ひとりじゃわらえない

獣乃ユル

ひとりじゃわらえない

 目の前で、ホームレスの男が3メートルはあるロボットに連れて行かれた。多分、フォロワーが居なくなったんだろう。この国じゃよくある事だ。

 手の甲に書かれた「41」の文字を見て、一つ溜息を吐き出した。まだ、こんな世界で息ができそうで良かった。


「嫌だ!!いやだぁっ!!!」


 何処からか、そんな声が響き渡る。上の空で歩き回って居たら、いつの間にか浮浪者の集まる場所に来てしまったようだ。ゾンビのような足取りでこちらに向かってくる人間を見て、そいつらの言葉が聞こえてくるより先に走り出した。

 ネオンが覆い隠したこの街では、下の人間の命なんて塵芥のように吹き飛んでいく。勿論、俺も。安定した生き方ができるのはほんの一握り、空よりも高いような高層ビルの屋上で酒を嗜むような奴だけだ。

 摩天楼の隙間を縫うように走り抜けて、路地に出る。何処を見ても、建築物が纏った目に悪いネオンがこちらを睨んでいた。科学的な光は自然的な星を覆い隠して、月さえ霞むほどの光を放っている。


「十時か……」


 手首に取り付けた端末で時間を確認する。ここらでは殆ど犯罪が起きないので、学生である俺が夜中に出歩いても許されるどころか、特段感情も抱かれないのが普通だ。

 犯罪なんて行うメリットがない、というのは共通認識だ。何処にでも常駐している警備ロボットに速攻取り押さえられるし、そんなことしたら即でフォロワーが0になる。

 またフォロワーのことばっか考えている。嫌気が刺して、帰路に戻り始めた。別に何かしたかった訳でもない。只の深夜徘徊だ。普通の一日から僅かでも脱却するため、そんな高尚な思考を浮かべてはその程度で日常から変わるわけもないと一蹴する。何も変わらない、あの日から。


「ねぇ、君」


「ひっ……!?」


 首筋に、冷たい感触が走り抜けた。反射的に一歩踏み出し、触られた方向に振り向いた。視線の先には、見慣れない女が佇んでいた。


「ごめん、驚かせた?」


 腰まで伸びた白髪を風に揺らせ、紅い瞳を煌々と光らせてこちらを見据えている。身長は俺より少し上で、外見から少し年上とみられる女。異常な雰囲気を纏わせたそれに本能が恐怖し、もう一歩後退する。


「誰、だ?」


「あはは、怖がってるね。大丈夫、怖い人じゃないよ」


 もてあそぶように笑みを浮かべ、ゆらりと手を動かして頭の上あたりの高さまで手を持っていく。恐らく無害を表現するためなのだろうが、一層胡散臭さを増したようにしか感じられない。


「んー……これなら信用してくれる?」


 控えめに主張した手の甲には、信じがたい数字が刻まれている。


「にま……っ」


「駄目でしょ?口にしちゃ」


 緩慢な動きで唇に指を添えられる。間違いじゃない、見間違いじゃない。確実に、五桁の数字が刻まれていた。そんな数、噂程度でしか聞いたことが無い。本当に位の高い人間でしか手に入れることのできない数値。


「……だからっ、なんなんだよ」


「まだ反抗してくれるんだ」


 それは何故か嬉しそうに口角を吊り上げる。


「こんな数字でも、少しは信頼に足りるでしょ?」


「そんな数字だから、信用できないんだろ」


 本当に、信用できない。フォロワーが0になれば、死ぬ。そんな政策が採用されたのはいつだっただろうか。無意味な人間を減らすだとか、そんな事を一般常識としてモニター上で見た気がする。数日に一回フォローできる上限が増えて、フォローされれば掌の数字が増える。それは、社会的なステータスでもあった。


「それが本心の数字だって誰が証明できる」


 けれど、実態は金と権力で塗れた虚像の数字でしかない。金を積むからフォローしろ、入社したければフォローしろ。そんな脅迫まがいの出来事が、取り上げられては掻き消される。


「そうだね、本当にそう。私のフォロワーが何人がいるなんて、人柄を表せるものじゃない」


 反応するより前に、首の後ろに手を掛けられる。その勢いのまま耳の近くに顔を近づけ、ゆっくりと、優しい口調でそれは囁いた。


「だから、君が開けてみてよ。私の心」


 氷水を脊椎に流し込まれたかのような、冷たい何かが背中を走り抜ける。咄嗟に跳ねのけようとした右手が、不自然に空中で止まる。


「拒まないの?」


 理由はわからない。気づいたときには右手に込めた力が抜けていて、だらりと空中に右手が放り出された。伝染するようにそこから全身の力が抜けて行って、それに、いや、彼女に全体重を預けていた。


