第6話 宝石屋
「妖精がいないよ!」
僕の声に、フユコはちらりとこちらを見たが、すぐにアイス屋のおじさんに向き直って、
「ごめんね、あの子が何か言ってる」と、仕方なさそうに笑ってこっちに来た。この時気づいた。このアイス屋、縦長な造りだ。
普通、アイス屋と言えば屋台みたいな感じで、ショーケースとカウンターとがひとつになって店の軒先に置いてあるものだ。でもこの店は違う。店は洞窟みたいに縦長、奥に続いている。店の一番深いところにカウンターと、とってつけたようなショーケース。中には色とりどりのアイス。おかしい。これだけ持って外に出ればもっと売れるのに。
「妖精がいないんだ」
僕はようやくやってきたフユコにそう告げた。
「え? なになに?」
フユコは面白そうに笑う。
「妖精?」
「妖精が、いないんだ」
僕はスプーンで飲ませるように言葉を吐く。
「妖精が、いない。さっきまでここにあったのに」
「ふうん?」
と、フユコは僕の示す先を見た。それからフラッと振り返り、アイス屋のおじさんの方を見ると、こう告げた。
「店は、今夜?」
意味の分からない質問だった。だが、おじさんは笑って返してきた。
「ああ、今夜だ!」
フユコも笑う。
「じゃあ、後で来るね!」
「おう!」
「旅人でも買える手頃なやつ用意しておいて!」
おじさんが再び笑う。
「任せとけ」
*
「ねぇ、どうしていなかったの?」
僕がフユコの背中に向かって訊ねると、フユコはふらふら歩きながら、
「あ、あそこにも妖精!」
と街灯の根本を指した。ランプを掲げた妖精一人。
「ねぇ、この街じゃどうやって妖精を設置するか知ってる?」
「さぁ」
僕は肩をすくめる。
「変わった人が変わった目的でやってるんじゃないの?」
「ううん」
フユコは笑う。
「ちょっと歩こうか」
そうつぶやいてから、またふらふら歩き出す。
「ヴロツワフ観光しよ!」
*
「ポーランドでも最も古い都市のひとつなんだよ」
ふうん、と僕は気のない返事をする。
「第二次大戦でポーランド領になったの。ドイツによる空襲でだいぶ壊れたこともあったみたい」
大戦、の言葉に胸が痛む。昔の人も、僕と同じように苦しんだのだろうか。その戦争から何年も経っているのに、みんな同じようなことをして同じように苦しむのだろうか。考えがぐるぐる回って沈んでいった。川の橋の足元にできる渦みたいだった。
「でもこの街の人たちはめげなかった。残っていたかつての街の資料をもとに街並みを復元したの。だからこの街は今でもこんなに、歴史情緒の溢れる場所になっている」
「ねぇ、さ」
戦争の話が嫌になって、僕はフユコの話を遮る。
「妖精の話をしようよ。アイス屋さんの前にあった妖精はどこへ行ったの?」
するとフユコはにっこり笑った。それから続けた。
「時間をもどせるのって素敵なことだよね。どこかで間違えても、間違える前に立ち戻れる。そうしてその先犯すであろう過ちを、避けることができる」
「ねぇ」
僕は続けた。
「妖精は?」
頑固な僕に、フユコはちょっと考えるような顔になると、それから口を開いた。
「日が暮れてきたかな」
と、空を見上げた。
「もう少ししたらあの店に戻ろう」
「戻ったらどうなるのさ」
するとフユコは愛しそうに目を閉じた。フユコは日本人だ。日本人なのに、この国でまるで自分の国を思うような顔ができる。不思議だった。だからフユコに訊ねた。
「どうしてそんなに自分の国じゃない場所を思えるの?」
するとフユコはパチリと目を開いた。
「宇宙船、地球号」
何を言っているか分からなくて僕はフユコを見つめた。フユコはまた笑った。
「ここは大きな宇宙船だから!」
そっか、とため息が出た。もしそうだとしたら、マナーの悪い客もいたもんだ。
「あ、そうだ」
フユコが思いついたように宙を見つめた。
「レーシ、好きなお花ある?」
「花?」
僕が首を傾げると、フユコはにっこり笑って、
「お祝いにはお花でしょ?」
と笑いかけてきた。
よく分からなかったが、連れていかれた花屋で僕はピンクと紫の花を選んだ。フユコはそれを買うと、パン屋に寄ってからマサヲのもとへ戻った。仕方なく僕もついていった。フユコはご機嫌だった。
*
日が暮れて、空が暗くなった。街灯がともって、辺りはオレンジ色の光に包まれた。何だか遅く来た夕暮れみたいだ。
石畳の街は急に人で忙しくなった。お仕事から帰っているところなのかな。僕とフユコはマサヲの中に座ってパンをかじっていた。小麦粉の匂いがはっきりとしているこのパンは、僕の街のパンに似ていた。だからもりもり食べた。お腹がいっぱいになると、不思議と元気が出てきた。
「ねぇ、妖精の話」
僕は今日何度目かになる催促をした。
「教えてよ。何があったの? どうしてあの妖精は消えたの?」
するとフユコはちぎっていたパンを近くにあったカゴに入れて、
「そろそろかな。行ってみようか」
そうつぶやいた。それからマサヲの奥にしまっていた花束を手に取った。
僕が首を傾げていると、フユコは僕の手を取って、それから大きく深呼吸をした。そして僕に訊いてきた。
「私に似合いそうな宝石、ある?」
「宝石?」
花束持ってるくせに、まだ宝石が欲しいのか?
