでしまいましょう」

「こ、こい……!?」

 詩亜は顔を真っ赤に紅潮させて言葉を詰まらせる。

「そうすれば私は詩亜さんを守れます。絶対に悲しませたりはしません」

 俺は詩亜に顔を近づける。詩亜は更に顔を赤くした。

「でも、恋人って……」

「別に、本気で恋人同士になろうって話ではありません。お遊びのようなものでいいんです」

 彼女の白くて細い指に、同じように白くて細い俺の指を絡める。

「誓ってください。男のことなんて捨てて、私を選んでください」

 俺も男を捨てるから――

「そうしたら、私はあなたを守れます」

 君を守るのに、瀬峰灯夜(おれ)である必要なんてどこにも無い。

 俺の存在が君を苦しませるというのなら、俺は喜んで消え去ろう。

 だから、君を守るのは瀬峰灯璃(わたし)に任せる。

 君を守れる存在は、私しかいないから。

「子供のようなおままごとでいいんです」

 瀬峰灯夜じゃなくて、瀬峰灯璃を選んで欲しい。

 君の中から、灯夜(おれ)を消し去ってくれ。

「指切りげんまん」

 俺の提案に詩亜は驚いていた様子だったけれど、ゆっくりとたどたどしく言葉を紡ぐ。

「嘘ついたら――」

 それでもやっぱり彼女は、瞳に涙を浮かべて言い淀んだ。

「針千本飲ますっ!」

 だから、次の言葉は私が言い切った。

「大丈夫です、詩亜さん。私は絶対に約束を守るから安心してください」

 私は、彼女の頭を優しく撫でて抱きしめる。

 何回も繰り返してきた言葉。けれどもこれまでとは決定的に違う言葉。

 俺じゃなくて、私として。瀬峰灯夜じゃなくて、瀬峰明璃として。

 君にとっては初めて聞くと思うけれど、私達は何度も紡ぎ、何度も違えた約束。

 それでも今度こそは、君を守るよ。

 メールじゃなくて、直接君の言葉を聞く。写真じゃなくて、直接君の姿を見る。

 誰よりも君に近い場所で。瀬峰灯夜じゃいられない隣で。

「詩亜さんを守ります」

「なら、態度で示してください……」

 態度?

「言葉じゃ信じられません。だから、行動で示して……」

 詩亜のその言葉は当然の事だ。だって、瀬峰灯夜が何度も言葉だけだったから。助けに来てくれなかったから。何度も私が裏切ってしまったから。

 詩亜は別に白馬の王子様を望んでいたわけじゃない。ただ、優しく手を差し伸べてくれる男の子が欲しかっただけ。

 なのに、幼馴染の瀬峰灯夜(おとこのこ)は助けに来てくれなかった。

 言葉で何度も、約束したはずなのに。

「ですから、明璃さん。わかるでしょう……?」

 詩亜は目を閉じて、ほんの少しだけ顎を突き出す。

 いつからこんなにあざとくなったのだろう。私の知らない六年が、私の知らない彼女を作っている。

「仕方ないですね……」

 私の唇と彼女の唇がそっと触れ合う。

 誓いのキス。彼女を守ると誓う。

「叱られてしまいます」

 詩亜は触れ合った唇を指で押さえて、小さな声で呟いた。

 誰に叱られるというのだろう。もしこんなことで詩亜を叱る存在が居たとしても、それからも私は守って見せる。


 あの日以降、詩亜は灯夜(わたし)にメールを送っていない。少し寂しさも感じているが、私は学校で詩亜に会えるから問題ない。

「報われないねぇ」

「何がですか?」

 日詰さんはいつものようにコーヒーの中に砂糖をぼたぼたと入れている。その飲み物の名前はコーヒーではなく、砂糖のコーヒー漬けとするのが正しそうだ。

「君とお嬢様の事だよ」

 日詰さんはコーヒーを口に入れた後、もぐもぐと口を動かしている。じゃぐじゃぐと砂を踏むような音が聞こえてくる。一体、今まで何度虫歯治療をしてきたのだろうか。糖尿病も心配だ。

「ねぇ、君は自分がやらかしたことを理解しているのかい?」

「やらかしたことって何です。仕事しかしていませんよ」

 詩亜を守るために必要な事しかやっていない。

「お嬢様は六原の一人娘、遅かれ早かれ素敵な男性が宛がわれるだろうね」

「でしょうね」

 そう考えると灯夜で詩亜と連絡を取るのを辞めて良かった。きっと誰も幸せにならない。

「君はお嬢様にそんな男性が現れるまでの繋ぎでしか無い」

「最高です」

 それまで私は詩亜の最高の隣人としていられる。

「君は振られたって事を自覚している?」

「その代わり、灯璃(わたし)を選んでくれました」

「お嬢様の中から灯夜の存在を消してしまったことで、君がお嬢様と結ばれる可能性くなってしまった」

「最初からありませんよ」

 俺はただの一般人で詩亜は財閥のお嬢様。最初から住む世界が違った話。そう思い込むことにしよう。

「今までお嬢様を支えていた瀬峰灯夜は消えてしまった」

「知っていますか? 最近の流行りだと幼馴染って負けちゃうんです」

 幼馴染である灯夜じゃなくて、ぽっとでの灯璃が詩亜の傍でいる権利を得た。

「お嬢様も薄情だよな。灯夜君に見捨てられたくないなんて言っていたのに、顔の良い女に言い寄られてすぐ灯夜君を捨てた」

「ちょっと、それ遠回しに灯夜の顔をディスってません?」

 詩亜もあのままだとダメだって気が付いていたんだろう。けれど、灯夜を捨てる事は出来ない。何か灯夜捨てる言い訳が欲しかったんだ。たまたま、俺の提案が丁度良かっただけじゃないだろうか。

「ほら、報われない。金を捨てて、家族の縁を切って、女になってまで手に入れたものが仮初めの恋人か」

「ひよこの事を金っていうの辞めましょうよ」

 それに捨ててない。恋人とのお付き合いを断っただけで、姉妹としての繋がりは持っている。

「最近、性の形には寛容になってきている。勿論、結婚の形も。けれど、お嬢様は財閥の娘で、立場がある。君が男を捨てたら、絶対に幸せになれない」

「そうでしょうか」

 だって、私は惚れた女の子を誰よりも近い場所で守ることが出来る。

 例えどんな男が現れたってこの場所は譲れない。

 なにせトリシュ女学院の中は男子禁制、乙女の花園なのだから。

「私は、努力は報われるべきだと思っている。君にお嬢様の王子様になって欲しかった」

「白雪姫で言えば、小人でしょうか」

 本物の王子様が迎えに来るまでお姫様を守る立場。今の私にぴったりだ。

「バッドエンドだ」

「いいえ、ハッピーエンドですよ」

 だってほら、今の私はこんなにも幸せだ。

 惚れた女の子を、誰よりも近い場所で守れるのだから。

 今度こそはキミを守る。性別が変わったとしても。

                           

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今度はキミを絶対守る。たとえ女になったとしても ほしな @keseran_pasaran

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