第6話 宝石屋

「妖精がいないよ!」

 僕の声に、フユコはちらりとこちらを見たが、すぐにアイス屋のおじさんに向き直って、

「ごめんね、あの子が何か言ってる」と、仕方なさそうに笑ってこっちに来た。この時気づいた。このアイス屋、縦長な造りだ。

 普通、アイス屋と言えば屋台みたいな感じで、ショーケースとカウンターとがひとつになって店の軒先に置いてあるものだ。でもこの店は違う。店は洞窟みたいに縦長、奥に続いている。店の一番深いところにカウンターと、とってつけたようなショーケース。中には色とりどりのアイス。おかしい。これだけ持って外に出ればもっと売れるのに。

「妖精がいないんだ」

 僕はようやくやってきたフユコにそう告げた。

「え? なになに?」

 フユコは面白そうに笑う。

「妖精?」

「妖精が、いないんだ」

 僕はスプーンで飲ませるように言葉を吐く。

「妖精が、いない。さっきまでここにあったのに」

「ふうん?」

 と、フユコは僕の示す先を見た。それからフラッと振り返り、アイス屋のおじさんの方を見ると、こう告げた。

「店は、今夜?」

 意味の分からない質問だった。だが、おじさんは笑って返してきた。

「ああ、今夜だ!」

 フユコも笑う。

「じゃあ、後で来るね!」

「おう!」

「旅人でも買える手頃なやつ用意しておいて!」

 おじさんが再び笑う。

「任せとけ」



「ねぇ、どうしていなかったの?」

 僕がフユコの背中に向かって訊ねると、フユコはふらふら歩きながら、

「あ、あそこにも妖精!」

 と街灯の根本を指した。ランプを掲げた妖精一人。

「ねぇ、この街じゃどうやって妖精を設置するか知ってる?」

「さぁ」

 僕は肩をすくめる。

「変わった人が変わった目的でやってるんじゃないの?」

「ううん」

 フユコは笑う。

「ちょっと歩こうか」

 そうつぶやいてから、またふらふら歩き出す。

「ヴロツワフ観光しよ!」



「ポーランドでも最も古い都市のひとつなんだよ」

 ふうん、と僕は気のない返事をする。

「第二次大戦でポーランド領になったの。ドイツによる空襲でだいぶ壊れたこともあったみたい」

 大戦、の言葉に胸が痛む。昔の人も、僕と同じように苦しんだのだろうか。その戦争から何年も経っているのに、みんな同じようなことをして同じように苦しむのだろうか。考えがぐるぐる回って沈んでいった。川の橋の足元にできる渦みたいだった。

「でもこの街の人たちはめげなかった。残っていたかつての街の資料をもとに街並みを復元したの。だからこの街は今でもこんなに、歴史情緒の溢れる場所になっている」

「ねぇ、さ」

 戦争の話が嫌になって、僕はフユコの話を遮る。

「妖精の話をしようよ。アイス屋さんの前にあった妖精はどこへ行ったの?」

 するとフユコはにっこり笑った。それから続けた。

「時間をもどせるのって素敵なことだよね。どこかで間違えても、間違える前に立ち戻れる。そうしてその先犯すであろう過ちを、避けることができる」

「ねぇ」

 僕は続けた。

「妖精は?」

 頑固な僕に、フユコはちょっと考えるような顔になると、それから口を開いた。

「日が暮れてきたかな」

 と、空を見上げた。

「もう少ししたらあの店に戻ろう」

「戻ったらどうなるのさ」

 するとフユコは愛しそうに目を閉じた。フユコは日本人だ。日本人なのに、この国でまるで自分の国を思うような顔ができる。不思議だった。だからフユコに訊ねた。

「どうしてそんなに自分の国じゃない場所を思えるの?」

 するとフユコはパチリと目を開いた。

「宇宙船、地球号」

 何を言っているか分からなくて僕はフユコを見つめた。フユコはまた笑った。

「ここは大きな宇宙船だから!」

 そっか、とため息が出た。もしそうだとしたら、マナーの悪い客もいたもんだ。

「あ、そうだ」

 フユコが思いついたように宙を見つめた。

「レーシ、好きなお花ある?」

「花?」

 僕が首を傾げると、フユコはにっこり笑って、

「お祝いにはお花でしょ?」

 と笑いかけてきた。

 よく分からなかったが、連れていかれた花屋で僕はピンクと紫の花を選んだ。フユコはそれを買うと、パン屋に寄ってからマサヲのもとへ戻った。仕方なく僕もついていった。フユコはご機嫌だった。



 日が暮れて、空が暗くなった。街灯がともって、辺りはオレンジ色の光に包まれた。何だか遅く来た夕暮れみたいだ。

 石畳の街は急に人で忙しくなった。お仕事から帰っているところなのかな。僕とフユコはマサヲの中に座ってパンをかじっていた。小麦粉の匂いがはっきりとしているこのパンは、僕の街のパンに似ていた。だからもりもり食べた。お腹がいっぱいになると、不思議と元気が出てきた。

「ねぇ、妖精の話」

 僕は今日何度目かになる催促をした。

「教えてよ。何があったの? どうしてあの妖精は消えたの?」

 するとフユコはちぎっていたパンを近くにあったカゴに入れて、

「そろそろかな。行ってみようか」

 そうつぶやいた。それからマサヲの奥にしまっていた花束を手に取った。

 僕が首を傾げていると、フユコは僕の手を取って、それから大きく深呼吸をした。そして僕に訊いてきた。

「私に似合いそうな宝石、ある?」

「宝石?」

 花束持ってるくせに、まだ宝石が欲しいのか? 

