第4話 散策

 チーズケーキを食べた後、僕とフユコはぶらぶらと街を歩いた。途中、木でできた置物やおもちゃなんかを売っている店で、フユコは小さなチェスの一式を買った。駒が民族衣装を着ていてカラフルな、確かに女の子が好きそうなものだった。ただ、僕にはその「兵士たちを戦わせる」ボードゲームが、今僕を苦しめているあの問題に通じるような気がして、ちょっと嫌だった。だから先に店を出て、道端でぼやぼや石ころを蹴飛ばしながら過ごしていた。

 五分くらい経った頃、フユコがほくほくした顔で店を出てきた。紙袋の方にはあのチェスが入っているのだろうけど、手に持っている小さいのは……。

「レーシにだよ!」

 フユコは僕にそれを差し出してきた。小さな木彫りの、ハトのキーホルダーだった。

「旅のお供に! 私にはマサヲがいるけど、レーシにはいなかったからね!」

 フユコに手渡されたそれを少しの間見つめる。翼を広げたハト。口には何かの葉っぱ。

「ありがとう……」

 ようやくそれだけ言うと、フユコはにっこり笑って「行こっか」と歩き出した。楽しそうだな、と僕はちょっとだけうらやましくなった。



「ザピエカンカ!」

 中央広場を離れて、市街地の中をふらふら歩いていると、フユコがある店を指差してそう叫んだ。僕はひょい、と頭を上げて、それから目に入ってきたものを見てため息をついた。

「そっちのか。そんなに美味しいものじゃないよ」

 ザピエカンカ。ウクライナでもたまに食べたことがある。ただ、ザピエカンカと言うと二つの料理を指していることがある。

 ひとつは、近い料理で言うとイタリアのピザだ。ピザと違うところは生地が縦長で具がたくさん。屋台や肉屋なんかで売られていることが多い、いわゆるファストフードだ。

 もうひとつは、何て言うんだろう、具やソース、パスタなんかを器の中に入れてチーズで蓋をして焼く。フランスのグラタン、が近いかな。家で食べるご飯の代表格みたいな感じ。当然その家ごとの味が出るから、お母さんの作ったザピエカンカが一番だって言う人は多い。まぁ、僕もそうだけど。

 ふと、お母さんのことを思い出して胸が苦しくなった。お母さん。お母さん。今、どうしているだろうか。

 しかしそんな僕の気持ちを吹き飛ばすようにフユコがはしゃぐ。

「せっかくだし食べ歩きしよ!」

「あれそんなに美味しくないと思うよ」

 フユコの目線の先を見つめる。看板に載っていたザピエカンカは厚手の生地にバジルソース、多分ベーコンも乗ってるな。割とジャンキーな感じ。味の想像がつく。ちなみに僕は、トマトソースにマッシュルームが乗っているやつが好きだ。それっぽいものも看板にはあるけど……僕の口に合うかな。

