第8話 沈黙

 暗い、マサヲのベッドの中。

 フユコは僕を抱きしめていた。その柔らかさが心地よくて、僕はうとうとしていた。

 でも、フユコは話してくれた。

 僕が頼んだ通り、「人が俯く話」をしてくれた。

 難しい言葉が多かったけど、でもそのことが逆に僕を一人前に見てくれているようで嬉しかった。僕はふわふわしながらその話を聞いた。



 私がインドのナランダという都市を訪れた時の話。

 私がナランダを訪れた理由の一つにヴィパッサナーがあった。ヴィパッサナーとは、「物事をありのままに見る」という意味で、最古の瞑想法の一つだった。仏教の始祖、ブッダによって再発見されたとされている。

 本当はブッダが悟りを開いたというブッダガヤで行いたかったけれど、ナランダという都市の魅力に惹かれてここにした。何でも、仏教最大の精舎しょうじゃ(この精舎、とは『大学』的な意味)があった場所で、学生は当時で一万人以上、教授も一千人、立派な図書館まであったそうで、まさに仏教を学びたい人にうってつけの場所だと思った。私はここでヴィパッサナーを行うことにした。

 ヴィパッサナーを行うに当たってはルールがあった。以下にまとめる。


・不殺生

・盗みを働かない

・性行為禁止

・嘘はつかない

・禁酒

・薬物の類も使わない

・十日間、瞑想センターにて行われる

・この十日間、瞑想センターから出てはならない(本人希望の中止・退場は認められる)

・菜食のみ

・他の参加者との一切の会話の禁止

・他の参加者との目配せはもちろん、視線を合わせることも禁止

・ペンや紙の持ち込み禁止

・上記により、メモなどを取ることも禁止

・電子機器の使用禁止

・外部との連絡禁止

・激しい運動の禁止

・朝四時起床、夜九時就寝


 そういうわけで、外部(これは本当に、自分以外の『外部』)との連絡が一切できなくなる環境だった。

 こんなに禁止事項の多いヴィパッサナーだけど、かなり人気のイベントで、私が申し込みを完了した時点でもう予約でいっぱい。どこにも誰も入れない状況だった。

 とはいえ、参加者の管理は意外と杜撰で、もちろん集金やら出席管理も適当。多分ご近所の人とかもラジオ体操感覚で参加している。外国人の私でさえ地元民と同じように扱われたので、そういう意味では本場の雰囲気を味わえた。そこはラッキーだったかな。

 そういうわけで、来る一月二日。

 十日間の沈黙が行われた。


 不思議なものだった。

 自分以外の存在と一切の交流を断つ。

 あるのは自分のみ。自分だけ。自分。

 息をしている。

 鼻から漏れた息が、人中をくすぐって外気に溶け込む。

 膨らむ肺。

 心臓の音。

 動く内臓。

 食事は意外と美味しかった。ほうれん草のカレー(?)みたいなやつは今でも私の好きな料理の一つだ。私は菜食主義者ではないけど、たまにはこういう生活もいいものだなと思えた。

 そんなヴィパッサナーも始まって三日ほど経った頃だったと思う。

 ちらほら脱落者が出てきた。孤独は一番の毒、ということだろう。誰とも会話せず、目線さえ合わせないという修行は結構こたえた。私も何度か心が折れそうになったが、これは修行だ。悟りを開くためのものだ。ブッダの教えでは、苦行は無意味、この世のことに囚われてはならないということだったが、私のヴィパッサナーへの執着は同時にこの世の一切からの解放を意味した。ここに慣れれば、この場に居られれば私も少し、いいところにたどり着ける。そう思ってひたすら、沈黙し、俯き、呼吸した。吸って吐いた回数まで数えられそうな気がした。

 私が参加したヴィパッサナーは、最終日に修了証明書的なものがもらえる。まぁ、証明書と言っても、言わば「頑張ったね」の記念品みたいなもので、外国人の思い出づくり、旅人のお土産話になるようなものだったが、それがもらえる。聞くところによると、プロのヨガトレーナーなんかはこの証明書を「現地で修行した証」のように使う人もいるとかで、これが目当てで十日間のヴィパッサナーに参加する人もいるらしい。まぁ、動機は何であれ、十日間この修行を乗り切れば本物だ。誇っていい。私は特にそういう目的はなかったけれど、日本から離れたこの地で日本ではできないことに参加していることに意義を感じていた。十日間の沈黙。

 五日経った。流石に慣れてくる。食事も美味しいし、言うことない。不思議な高揚感があった。ひたすら自分と向き合うことで、自分以外の一切を排他することで見えてくるものがあった。それは私の原体験だ。

 私の家は転勤族で、私が本当に小さい頃、イギリスのロンドンに住んでいたらしい。小さい頃、と言っても友達は何人かいて、その子たちとおしゃべりしながらおままごとのようなことをしていたのを何となくだが覚えている。で、そこから父の再びの転勤で日本に帰国。言葉については、家庭内では日本語を使っていたので困らなかったが、それまでの友達と全く違う人種。この時多分不思議な印象を持っていたんだと思う。同じ人間なのに見た目も考え方もしゃべる言葉も食べるものも着るものも何もかも違う。同じ人間なのに。同じ人間なのに。多分、この「同じなのに違う」が心に響いたのだろう。「同じなのに違う」なら、「違う」って何? どこが? 何が? 私が旅を続けているのは、多分そういう「違う」を集めているのだと思う。

 恥ずかしいことに、私はこのヴィパッサナーを始めなければこうした大事なこと……何よりも大切な自分のことについて何も気づかずに、無闇に旅を続ける人間になるところだった。自分探し、なんて馬鹿にされそうな理由で世界をうろちょろするだけの軽率な人に。なんてことはない。探し物は足元にあったんだ。スタート地点にあったんだ。そんなことに気づいた。気づける修行だった。

 だから、だろうか。

 このヴィパッサナーで起こった事件は、私にとって印象的だった。

 だから、これから、レーシにもその話をするね。

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