この町には優しいおじさんがいる
尾高 凛斗
町の噂
「君、どうしたんだい?」
この町で密かに流れる噂話、正義のおじさん。
スーツと帽子を見に纏った、いかにも紳士そうな髭の大きいおじさんだ。
困り顔の人を見つけると穏やかな口調で声をかけ、そして決まってこう言う。
「何かあったらおじさんを呼んでね。いつでも助けに行くから。」
そして本当に助けてもらったと言う人もいれば、デマだったと言う人も。
その真偽も正体も、誰一人知らない。
俺も、その噂をなんとなくは聞いている。
と言ってもだんだん話を聞く機会も減ってきているし、本人は都市伝説のようなおふざけだと思っていた。
が、ある日
「君、どうしたんだい?」
彼が噂の正義のおじさん…
な訳ない。ただふざけているおっさんだろう。
(面倒くさい…何だこの人…)
「すみません、急いでるので。」
と言い、足早にそこを去る。
すると、おじさんがあの台詞を言う。
「何かあったらおじさんを呼んでね。いつでも助けに行くから。」
振り向きもせずさっさと離れる。
(はぁ…完全に変質者だろ…子供ならまだしも、大人がああ言う噂に乗ったおふざけをするのはどうなんだ?)
彼はせかせかと足を動かしながらも、なぜ自分が話しかけられたのだろう、と思う。
(…俺、そんな暗い顔してたのかな…)
心当たりが、無いわけではない。
俺の父は世界的に有名な医師で、医療技術の発達に多くの貢献をしてきた。
なのに、自分はまるで能がない。
父さんの息子なのに、自分とは天と地ほどの差がある。
みんな、「君は君なんだから。」
「別にお父さんのようにならなきゃいけない義務もないんだよ。」
「普通の人と比べれば充分優秀じゃないか!誇りなよ。」
だなんて言ってくる。
違う。みんなに認めてほしいからじゃない。
多くの命を救って、たくさんの笑顔を生んだ父に憧れた。
きっと自分もそんな人になれると思っていた。
でも…
「…」
ちらっと後ろを振り返る。
おじさんはもういない。
「何やってんだ…帰ろ…」
でも…もし本当なら、なんて思ってしまった。
ただのおじさんが長年の苦悩をあっさり解決できるなんて都合が良いことはないだろう。
「ただいま」
「おかえり、ラーグ。」
「…父さんは?」
「まだ部屋にこもってるわ。もう少しで今の研究が終わりそうなんですって。」
「わかった。飯の時間になったら戻ってくるよ。」
そう言って自室へ向かう。
父は近いうちに、再び世界を揺るがすかもしれない。
(…なのに俺は…!)
追いつこうと必死に勉強をすればするほど、自分の無知さと理解力の無さ、そして父の凄さを思い知り続ける。
自分が笑顔にした人など、両手で数えられるほどだろう。
(でも俺は諦めたくない…!絶対できる!みんなの役に立ちたいんだ!)
次の日、まだ肌寒い朝早くから外へ出かける。
休日は決まってこの時間に図書館へ向かうのだ。
「づっ…!?」
しかし家を出て数分後、突如何かに意識を奪われた。
…
「…れで一旦俺ら…」
目が、覚めた。
腕が縛られ、動かせない。
何もない、見知らぬ部屋の中だった。
ただ、そこにいる二人の人間を除けば。
「…!ここは?」
「お、起きたか。よう息子くん。」
「悪いが君は人質として捕えさせてもらった。お父さんに用事があるんでなあ。」
「父さん…?父さんに何をするつもりだ…!」
「なーに、君と引き換えに大事な研究成果を譲ってもらうのさ。」
どうやら、莫大な価値のある父の研究を狙った悪党に誘拐されてしまったようだ。
実際、金が目的でも名誉が目的でも、これほど役立つ物はそうそうないだろう。
「なんだと…!ふざけるな!あれは、父さんがみんなのために身を削って地道に作り上げた大事な…!」
「わりーな。俺たちの上の人がどうしても欲しいようでな。成功すりゃ、俺らもでけぇ報酬が貰えんだわ。」
「この…!」
片方の男がニヤリとしながら言う。
「良いこと教えてやるよ。お前の父さんは俺たちに研究成果を渡したら殺されんだ!この部屋に入ろうとしたところを後ろから…バーン!ってな?だから、親父さんが後悔と責任を背負いながら生きてくことはねえよ!良かったな!」
「ちなみにお前もな。悪いがここまで来て生きて返すわけにはいかない…けど、親父にすぐ会えんだ。良いだろ?」
声が、出せない。
父が殺される。さらに自分も。
「てか、ガキを狙うんじゃなくて直接本人を捕まえりゃ良かったんじゃねえか?」
「ああ…それ、俺もあの人に聞いたけど、本人をどうこうするよりも、家族を人質に取った方が確実に渡してもらえるってよ。こいつ、休みには決まって図書館に行くらしいから人気のないところで捕まえんのも楽だしな。」
(俺の…せい…?)