 女の人って欲張りだよな。

 そう、僕は思った。



 アイス屋さんの前に行くと僕はびっくりした。

 店の様子がガラリと変わっていたからだ。

〈ヴイチック宝石店〉

 看板にはそう、あった。

 僕がぽかんとしていると、店の窓の向こうを、フユコが指差した。ちょいちょい、とした指の先にいたのは、あの……

妖精ドワーフ!」

 虫眼鏡を持って石ころを覗き込んでいる妖精。

 今日の昼頃にはまだこのお店の前にいた妖精の銅像だった。僕はぽかんとして訊ねた。

「どうして……」

 と、言いかけたところで店のドアが開いた。

 店主のおじさんが出てきた。

「やぁ! 君か!」

 おじさんはフユコを歓迎した。

「旅する日本人! ようこそ、待っていたよ……!」

「これ、気持ちだけだけど……」

 と、フユコが僕の選んだ花の束を手渡す。店主のおじさんはびっくり仰天して、それからフユコに熱いハグをした。

「本当に? ありがとう、嬉しいよ……!」

 それからおじさんはフユコに、

「フユコもよかったら奥に!」

 と案内してくれた。

「いつの間に知り合いになったの?」

 僕が見上げながら訊ねると、フユコはニヤッと笑って、

「あんたがアイスに夢中になってる時に」

 とつぶやいた。フユコがすたすた歩いて店の奥へ行くので、僕も後に続いた。

「レーシがアイス食べて妖精がいないって騒ぎ出す前、私と店主のおじさんはおしゃべりしてたの」

 店のドアをくぐる前、フユコはそう告げてきた。

「何でもおじさん、もとは宝石商だったんだって。先祖代々続く宝石店」

 じゃあここは……、と、僕は店内を見渡した。中にはたくさんの人がいた。おじいさん、おばあさん、お姉さんが何人か、髭のおじさんも……。

 そんな彼らが埋め尽くしている、縦に長い部屋。店の最奥にあるショーケース。そしてショーウィンドウの近くにいたのは、あの……もしかして。

「あの妖精って、宝石を見てるの?」

「そうだよ」

 フユコはこともなさそうに告げた。

「おじさんのこの店の前にあの妖精ドワーフが置かれてたのは、『ここはかつて宝石屋だったんだ』っていうマークだったんだよ。実際このヴロツワフの街では、役所に届け出をして銅像職人に注文すれば、好きなところに妖精の像を立てることができる。だから……」

 と、言いかけたフユコの言葉を、髭のおじさんが拾い上げた。

「私たちでお金を集めて、このお店の前に妖精ドワーフを置いたのですよ。ここは宝石屋だったんですよと、このヴイチック宝石店が再び営業できるようにと。いやはや、この店にも色々……」

 と、髭のおじさんの言葉を、今度はおばあさんが引き継いだ。

「先代の店長が怠け者でね。借金ばかり抱えてから死んで、今の店主に。その頃にはもう宝石店としてやっていくのは無理だったから、とりあえず残ったこの店舗で、庭で育てていた果物を使ったアイス屋をやってね。ほら、宝石って卸で買ってもそれなりにするから、店をやろうと思ったらまとまったお金が必要だったのよ。店舗はあっても宝石を仕入れるお金がなかったから、それを稼ぐために……」

 今度はおばあさんの言葉をお姉さんが拾った。

「店主はずっと『先祖代々の宝石屋を必ず復活させてみせる』って意気込んでて。アイスの売り上げをコツコツ何年も溜め込んで、やっとこの日を迎えられたの。で、改装オープンのこの日、ついに店の前を守り続けていたあの妖精ドワーフを店内に招いて、念願の宝石屋を……!」

 僕は振り返ってショーウィンドウの妖精を見た。小さな背中が、何かを語っている気がした。

 と、店の奥から、アイスの乗ったグラスを持った店主のおじさんが出てきた。彼は僕のことを見ると微笑んだ。

「彼がいたからどんな辛いことも乗り越えられたんだ。彼はヴイチック宝石店の守り神だ」

 僕はあんぐりしてから、フユコに訊ねた。

「僕がアイスを食べてる間にそこまで聞いてたの?」

 しかしフユコは笑顔で返してきた。

「まさか。私が聞いたのは『今夜アイス屋をやめて元々やりたかった宝石屋になる』ってことだけ。でも『先祖代々の宝石屋を復活させます』って言っているおじさんの店先にいた、宝石を覗き込んでいる妖精がいなくなったんでしょ? 何かの記念、そう考えるのは自然じゃない?」

 さぁさぁ、と、店主のおじさんが笑顔を振り撒く。

「アイスを食べましょう。寒い夜ですが……うちのは絶品ですよ!」

 そう、配られたグラスの中にあったのは。

 チョコアイスの中に輝く、宝石みたいな、ベリージャムの塊だった。僕はその美しさに思わず見入った。



 宝石屋でのアイスパーティーの後、マサヲに戻ってきた僕たちは寝る支度をした。

 水を一杯飲んで、服を緩めて、マサヲの後部座席のベッドの、かなり端っこの方に寝転がると、後から入ってきたフユコがそっと僕を抱き寄せた。僕が少し抵抗すると、フユコは、

「寒いから、きて」

 と小さく告げた。仕方ないので、僕はフユコに向き直ると、彼女の胴体に抱きついた。フユコも僕を抱きしめてくれた。

 そしたら、その、温かさが、匂いが、何だか……。

 お母さんに似ている気がして、僕は鼻をぐずりと鳴らした。するとフユコが僕の頭上でつぶやいた。

「今日の空は、綺麗だったね……」

 僕は黙っていた。するとフユコが続けた。

「明日の空は、何色だろうね」


――『妖精の街』 了

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