ドラゴンの眼
早朝
霧深き朝。
まだ誰も起きていない時刻。
周囲はその曇りのような霧のせいで晴れているのにも関わらず、何も見えない。
この窓の位置からは昨日保護した聖女、ベロニカの眠るベッドまで陽の光は届かないだろう。
まだぐっすりと彼女は眠っている。
ここはどこ? と昨日は一度も言わなかったが、今日は言うだろうか。
聖女はいつも自分がそれまで生きて来た世界の事を忘れてしまっているのか思い出せないでいる。
だから、自分が生きて来た所の言葉と違ったり文字が違うという理由からか喋れなかったり、文字の読み書きができなかったりするわけだが、ベロニカは喋ることは問題なく出来ている。
あとは文字か……。
こちらの常識がどこまで通用するかも見たい。
ごろんとベロニカが動いた。
起きる気配はない。
寝返りか……。
くすっとリュックは遠い記憶を思い出して思わず小さく笑ってしまった。
あの聖女みたいだ――。
陽は確実に辺りを照らし始めた。
さて、行くなら今しかないな……と思うとリュックはその窓から見える外から自分に必要な情報を得ることにした。
まだ霧はあるが、一番遠くに見えるあの大きな橋を渡り、隣の国、それより先へ行き、あれを渡しに行く。
これなら、こちらの姿を見せずにこの街から抜けられるだろう。
ヒイラギは急務でない限り表立った活動はあまりしない。
だから追って来るなら、その夜だと思っていたのにそれがなかった。
それだけベロニカを聖女として思っていないか、あの召喚者が事切れたことによって、ベロニカは役目を終えたということになったのか。
それともこんな所に居るなんて思いもしないからか。
どちらにせよ、彼女はそうなったからヒイラギへと渡すというわけにはいかなかった。
これはあの聖女のようにさせない為の自分の中の自己満足かもしれない。
その為に彼女を巻き込んでしまったかもしれない。
もしかしたら、あの聖女よりも幸せな未来がヒイラギに行くことであったかもしれない。
その可能性を潰してしまった。
その起きなかった未来の中に取り残されたくなくて、彼女の「ん~!」という起きる合図の声で我に返る。
「おはよう、ロニー。それとも『ベロニカ』と言った方が良いかな?」
無言のまま、碧い両目をぱちぱちさせて、誰? と言っている。
「忘れた? 昨日の事」
「きのう……あ! 私、変な事しました?」
突然飛び起きる勢いでベロニカはベッドの上で半身を起こした。
「いや、してないけど」
「何でしょう、こんな朝を迎えるのは初めてで……」
布団を自分の胸の辺りまで引っ張り上げ、ベロニカは恥ずかしそうにリュックから顔を背けた。
もしかして、この子……リュックは思い違いであってほしいと願いながら、さらっと聞いてみることにした。
「それは寝起きに男の人の顔を見たことはないってこと?」
「はい……。えっと、リュックさんでしたよね? 確か。昨日は助けていただき、ありがとうございました。あの、もう行かれるんですか?」
「ん~どうしようかなって所。君は朝食を食べないとダメな子?」
「いいえ、大丈夫です。着替えても良いですか?」
「ああ、そうだね。一人で出来る?」
「はい」
「そうか、それは良い事だ。じゃあ、俺はその間……それが終わるまでちょっと外に出てるよ。三十分くらいあれば平気?」
「それより少なくても平気です」
「そう、じゃあ、また迎えに来るから待ってて」
「はい」
素直な彼女を残し、リュックは部屋を出た。
その途端、リュックは軽く溜め息を吐いた。
四人目の聖女は八歳ぐらいの幼女だったから、ああしていても平気だったけれど……、どうかしている。
リュックはそれを振り払う為に
こんな状況で何を考えているんだ? 自分は、彼女に新しい物を与えなくては。
そう思って、リュックは宿を出るとある所に向かった。
――赤面していただろうか、気恥ずかしかった。
だって、家族でもない男の人にこうして寝間きみたいな服装で会うなんてきっと初めてだ。
一人、ベッドからのそのそ出ると顔を洗い、昨日リュックからもらった服にベロニカはいそいそと着替え始めた。
色も地味で何だか古臭いような匂いもして、これがそんなに良い状態の物でないのはすぐ分かったが、我がままは言ってられないと靴も履く。
部屋にあった全身鏡で今の姿を見てみた。
くるくると横からの見え方も確認してみれば、さっきまで着ていた白のワンピースより断然良かった。
日常でそこそこの身分として生きるならこれくらいで良いし、先ほど出て行ったリュックの服装とも釣り合うような気がした。
何より靴がある。
これで自由に歩ける。
それが嬉しかった。
お姫様抱っこはやっぱり嫌だったから――。
髪型はどうしようかと考えているともう三十分経ってしまったのかリュックが部屋に戻って来た。
