第10話 修了証明書

 それからの瞑想はひたすらに考えることに費やした。それが私の瞑想だと思った。静寂の中で自分と向き合う。いつもなら頭の中が情報で溢れるのに、この時の思考には不思議と不純物がなくて透明だった。透明な思考の中を私は泳いだ。すいすい泳いだ。

 十日間の沈黙。そのうちの六日目の事件。翌七日目、問題の三名は何事もなかったかのようにヴィパッサナーに参加した。目配せこそしないものの、三人揃って同じところに固まっていたし、時々くすくす笑っているのが聞こえてきた。どうもあまり真面目な集団ではなかったらしい。日本と違ってこういう人たちは一定数いて、あまり熱心じゃないんだな、係員のいないところなら何してもいいと思ってるんだなという人はちらほらいたけど、この人たちは悪目立ちしていた。私はあの人たちのことを考えると決めたのに、あの人たちの傍にいると気持ちが濁るので距離を置くことにした。そうして七日目が終わり、八日目となった。凍てつく朝、私はあの人たちが縛られて転がされていたあの茂みに行くことにした。

 茂みは職員用通路のすぐ近くにあった。通路の戸は金属製。ドアノブはあったが、鍵穴がなく閂で施錠するタイプのドアだった。私は少しの間その周辺を眺めて回った。そうして、見つけた。



「何を見つけたの?」

 僕がフユコに埋もれながら訊ねると、フユコはぎゅっと僕を抱きしめてから続けた。

「何だと思う?」

「わからないよ」

 僕はフユコを見上げた。

「なに?」

「それを見つけたら、レーシも『ちょっとラッキー』って思うかも。飲み物とか買えるんじゃないかな」

 飲み物を買える……。

「コイン?」

 フユコが笑う。

「当たり」

「でもどうして?」

 僕が訊ねるとフユコはまた小さく笑った。

「賄賂だろうね」

「ワイロ?」

「うん。お金をあげるから、悪いことしても目を瞑ってね、っていうの」

「そのお金ってこと?」

「多分ね」

 見上げた先のフユコの顔は、何だか少し悲しそうだった。

「何のワイロなの?」

 僕がフユコの顎に向かって訊ねると、フユコは悲しそうな顔のまま続けた。

「多分、の話だよ。だって証拠はないから。でも『お金』と『外部との境界線にいた人間』となれば、『外部から人を入れる代わりにお金を渡した』という絵は描けるよね」

「じゃあ何で縛ったの?」

 僕がそう訊くとフユコは答えた。

「雑念と一緒だよ。瞑想のね」

 僕はよく分からなかったから、ことんと首を傾げた。フユコは続けた。

「頭に浮かんだ雑念があると、大切なことが分からなくなる。私で言うと、『あの三人の近くに行くと気持ちが濁って考え事が進まなくなる』だね。『あの三人』が雑音、マスクになるの」

「ふうん」

 僕は相槌を打った。

「『縛られた人間』『乱暴された人間』っていう問題があると『外部から人が入った』っていう問題にノイズが入るよね。『始めと終わりで人数が合わない』っていう問題よりも『参加者が乱暴された』っていう問題の方が大きくて、『始めと終わりの人数が合わない』って問題は大したことないように見える。つまり……」

「あの人たちが外から来たことを隠すために縛ったってこと?」

 僕が声を上げるとフユコはそっと僕の頭を撫でてくれた。

「多分、そう」

「でもどうして? どうしてそんなことをしてまで中に入りたがるの?」

 僕が訊ねるとフユコはため息をついた。お腹の底から吐いたような息だった。

「修了証明書だろうね」

「なにそれ」

「ヴィパッサナーをやり遂げました、っていう証明書だよ。私話したの覚えてない? ヴィパッサナーを終えると簡単な証明書みたいなものがもらえて、外国のヨガトレーナーの中にはこれを『ヨガの正統派』の証としてる人がいるってこと」

 ああ、そんな話していたな。

「多分あの縛られていた人たちは、母国でヨガトレーナーで生計を立てていたんだろうね。正統派の証が欲しかった。でも十日間も沈黙する覚悟がなかった。だから誤魔化して、途中で中に入ろうとした」

「卑怯な奴」

 僕が呻くとフユコはまた僕の頭を撫でた。

「賄賂に硬貨が混じっていたのは、現地で少しの期間滞在したんだろうね。様子を見ていたのかな。現地で食事をする時にお金が崩れちゃって、その崩れた現金を賄賂に使ったんだと思う。賄賂を渡す側としても細かい小銭よりも紙幣を手元に残しておきたいだろうし。で、渡す時にコインが何枚か落ちて内一枚が現場に残った。縛られた人たちの内、男性がサンダルを履いていたのも『すぐ終わる』ことが分かっていたからだと思う。そうじゃなきゃ一月初頭、寒い日が十日間も続くヴィパッサナーにそんな軽装で臨むはずがない。『始まってすぐ終わる』って思ってないとちょっと近所に出かけるような格好でヴィパッサナーに臨むわけがないんだよ。だからやっぱり、あの人たちは途中参加なんじゃないかな。態度も真面目じゃなかったし」

「いやな世の中だ」

 と、僕が言ったことがおかしかったのか、フユコがくすくす笑って僕の頭を撫でた。何度目か分からないけど、フユコにこうして撫でられると不思議と気持ちが落ち着いた。

「いやな世の中、だね」

 さぁ、とフユコがぎゅっと僕を抱きしめた。それから続けた。

「いやなことは忘れる! 一日の締めくくりはいいことを思い浮かべなきゃ。今日の空は綺麗だったね」

 空のことなんか覚えてない。僕の頭の中にあったことは、僕が変なお願いをしたせいで、フユコがいやな思い出を語ることになってしまったということだった。悪いこと、しちゃったな。

 でもフユコは、そんな僕の後悔なんてどうでもよくなるくらい深くて優しい息を吐いて、こう続けた。

「明日の空は何色だろうね」


――『沈黙の十日間』了

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