あれは何なの?

第11話 市場でごはん

「わあ」

 どこかは分からない。

 ただフユコが、ある朝になると急に喜んだ顔になって声を上げた。それまで僕たちはひたすらに山や川の近くの道を走っていたので、目にするものといえば森、川、自然、まぁとにかく木と水くらいしか視界に入らなかったのだが……今目の前にあるのはとっても大きな屋根が……五つ! 

「リガ中央市場だよ! 徹夜で運転した甲斐があったぁー!」

 フユコがいつになくはしゃいでいる。そういえば昨日は昼過ぎまで寝ていて夜通し運転をしていた。僕は途中でうとうとして眠ってしまったけど……ここを目指していたのか。いつの間にか周りが町の景色になっていた。コンクリートに、アスファルト。

「レーシ! どこから見ていく? 肉、魚、野菜、チーズにパン、何でも売ってるみたい!」

「へえ……!」

 大きな建物を見たから、かな。

 僕の気持ちもウキウキしていた。焼きたてのパンみたいに大きくて丸い屋根が五つ! 今日の空は底抜けに青くて、大空に向かって伸びた屋根たちはまるで五本の指だった。僕も空に向かって手を伸ばした。太陽が眩しかった。

 フユコがワクワクしながらマサヲの鍵をかけている。僕は彼女を見て思った。

「フユコ、眠くないの?」

 するとフユコは笑って答えた。

「眠い! だからここでご飯食べたら少し休むかも。でも今日はここで一日過ごすよ。買いだめしなくちゃ!」

 何が食べたい? と訊いてくる。フユコが言うには、保存ができないマサヲの中では肉や魚は買ったその日に食べるしかないらしい。つまり、今日は、貴重なお肉の日、というわけだ! 

「僕、ソーセージが食べたい!」

 フユコはにっこり笑った。

「ハムにベーコンは? ううん、新鮮なお肉をバターで炒めて食べてみよっか」

「いいねそれ」

「明日は鮭のムニエル」

「最高」

「クッキーやお菓子も買い放題! 今日のためにお金も貯めた!」

 やったぁ! と二人でドームに向かって駆け出していく。フユコの細い足は意外なほどリズムよく動いて僕をどんどん引き離した。が、途中で僕の方に気づいてスピードを落とし、僕の手を握ってくれた。一緒になって建物の中に入っていく。こんなに大きな場所だ。迷子になったらもう、フユコに会えなくなるかもしれない。

 ふと、思い出す。

 お母さんとはぐれた日のことを……。

「レーシ! レーシ!」

 僕の名前を叫んでいたのを覚えている。人の波の中。イモみたいに洗われて、流されて、砕けて、離れて……。

「レーシ?」

 フユコが僕を覗き込む。僕はフユコの顔を見上げる。

「はぐれちゃダメだよ。一緒に買い物するんだから」

「うん」

 僕は静かにうなずく。フユコがぎゅっと手を握ってくれる。

「さ! 行こう! 探し物を探しに!」

 買い物、を探し物、なんて。

 フユコはやっぱり、不思議な人だ。



 本当に大きな市場だった。どこを見ても人がいる。売る人、買う人、見る人、見せる人。

 まずはじめに野菜と果物を見た。僕はあんな大きなスイカ初めて見た。

「ザクロジュース。美味しいねぇ」

 店の人がその場で絞ってくれたザクロジュースを二人で飲みながら市場を歩き回る。真っ赤なジュースはちゅうちゅうと僕にストローで吸い取られて……何だか嬉しそうな音だ。

 まず辿り着いたのは、肉の市場。さまざまな部位の肉が売られていた。足? あれはお腹。うええ、頭。売り場の裏には入荷したばかりなのか、生々しい豚の足がダンボールに詰められて積まれていた。すごい。肉屋さんって感じ。

 ソーセージやハムも見つけた。フユコがいくつか買う。店主さんが「これが美味いんだ」と何やら瓶詰めのソースをおまけでつけてくれた。デーツという果物が入っているらしい。赤黒いそれは何だか血みたいだったけど、いい香りがした。きっと美味しい。

 フユコはこの国でも流暢な言葉で買い物を進めていた。本当に、どこで言葉を覚えたのだろう。すごいな、と素直に思う。

 ソーセージやハムを買うとフユコは牛肉を求めて旅に出た。マサヲに持ち込めるサイズで、なおかつ一番大きな肉を探して市場を歩き回る。いくつかの店を見て回った後、フユコはある店の前に立って「ここにする」とつぶやいた。木でできた豚の頭がどかんと看板にくっつけられている、何だか豪華そうなお店だった。

 フユコが何かをしゃべる。店員さんも何かをしゃべった。少しして、牛のお腹の肉がどんとフユコの目の前に置かれる。フユコがまた何かをしゃべると、店員さんは包丁を取り出して肉を刻み始めた。ある程度の大きさになったところでフユコが頷く。肉を買う。

「フユコは何語を話しているの?」

 僕が訊くとフユコは笑った。

「ラトビア語だよ!」

「ラトビア」

 じゃあ、ここはラトビアっていう国? と訊くとフユコはそうだよ、とまた笑った。フユコの笑顔はいつでもまぶしい。

「イートインがある!」

 フユコが遠くを指差す。

「ちょっと食べていこうか!」

 そういうわけで、僕はフユコと一緒に肉市場の脇にある売店の前に立った。そして、僕はある料理を見つけた。

「ヴァレーニキ?」

 僕はびっくりする。

 ヴァレーニキ。ひき肉や野菜、フルーツなんかを小麦粉の皮で包む料理のことだ。僕もよくお母さんお手製のものを食べた。あのヴァレーニキが、なんでこんなところに?

 僕がフユコを見上げると、フユコはふふ、と笑っていた。何がおかしいんだよ、と僕はムッとした。

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