第9話 強制
ヴィパッサナーも始まって六日目のこと。この日の天気はからっからの晴れで、日差しがいつもより眩しい気がしたのを覚えている。
しかし四時起きともなればまだ太陽は昇っていない。
爽やかな朝。暗いけど、風が心地いい。
しかし問題は既に起こっていた。私はそのトラブルに引き寄せられるようにして出会った。
それを見つけたのは私だった。いつものように起きて、いつものように冷水で口を濯ぎ、いつものように朝食をとるために食堂の方へ行こうとした時に、それを見つけた。
食堂へ向かう途中、瞑想センターの庭の隅、職員専用か何かのドアの近くを通るのだが、そのドアの前、ちょっとした茂みの中に、それはいた。
それも一人じゃない。男女合わせて三名。男、女、女。
黒い布で目隠しをされ、まるで拉致されてきたばかりのように、うーうーと唸りながら身を捩っている。非常事態なのは明らかだった。パッと視界に入った感じ、その人たちは白人で、がっしりした体格の男性と、枯れ枝みたいに体が細い女性たちだった。ヨガインストラクターにありがちな体格、と言えなくもない。彼女たちは縛り上げられた格好のまま、芋虫みたいにもぞもぞとのたうち回っていた。何だか哀れで、滑稽で、しかしあまりに唐突で、私はかなり混乱した。が、一呼吸おいて気持ちを落ち着かせると、私は思案した。
どうやってこのことを、人に知らせよう……。
*
結局のところ、私は瞑想センタースタッフの肩を叩き目を伏せたまま、あの人が倒れていた場所を指差し、服の袖を引っ張って連れていった。そうしてスタッフさんが縛り上げられた人たちを確認すると、スタッフさんはとんとんと私の肩を叩きその場を去っていいことを知らせてきた。私は素直にその場を去った。去り際、縛られた男性が特徴的なサンダルを履いているのが見えた。黒地に、金色のラインが入っている何だか厳つい感じのサンダル。言っちゃ悪いが、日本の田舎で威張り散らしてる不良男性が好みそうなデザインだ。まぁ、もしかしたら白人種にはああいうデザインがウケるのかもしれない。
助け起こされた男性たちは猿轡と目隠しを外されると沈黙していた。黙ったまま、瞑想センター職員に導かれて建物の奥へと連れていかれていた。
さて、私は困った。
考えてもみてほしい。
十日間の沈黙。ヴィパッサナー。
誰とも会話してはいけないどころか、目を合わせてすらいけない。
なのに、あの人たちは縛られ、猿轡を噛まされ目隠しをされていた。
……なぜ?
*
ヴィパッサナーは瞑想だ。
瞑想だから、余計なことを考えるのはよくない。
頭の中に浮かんでくる疑問符を抑え込み、必死になって無になろうとした。空虚に、からっぽに、なろうとした。
しかし無駄だった。
もともと私は好奇心が強い。知らないこと、分からないこと、全て明らかにしたい。そうじゃなきゃ民族や国ごとの人間性の違いなんてことに関心を持ったりしない。新しい人との出会いを求めて世界中を旅したりなんかしない。私が私たりえるのは、この好奇心があるからこそだった。好奇心こそ私だ。私そのものなのだ。
瞑想七日目。私はようやくそのことを悟った。
好奇心。好奇心こそ私。
私は昨日の問題について考えることにした。
*
とはいえ、しかし。
手がかりは、集められない。
人と会話してはいけないのだ。聞き込みなんて以ての外。さらに考えをまとめるためにメモをとるのもダメ。不用意に視線を走らせていると誰かと目が合うリスクがあるのでそれもダメ。
ほぼ目隠し状態で推理をすることと同義だった。私は俯いたまま思った。
記憶を頼りにするしか、ない……。
私の記憶の中のあの現場は、瞑想センター端っこの、多分職員用出入り口、茂みの中だった。瞑想センターを囲む大きな塀。それも少し簡素になって、編み込まれた竹でできた垣根の向こうはもう現実世界という、瞑想世界とこの世との境目みたいな場所だ。そこにあの男性は寝転がされていた。
目隠し、猿轡。
どうして? そんなことしなくても誰も目を合わせないし、しゃべらないし、まったくもって不必要だ。
それに、人数。
三人。男女の編成も気になる。どうして、どういう選抜であの三人になったのか。いや、そもそも、誰とも目も合わせない、会話もしない環境でどうやってあのような行為ができるのか。乱暴な行為に出たということはある程度人間関係が裏にありそうだが、目も合わせない、しゃべらない環境で生まれる人間関係とは? 犯人の目的とは何か?
分からないことだらけだった。
しかし、まぁ。
私の瞑想はこの謎と、自分の好奇心と向き合うことだと思った。
目を閉じ、息を整える。
限られた情報。
あの一瞬で得られた視覚的なもの。
それからこの環境から推測できるもの。
あとは私の機転、思考力。
これだけから、この謎を解いてみせる。
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