…無論、そんなわけはないはずだ。
私利私欲のためなら人を殺すのも厭わないこの極悪人どもが悪いに決まっている。
しかしこの時の俺の頭は、恐怖やら怒りやら謝意やらでぐちゃぐちゃになっていた。
死んでしまう。
自分だけでなく父も。
涙が溢れる中、あの人の顔が思い浮かぶ。
いつもだったらこんなこと絶対にしなかっただろう。
子供のように泣きじゃくりながら、叫ぶ。
「…助けてくれぇ!おじさんっ!」
…シーン、と静寂が訪れる。
「…あぁ?なんだ急に…残念だがここの壁は防音だから外に音は出ねーぜ。てか、お前に叔父さんなんていたのか?」
「ああ、あれじゃねえか?よく知らねえが、この町には助けを呼んだら来てくれるおっさんがいるんだとよ。昔からある噂話らしーぜ。」
「…くっ、ははっ!んだよそれ!一目見た時はそこそこ発展してると思ったが、そんな噂が流れてんのかよ!おもしれーなこの町!」
二人して笑いながらこちらを見る。
「しかも信じてんのかぁ?お前、良い年してよ。あんな天才の子なのにお前は馬鹿なんだな。」
ゲラゲラと汚い笑いが響く中、対照的に静かな声が聞こえた。
「…大事なこの町とその住人を馬鹿にするのはやめてもらおう。」
二人が同時に振り向く。
自分すら気づかないうちにあの時の忘れようもないおじさんが立っていた。
「っ!?おま…」
男は言い切る前に首に手刀を食らい、倒れる。
「ひっ…あ、あぁぁぁ!」
残った男はガクガクの足を必死に動かし、ドアから逃げ出す。
それを見届けると、おじさんはこちらを見て微笑みながら言った。
「大丈夫だったかい?」
「…本当に…ありがとう…俺、てっきりあんた…」
その刹那、声を遮って銃声が鳴った。
胸から血を流したおじさんが倒れる。
「…お、おじさん?なんで…何が…」
「おいおい…急にバカが飛び出してきたと思ったら…誰だあ?お前。どっから入った…?」
銃を携えた男が部屋に入ってくる。
先程聞いた、父を撃つ役目の男だろうか。
「つっても、胸を貫いてんだし死んだか?ったく…もうそろそろあいつが来るってのに…俺の大事な作戦を邪魔しやがって…」
俺の、ということはこいつが首謀者のようだ。
「おじさん…!そんな…そんな…嫌だ!」
(これも俺のせいだ…俺が…呼んだから…ごめんなさい…ごめんなさい…!)
心が自責の念に押しつぶされる。
謝ったところで何も変わらないと分かりきっているのに。
…しかし、彼は立ち上がった。
「は…?てめっ…!んでだよ!」
おじさんは男を睨みつけ、そのまま近づいていく。
「だっ…!来んな!来んじゃねえぇ!なんなんだてめえ!」
ダン、ダンと何発も弾を打ち込む。
しかし、いくら喰らおうとおじさんは止まらない。
その男にも血だらけの手で一撃を加え、気絶させる。
「お、おじさん…!」
こっちを向いて笑ってから、おじさんは倒れる。
「おじさん!…びょ、病院に早く…!いや…この傷じゃ…」
「うん…もう私は持たないよ。わかるんだ。…あぁ…やっぱり私の願いは叶わないのかな…」
涙を流しながらおじさんがポツリと言う。
「ね、願い…?」
「…良ければ…聞いておくれ…おじさんはね、昔戦争で焼け野原になったこの場所に緑を植え、人を集め、町を作ったんだ。」
「町を…作った?」
「みんなが笑っていた…お互いに助け合ってずっと平穏な日々だった…けれど…私は殺されてしまった…私を殺した青年はお母さんが病気で死んでしまっててね。町長である私がどうにかして薬をもらったり、偉い医者を呼べば良かったんだ、と言っていたよ。」
「そ、そんなの…」
「実際、私がもっと努力すれば彼の母は助かったのかもしれない。そうでないにしてもその後の対応で彼の心を救うことはできたはずだよ…でも…どうやら私は死ななかった。」
「え…?」
「生きてもないし死んでもないのかな…体はあるのに、誰も私だと気づいてくれなかったんだ。
…だけれど町の人たちが困っていると声が聞こえるようになった。他にも呼ばれればそこに行けたり、フッ、と姿を消せたり、不思議な力を手に入れたんだ。私はこれを神様が与えたチャンスなのだろうと思ってね…もう一度、みんなが笑ってくれる町を作るチャンスを。」
弱々しく息を吐きながら、おじさんさ笑って続ける。