「いいから、ほら!」

 フユコに手を引っ張られて店先に行く。ショーケースの上から顔を出した、店主らしき髭のおじさんが僕たちを睨む。

「何か食ってくか?」

 ぶっきらぼうにそうつぶやいたのを聞いて驚いた。ウクライナ語の発音に近い。もしかして……もしかして。

「おじさん……」

 と、僕がウクライナ語でつぶやいたのを聞いて、店主の目の色が変わった。

「ウクライナか?」

 僕が口をパクパクさせていると、おじさんはほとんどこっちにつかみかかるような勢いで、

「家は? 家族は無事か?」と訊いてきた。僕は首を横に振った。

「お母さんとはぐれた。これからお父さんに会いに行く」

「お母さんとはぐれたって? じゃあ隣にいるその姉ちゃんは……」

「この子を保護したの」

 フユコが急に真面目なトーンで話し始める。もちろん、ウクライナ語で。

「そうか」

 店主がとんでもなく苦い木の実を噛み潰したような顔になって引っ込む。それからフユコをまたちらりと見るとこう続けた。

「ちゃんと送り届けるんだろうな?」

 フユコは応える。

「もちろん」

「人攫いじゃねーだろうな」

「私が?」

 おじさんはフユコの小さい体を見た。

「……それもそうだな」

 おじさんは胸の奥から息を吐いた。何だか煙草を一服したような感じだった。

「俺の家族は何とか無事だった。でもな、家を追われて……ちょうどこの子くらいの親戚もいるから、つい、な」

「ご家族は、今?」

 フユコが「一緒に住んでるのか?」というニュアンスで訊くとおじさんは首を横に振った。

「西にいる。ヴロツワフだ」

 それからとんとん、と店先のケースを叩きながらつぶやいた。

「会いに行ってやりてぇが、店のことがあってな……。俺がここで働かねぇとこの店潰れちまう」

「電話やチャットは?」

 僕が訊くとおじさんはまた首を振った。

「使えない。こっちに来る時に端末ごとなくしちまったらしい。新しいのを買うにも金がなくてな……」

「じゃあ、手紙」

 フユコがぴしっと告げる。おじさんが顔を上げる。

「手紙……手紙か」

 しかしまたすぐ、掌の中に顔を埋めた。

「この国の郵便システムを疑うわけじゃねぇが、しかし難民相手に郵便物がちゃんと届くかどうか……」

「そんなおじさんに、今日のラッキーをお届け」

 フユコがにっこり笑った。

「私たち、ヴロツワフに行くよ!」

「ほんとか!」

 おじさんが立ち上がる。

「じゃ、じゃあ、送り届けてくれるのか?」

「正確な場所が分かればね!」

「レシニツァの教会が運営している難民キャンプにいるらしい。この程度の情報で分かるか?」

 うーん、とフユコが首を傾げた。

「行ってみれば、分かるかも」

「頼む!」

 おじさんが身を乗り出す。

「手紙は今から書く。ちょっと待ってて……おう、そうだ」

 おじさんは、半身を店の中に引っ込ませると、こう告げた。

「うちのザピエカンカ、どうだ? 俺が奢るぜ」



「いやー、一日一善」

「何それ」

 僕はザピエカンカをかじりながら訊ねる。マサヲの中。フユコも運転席でザピエカンカを食べている……フユコのは、マヨネーズにツナが乗っているやつ。僕はトマトソースにマッシュルーム。

「仏教の言葉」

「ブッキョウ?」

「ブッダの教え。インドの宗教だよ」

「インドではそんな言葉を使うの?」

「うーん、『一日一善』って言葉自体は中国? で生まれたのかな?」

「インドの宗教が中国にもあるの?」

「日本にもあるよ」

「すご……」

 宗教、というもののスケールの大きさにびっくりする。僕はザピエカンカをかじった。

「おじさん、喜んでたね」

 僕はダッシュボードの上に置かれた封筒に目をやった。ルーズリーフの切れ端に書いたような手紙だが、封筒だけはあったらしく丁寧にしまって僕たちに渡してきた。別れ際の、今にも泣きそうなおじさんの顔が頭に浮かぶ。きっと神様のプレゼントだと思っているんじゃないかな。手紙に何が書いてあるか、気にはなったが読まなかった。だけど僕はじっとダッシュボードの上を見つめた。

「りんご三個にほうれん草、缶詰がいくつか、トマトソース!」

 フユコが後部座席……というかベッドの方を振り返る。棚に置かれた果物に野菜。おじさんが「おまけだ。無事にヴロツワフまで着いてくれよ!」とタダでくれたものたちだ。

「さてさて」

 パンパン、とフユコが手を払った。いつの間にかザピエカンカがなくなっている。食べるの早いな。

「ヴロツワフに行こっか!」

「どんなところだろ」

 僕がつぶやくと、フユコがこちらを向いてにっこり笑った。

「言ったでしょ。妖精の街だよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る