「君、無防備ってよく言われない?」


「知らな。誰に何て言われてるかなんて」


 腰と、頭に僅かな力が加わる。多分、手を回されたんだろう。瞼を閉じてるせいで何も見えはしないが。


「親御さんに心配されない?」


「もう、いない」


 深海に堕ちるように、全身を包み込むような重みと冷気に意識を任せた。多分、寝てしまうんだろう。


「そう、ごめんね」


「別にいい」


 申し訳なさそうに呟いた彼女の言葉に食い気味に反論する。過去は過去だ。区切りを付けないとやってられない。


「寝る」


「ふふっ……いいよ。任せて」


 重力よりも重たい何かと、熱に近い安心感に任せて意識を保つことをあきらめた。何をしてるんだろう、落ちかける意識の中でそう思った。初対面の女に絆されて、道端で居眠りしようとして。まぁ、別にいいか。一目惚れなんて、初めての体験だし。

 そっか。


「惚れたのか」



 ◇



 瞼を開く。ピントの合わない視界を、一度擦ることで明確にさせる。


「お早う、良く眠れた?」


「体が痛い」


 無理に体を起こしたせいか、関節の一つ一つが悲鳴を上げている。


「ここは?」


 周囲を見渡してみれば、先ず目に映るのはさっきの女……は別に良くて。高級そうなベットが体の下に在り、周囲に置かれた家具も高級そうなものばかりだ。


「私の家。私以外には誰もいないよ?」


 蠱惑的に笑みとも挑発ともとれる表情を浮かべた彼女を視界の端に追いやる。


「そ」


「素っ気無いなぁ、モテないよ?」


 不満げにそう呟きながら、彼女はベットの上を這い、俺の脚の上に頭を乗せる。


「初対面の女には効いたらしいけど?」


「はは、せいか~い」


 彼女はおちゃらけながら、手首のデバイスを操作しようとする。それをぼんやりとみていた俺だったが、電球のマークに彼女が触れようとしたところで咄嗟に彼女の手首を掴む。


「わっ……どうしたの?」


「点けないで」


 放った言葉に反応して、彼女はベットの上に腕を倒れ込ませる。


「暗い方が好き?」


「明るいのが苦手」


「ん、成程」


 遮光カーテンから漏れ出る光だけが、この部屋を照らしている。別に、それで十分だ。あまり光は好きじゃない。こんなに暗い街なのに、光を纏っているのが気に入らないから。


「ねぇ、名前は?」


「……いう必要ある?」


 名前を聞く、というのは何処だって交流のスタート地点だ。だからこそ、今したくない。


「そんなありふれた関係にしたいの?」


「……ずるいなぁ。いいよ、名無し男と名無し女ってことで」


 足に頭を擦りつけながら、彼女はそう言った。


「じゃあ、名無し女」


「なぁに?名無し男ぉ」


 質問を口にしかけて、情報の濁流で一度思考が止まる。思い浮かぶ質問が多すぎて処理できなかった。そんな中でもどうにか一つの文章を掴み取り、声帯を通して吐き出す。


「何で俺に声掛けたの?」


「あ゛~……ちょっと待って」


 よいしょっ、と小声で気合を入れながら、彼女は上体を起こす。整った顔を恍惚に染めながら、次は俺の胸にもたれかかってくる。


「顔がよかったから」


 それを聞いて、思わず大きめの溜息を吐き出す。失望したとか、下品だからとかじゃない。


「本音は?」


 あまりにもわかりやすい嘘だったから。


「バレるよねぇ……別に、大層な理由があるわけじゃないよ」


 胸に預けた顔を体ごと少し後ろに下げ、こちらの顔を覗き込みながら恥ずかしそうにつぶやく。


「私と似てるような気がしたから」


「感覚的」


 非科学的で感情的な話だ。理性はそう考えていたが、本能は確かにそれを肯定していた。


「そうだね。何の根拠もないよ。けど、ほんとに似てたじゃん」


「……例えば?」


「フォロワー制度が苦手、とか」


 俺がフォロワー制度を好いていないことは正解ではある。けれど、納得はできない。


「苦手なの?」


「まぁ、君よりかは苦手ではないかもしれないけど」


 そうなると、初対面で数字を見せてきた理由がわからない。フォロワー制度が苦手なら、人には見せようとしないのではないか。それに、フォロワー制度が苦手だというならどうやって二万にまで上るフォローを得たのか……。


「君の考えてるであろう事に返答しよーう。大金持ちの家で生まれた私は生まれ落ちた瞬間に大量のフォロワーを獲得!そして流される儘募金とか慈善活動とかなんだか言われるものをしてたらこうなってしまった、ってことなのだー」


