フユコの目的
第15話 マンホール
「もうすぐフィンランドだよ」
フユコにそう、揺り起こされたのは覚えてる。
ただその日はどうにも寒くて、疲れて疲れて疲れ果てて、とても眠かった。一日のほとんどを寝ていたと思う。
そうして僕たちはいつの間にかたどり着いていたらしい。
僕たちの目的地、フィンランドへ。
「レーシはフィンランドのどこへ行きたいの?」
車の中で。フィンランドに入ったばかりの土地で寝支度をしながら。
フユコに訊かれて僕は困った。僕の旅の目的は、はぐれてしまったお母さんと妹と、お父さんのいるフィンランドで会うことだ。でもフィンランドのどこ? 僕はお父さんが建築関係の研究をしていることしか知らない。
僕が困っていると、フユコが、
「お父さんに会いにいくんだよね?」と訊いてきた。僕の旅の目的はフユコも知ってる。
「お父さん、どんな人?」
「学者なんだ」
僕はお父さんについて知ってることを話す。
「建築の勉強してる。ヒゲが生えてて、背が高くて……」
するとフユコはしばらく考えるような顔になってから、「OK、探してみようか」と強い眼差しでつぶやいた。僕は謝る。
「ごめん。これだけじゃ分からないよね」
するとフユコはやっぱり笑った。
「分からない方が楽しいよ。たくさん考えられるからね」
とりあえず、とフユコがマサヲの中のベッドを綺麗にする。今朝方食べたパンクズが落ちていたから、それを叩いて取り払う。
「はい、おいで」
寝る支度が整うと。
フユコが僕をベッドに呼ぶ。僕はもう慣れたもので、フユコにしがみつくと、少し前の……本当に少し前なんだよ、僕たち家族がロシアに爆撃を受けたのって。とにかくそんな少し前の恐怖を思い出しながら、小さく震えた。このところずっとそうだ。夜になると、寒くて怖くて、震える。フユコは最初から僕のそんな癖に気づいてくれていたのか、寝る時はいつも僕を抱きしめてくれていた。
「今日の空は、綺麗だったね」
それからフユコは、お決まりの言葉を僕のおでこにささやく。息がかかって、何だかくすぐったい気持ちになる。
「明日の空は、何色だろうね」
翌日、フユコが車を走らせてからすぐ。
まだ眠い頭の僕にフユコがつぶやいた。僕はボヤボヤしていたけど、大体こんなことを言っていたと思う。
「ヘルシンキに行こう」
僕が何も応えずにいると、フユコはやっぱり独り言みたいに続けた。
「そこに行けば、何か分かるだろうから」
ああ、そういえば、と僕は思い出す。
フユコってどうして、フィンランドに行きたいんだっけ……。
ヘルシンキはフィンランドの首都らしい。首都って何? とフユコに訊くとこう返ってきた。
「国の政府が置かれてる都市」
「政府って、政治? を行うところ?」
「そうだよ」
「じゃあ、偉いんだ」
するとフユコはクスッと笑った。
「まぁ、そうかもね」
フユコはマサヲをしばらく走らせて、やがてヘルシンキへとたどり着いた。しかしフユコはまだ街の中心に入らないうちに、近くにあった有料の駐車場にマサヲを停めて、外に出た。僕も続く。
「どうして降りるの?」
僕が訊くとフユコは答えた。
「ヘルシンキはMaaSが進んでるからね。移動手段の最先端を味わいたくて」
僕はフユコの言った言葉が難しくて訊ねた。
「MaaSって?」
「『Mobility as a Service』の略だよ。簡単に翻訳すると『サービスとしての移動』って意味で、電車とかバスとかタクシーとか、そういう交通手段とスマホや人工知能みたいな最新技術を組み合わせることで交通の問題を解決しようとすること」
ますます分からなくなって僕が首を傾げていると、フユコはにっこり笑って、
「スマホとタクシーが連動してたら便利だよね? ってこと!」
と教えてくれた。なるほどそれは便利そうだ。
「最新技術の搭載されたバスとかトラムとかあるみたいよー! 楽しみだね!」
「どんなのがあるの?」
僕が訊ねるとフユコが答えた。
「バスや電車の運行状況がスマホで分かったり」
「うん」
「一番近くにある貸し自転車が分かったり」
「うんうん」
「運賃を電子決済できたり」
「へぇ!」
僕はフユコの顔を見上げた。
「バスの出口でピッてするってこと? それだけでお金を払ったことになるの?」
「そうだよ」
「すげー」
「そういうのを楽しみたいからさ。マサヲはちょっとお休み」
それから僕たちは駐車場を出て、ゆっくりとヘルシンキの街を歩いた。少し前に立ち寄ったラトビアの街と雰囲気は少し似ていたが、そのMaaS? とやらがあるからか、電光掲示板だったり、信号だったり、そういうのがとにかくハイテクだった。かっこいい。僕はそう思った。
もしかしたら、この街にお父さんが。
そう思うとワクワクしてきた。
フユコと並んでブラブラ歩く。途中お菓子屋さんでお菓子を買ったり、サンドイッチと、フユコはコーヒー、僕はオレンジジュースを食べて飲んで、街並みを眺めて回った。少し歩いた頃、フユコが口を開いた。
「シェウチュークだよね? レーシの苗字」
「うん」
「それから建築関係の学者」
「うん」
「お父さんの名前の綴り分かる?」
「分かるよ」
「じゃあ、図書館へ行こうか。名前と研究分野から調べられるかも。それに……」
と、フユコはスマホを取り出した。
「無料のWi-Fiもあるだろうしね!」
そのMaaSとやらを使えると分かって、僕は嬉しくなる。だから道中ピョンピョン跳ねながら歩いた。ブロックが敷かれた道路。色のあるブロックだけを踏んで歩く。マンホールは、大穴だ。ここを踏むと落ちる、そんな設定で歩いて回る。
と、何個目かのマンホールを見て、気づく。
……さっき見たマンホールには模様しかなかったような?
いや、実際このマンホールを見るのより前には模様や簡単な文字が書かれたマンホールしかなかったはずだ。だが今目の前にあるこいつは違う。何やら長々と……本当に長々と書いてある。
何だろう。警告文? これを踏むと本当に死んじゃうのだろうか。僕はそう思ってマンホールの蓋をまじまじと見る。するとフユコが、気づく。
「どうしたの?」
僕は答えた。
「このマンホール、変だよ」
書かれてる言葉が、とっても長いよ。
僕がそう告げるとフユコは、立ち止まってその言葉を読み、ウクライナ語に翻訳してくれた。
「『女性が? 赤い車が?』」
「……何それ?」
僕は首を傾げた。フユコもうーん、と考えた。
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