女の人って欲張りだよな。
そう、僕は思った。
*
アイス屋さんの前に行くと僕はびっくりした。
店の様子がガラリと変わっていたからだ。
〈ヴイチック宝石店〉
看板にはそう、あった。
僕がぽかんとしていると、店の窓の向こうを、フユコが指差した。ちょいちょい、とした指の先にいたのは、あの……
「
虫眼鏡を持って石ころを覗き込んでいる妖精。
今日の昼頃にはまだこのお店の前にいた妖精の銅像だった。僕はぽかんとして訊ねた。
「どうして……」
と、言いかけたところで店のドアが開いた。
店主のおじさんが出てきた。
「やぁ! 君か!」
おじさんはフユコを歓迎した。
「旅する日本人! ようこそ、待っていたよ……!」
「これ、気持ちだけだけど……」
と、フユコが僕の選んだ花の束を手渡す。店主のおじさんはびっくり仰天して、それからフユコに熱いハグをした。
「本当に? ありがとう、嬉しいよ……!」
それからおじさんはフユコに、
「フユコもよかったら奥に!」
と案内してくれた。
「いつの間に知り合いになったの?」
僕が見上げながら訊ねると、フユコはニヤッと笑って、
「あんたがアイスに夢中になってる時に」
とつぶやいた。フユコがすたすた歩いて店の奥へ行くので、僕も後に続いた。
「レーシがアイス食べて妖精がいないって騒ぎ出す前、私と店主のおじさんはおしゃべりしてたの」
店のドアをくぐる前、フユコはそう告げてきた。
「何でもおじさん、もとは宝石商だったんだって。先祖代々続く宝石店」
じゃあここは……、と、僕は店内を見渡した。中にはたくさんの人がいた。おじいさん、おばあさん、お姉さんが何人か、髭のおじさんも……。
そんな彼らが埋め尽くしている、縦に長い部屋。店の最奥にあるショーケース。そしてショーウィンドウの近くにいたのは、あの……もしかして。
「あの妖精って、宝石を見てるの?」
「そうだよ」
フユコはこともなさそうに告げた。
「おじさんのこの店の前にあの
と、言いかけたフユコの言葉を、髭のおじさんが拾い上げた。
「私たちでお金を集めて、このお店の前に
と、髭のおじさんの言葉を、今度はおばあさんが引き継いだ。
「先代の店長が怠け者でね。借金ばかり抱えてから死んで、今の店主に。その頃にはもう宝石店としてやっていくのは無理だったから、とりあえず残ったこの店舗で、庭で育てていた果物を使ったアイス屋をやってね。ほら、宝石って卸で買ってもそれなりにするから、店をやろうと思ったらまとまったお金が必要だったのよ。店舗はあっても宝石を仕入れるお金がなかったから、それを稼ぐために……」
今度はおばあさんの言葉をお姉さんが拾った。
「店主はずっと『先祖代々の宝石屋を必ず復活させてみせる』って意気込んでて。アイスの売り上げをコツコツ何年も溜め込んで、やっとこの日を迎えられたの。で、改装オープンのこの日、ついに店の前を守り続けていたあの
僕は振り返ってショーウィンドウの妖精を見た。小さな背中が、何かを語っている気がした。
と、店の奥から、アイスの乗ったグラスを持った店主のおじさんが出てきた。彼は僕のことを見ると微笑んだ。
「彼がいたからどんな辛いことも乗り越えられたんだ。彼はヴイチック宝石店の守り神だ」
僕はあんぐりしてから、フユコに訊ねた。
「僕がアイスを食べてる間にそこまで聞いてたの?」
しかしフユコは笑顔で返してきた。
「まさか。私が聞いたのは『今夜アイス屋をやめて元々やりたかった宝石屋になる』ってことだけ。でも『先祖代々の宝石屋を復活させます』って言っているおじさんの店先にいた、宝石を覗き込んでいる妖精がいなくなったんでしょ? 何かの記念、そう考えるのは自然じゃない?」
さぁさぁ、と、店主のおじさんが笑顔を振り撒く。
「アイスを食べましょう。寒い夜ですが……うちのは絶品ですよ!」
そう、配られたグラスの中にあったのは。
チョコアイスの中に輝く、宝石みたいな、ベリージャムの塊だった。僕はその美しさに思わず見入った。
*
宝石屋でのアイスパーティーの後、マサヲに戻ってきた僕たちは寝る支度をした。
水を一杯飲んで、服を緩めて、マサヲの後部座席のベッドの、かなり端っこの方に寝転がると、後から入ってきたフユコがそっと僕を抱き寄せた。僕が少し抵抗すると、フユコは、
「寒いから、きて」
と小さく告げた。仕方ないので、僕はフユコに向き直ると、彼女の胴体に抱きついた。フユコも僕を抱きしめてくれた。
そしたら、その、温かさが、匂いが、何だか……。
お母さんに似ている気がして、僕は鼻をぐずりと鳴らした。するとフユコが僕の頭上でつぶやいた。
「今日の空は、綺麗だったね……」
僕は黙っていた。するとフユコが続けた。
「明日の空は、何色だろうね」
――『妖精の街』 了
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