「最初は大変だったよ。困った時は私を呼べと皆に言っても、見知らぬ男のそんな言葉にだれも耳を傾けないだろうしね。だから、困っている人には声をかけていくようにしたんだ。ずっとずっとみんなの役に立とうと頑張り続けてきた…けれど、もうダメなような気がしてきているんだ…いつまで経っても悲しむ人がいる。時が経つほど人々の不満は増えていく一方…正直、最近はもう心のどこかで無駄だとわかりながらやっていたよ…」
時間が経つほど、人も増える。
悩みも多く、複雑になり、文化や常識だって大きく変わっていく。
(噂を聞く機会が減ったのはそういうことだったのか…)
「…はは、心も体も限界を迎えたのかな…自分が消えていくのが分かるんだ…神様がくれた2個目の命でも、私は役目は果たせなかった…」
「そんな…待ってくれよ…!おじさんに助けられた人はたくさんいたはずだ!おじさんは…!おじさんがいないと…!」
「仕方ないんだ…力もないのに大それた願いを持ったのが悪かったのかな…」
「そんなことは…ないよ!…叶わない願いだと諦める方が、身の丈に合わない夢を叶えようとするよりも滑稽だ!…と…思う…」
自分のことを考えると、あまり堂々と言えない。
けれど、おじさんは悪くない。
みんなのためを思って直向きに努力を続けたのは誇るべきだ、と伝えたかった。
「…俺が!俺がやるよ!おじさんみたいに俺がみんなを笑顔にする!」
「…無理だよ…簡単なことじゃないし…君に私の願いを押し付けるわけには…」
「じゃあ勝手にやらせてもらう…おじさんだけの願いじゃない。俺もこの町は大好きだ…!優しいみんなのことだって!俺もみんなに悲しんでほしくはない!」
少し驚いた顔をしてから、ふふっと小さく笑う。
「…それなら任せ…じゃないな。君の願いを見届けてみるよ…」
すると、おじさんの体から小さな光の球が溢れ出てきた。
2人して目を丸くし、それを見つめる。
無造作に散らばっていく中、いくつかが自分の胸へ飛び込んでいく。
「これ…は?」
「なんだろう…ね…もしかしたら…神様はまた、この村を笑顔で埋めるチャンスをくれたのかな…?」
おじさんがニッコリと、今までで一番の笑みを浮かべる。
「頑張れ…君なら、出来るのかもしれない…もし行けたら、天国から見守るよ…」
「…ああ。任せてくれ。そっちでおじさんが心配なんてしないようにするから。」
フワッ、とおじさんの体が消えていく。
けれども、先ほどまで感じていた暖かい気持ちは残ったままだ。
「ラーグ!」
「っ!父さん!」
開いたままのドアから父が駆け寄る。
「父さん!大丈夫だよ…すぐここを離れて…あ、先にこいつらを引き渡すべき…?」
「ラ、ラーグ…一体これはどうしたんだ…?」
「え、ああ…」
倒れている2人の男に目をやってから、父の目を見て言う。
「おじさんが、助けてくれたんだよ。」
…
「なぁ、正義のお兄さんって知ってる?」
「あ、昨日妹から聞いた。有名なの?」
「らしいぜ。ラーグは?知ってる?」
「ん?あぁ聞いたことあるよ。」
あれから数週間。
友人と談笑をする、穏やかな時間を過ごしていた。
「それって結局、正義のおじさんと関係あんの?」
「さぁな。出会うことはおじさんより多いらしいけど、見た目もすることも大体同じなんだよな。でも、髭が生えてるのに声と顔は若々しいんだと。息子説とか、半端に若返ったとか…元々正義のおじさんも謎だらけだったしな。」
瞬間、椅子からガタッ、と立ち上がる。
「悪い。そろそろ帰るね。」
「あれ、用事?」
「うん。また明日。」
「勉強か?…親父さんに追いつこうと頑張るのは良いけど、無理しすぎんなよ。」
「大丈夫だ。…親父には絶対追いつくけどな。」
外に出て走り出す。
そして人気がないところに来てから指をパチン、と鳴らした。
服はスーツに変わり、頭には帽子、顔には髭が現れる。
俺は父とは違うやり方でも、同じくみんなを笑顔にしようと決めた。
「さて…こっちの方だね。」
家には向かわず、頭に響く声の方へ向かう。
「はぁ…」
俯き、ため息を吐く少年が一人。
その前に現れてから穏やかな笑顔を浮かべ、こう言う。
「君、どうしたんだい?」
この町には優しいおじさんがいる 尾高 凛斗 @rinto_odaka
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