 大根役者にも満たないような棒読みでそう言った彼女の頭を、何も言わずに撫でる。


「これより便利な身分証明書は無いよ。けど、これより重たい呪縛も無い。フォロワーが一人減るごとにさ、死んだってわかるんだ」


 震えた、俺の服越しのせいで籠った声で弱弱しく彼女はそう呟く。


「だからね、嬉しかったの。こんな数字何て信用に足らないって言いきってくれたのが」


「そう」


 リズムを変えずに彼女の頭をなでながら、思考に意識を飛ばす。上流階級の世界は知らないが、そこでもフォロワーはステータスになっているのだろう。だから、初対面で手の甲を見せることが習慣のようになっていたんだろう。


「名無し男君は、なんで嫌いなの?」


「……まぁ、ありふれた理由だよ」


 宵闇と静寂が混ざって、息を吐き出す音だけが部屋に響いていた。今度は彼女は俺の肩に頭を乗せ、体を密着させる形にする。


「フォロワー制度って、誰にフォローされたのか、誰をフォローしてるのかがわかるじゃん」


「うん」


 それが人間社会でのステータスとして機能している理由でもあるのだが、俺にとっては牙のようにしか見えなかった。


「俺の親父さ、底抜けに良い人だったせいでフォロワーいなくなりかけのホームレスとかみんなフォローしててさ」


「……うん」


 浮浪者のように、社会的な地位が低いものは連鎖的にフォロワーが減っていく。その理由は、わかり切ったことだった。浮浪者とのかかわりがある、と言うだけでフォローを外されてしまうからだ。フォローには限りがある。だから、人はいつでもフォローを外す可能性がある。


「だから、フォロワーが一人しかいなくなって、その所為で地位が崩れてって、結局死んだんだよ。そのせいで母親も首吊ったし」


 だから、俺の命は小さいものだと思っている。目の前で急に消えた命の火を何もできずに眺めていたから。


「ね、体重、預けて良いよ」


「……ん」


 彼女の体に寄りかかる。柔らかい触感と、温かみが伝わってくる。


「君はさ、君のお父さん、どう思ってる?」


「底抜けのお人好しで、底抜けのバカだと思ってる」


「君はさ、お父さんのこと恨んでる?」


「……全く」


「何が悪いと思ってる?」


「……」


 思わず、言葉に詰まった。心の奥底にあった帳に、手をかけてしまったような気がしたから。ずっと、逃げ続けてきたそれに。


「私も、なんでフォロワー制度が嫌いなんだろうっていっぱい考えたの」


 歌を紡ぐように悠然に、それでいて泣き出しそうなほど小さな声で彼女は言葉を吐いた。


「他人からの期待とか、他人からの感情とか、全部見えて。ベットの中でフォロワーを見るたびに制度自体を恨んだの。けどね、違うなって、最近思ってる」


「……うん」


「ごめん、辛いこと言うね」


「いいよ」


 もう、何を言われるのかは大体理解していた。それから目を逸らし続けたのだと、本当は理解していたから。


「君が、フォローを外したせいだって」


 きっぱりと、そう言い放つ。


「そう、想ってたんでしょ。けど、忘れようとしたんでしょ」


 心の奥底から、ひりひりとした感情のような何かが昇ってくる。目から零れ落ちたそれには、多分名前が付けられてるんだと思った。


「弱いね、私たちは」


「……うん」


 親父を殺したのは俺だ。親父が死んだのは俺の所為だ。子どもながらに、孤立していく親と一緒にいることが怖くなってしまった。


「君は善じゃない。その道を選んだ以上、そういわれることは覚悟しなきゃいけない。罪を背負わなきゃいけないのは、覚悟しなきゃいけないけど」


「……うん」


「一緒に、背負わせてよ」


 思わず、彼女の服を握った。


「俺だけの、ものだよ。俺だけの、罪。出会ったばっかなのに背負わせるわけには、いかないよ」


「そうかなぁ」


 宥める様な、子どもを寝かしつける親のような優しい口調で彼女は囁いた。


「惚れた男のそばに居たい。それだけじゃ、君の隣にいる理由にはならない?」


 大粒の液体が、真っすぐな線を描きながら頬を滑り降りていく。喉が詰まるような感覚に陥る。


「一人じゃ怖いよ。一人じゃ、哀しいよ」


 ゆったりと、それでいてはっきりと、彼女はそう言う。何処か、彼女が自分に言い聞かせているようにも聞こえた。


「一人じゃ笑えないよ。だから、君といたいの。私と一緒に居てよ」


「……はは、ずるいな。断り方も、理由もわかんない」


 絞り出した言葉が、空虚を埋め尽くして。


「フォロー、するね」


「……うん」


 この世界が大嫌いだ。この制度が大嫌いだ。けど。けれど、ぼんやりと浮かび上がったウインドウに彼女の名前が表示された時に、筆舌に尽くしがたい多幸感が湧き上がったのは、確かだった。


「良い、名前じゃん」


 一生飲み込み切れないと思う。首を吊った母親を見た時の罪悪感も、フォロワー制度への憎しみも、抱えた自責も。けれど、向き合っていかなきゃいけない。その全部と、恋心に。

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