「あの、もうそんな時間ですか?」
「いいや、よく似合ってる。けどやっぱり君にはもっと良い物を着せたくなるね。今はそれしかないのが残念だけど。うん、服の大きさは大丈夫そうだね。それ、見知らぬおばさんに捨てる物はないかと無理を言ってもらって来た物だったんだけど」
「え? 良いんですか? それ。そんな物をいただいてしまって……」
「ああ、もう着なくなった若い頃の自分の物だって言ってたよ」
「そうですか……」
ベロニカはまじまじとその服を見る。
別にそれで何が変わるわけでもないのに。
「そうそう、はい! これ」
リュックが突然手渡して来た物をベロニカは片手で受け取った。
「トランク?」
「ああ、焦げ茶色で悪いんだけどね。新しいのだよ、君の片手でも何とか持ち歩けそうな大きさがそれしかなくてね、お金は昨日残った分から使ったから心配しなくて良い。こういう時の為に取っておいたものだから。その中にその白い服を入れると良い。他にもいっぱい入るだろう」
「ありがとうございます。でも、まだ店はやっていない時間では?」
「そうだけど、店の人を叩き起こして買って来た。怒られたけど」
「そうでしょうね」
「常識ある大人じゃないって思ったかい? でも、待ってるわけにはいかなかったんだ、しょうがないだろ。行く所があるからね」
「ヒイラギ、ですか?」
「いいや、ヒイラギには行かないよ。昨日、やっと逃げ切ったのにそうする必要はない。あれは運命だったと思うんだ。君の召還魔法陣の発動で見た強い白い光、それをヒイラギよりも早く発見できたのは幸運だった」
そう言って、リュックはベロニカがトランクに自分の服をしまうのを見ると言った。
「じゃあ、行こうか。宿代は昨日のうちに払ってあるし、今は随分と静かだし」
「……」
それについてはもう何も言いたくないとベロニカは無言を貫いた。
そんな宿を出るとリュックはちらっとベロニカを見た。
これくらいなら持てます! と一人トランクを持って歩く少女。
一方、男の方は何も持っていない。
「何か、男の俺が手ぶらなのがそわそわする。やっぱり、俺が持つよ」
「でも……」
「大丈夫」
そう言うとリュックはベロニカからその焦げ茶色のトランクを受け取ると、あたかも自分の物であるかのように持ち歩いた。
「あの、ありがとうございます」
ベロニカは少し恥ずかしそうにしていた。
「どういたしまして。というか、俺が勝手にしてる事だから気にしないでほしいけど」
「はい……」
「いや、気にすんなって言った方が普通かな?」
悩まれても困るとベロニカは言う。
「リュックさんって、本当は言葉遣いが乱暴なんですか?」
「うん……そうかもしれない。けれど、君にはそんなにはしないつもり。あ、そうだ」
そう言ってリュックは空いてる手で自分のズボンのポケットから一つ面白い物を出した。
「それは?」
興味津々にベロニカは見る。
リュックの手の平にちょこんと収まるペンダントトップのような物は緑の宝石のようで遊色効果があり、それが目立って綺麗に発光している。
その中心部分には黄色と黒が混じったような瞳孔みたいなものを感じられた。
「ドラゴンの眼だ。不思議な色だろ? 角度によって色が変わる。これはその片目の小さいのなんだけどね、それでも高く売れるからその日暮らしには最高の物でさ。両方揃えばそれもまた高くなるんだけど、大きさも大きければ大きいほど、綺麗な色であればそれだけもっと高く売れる。けれどこれは冒険者である者じゃないと手に入らなくてね。俺のやってる仕事というか、そういうので続々と手に入ってるけど、何に使うかは分かっていない」
「そうなんですか……」
「とされている」
「どういうことですか?」
リュックはそれをまた自分のポケットに入れると説明し出した。
「ただのアクセサリーじゃないってこと。これは望めば何でも見えるとされていてね。けれどそれには強大な力がいる。君はこういうのを見た事がなさそうだけど、君の世界にはそういうのはなかった?」
質問されてもベロニカは答えられなかった。
その居た世界の事を全く思い出せなかったからだ。
「うん、分かった。この世界にはね、突如として自然発生するダンジョンと呼ばれる物があるんだ。その中にレアアイテムや水晶、宝石なんかもあって、それを密かに手に入れれば良い金になるし、モンスターを倒せば、一躍有名人、英雄にもなれるんだ。皆、一度は憧れるだろう。だからこそ、一攫千金も夢じゃないと貧乏人だってそっちに行く。現にそうして貴族の一員になった者もいるしね。けれどね、自分の身体のどこかしらを失う恐れもあるし、俺のような魔法が使えない者はどんなに頑張ってもそれにはなれない。選ばれた者にしか無理で、だからこそ、俺はその危ない目にあわない代わりにその冒険者が残した物を届けることにしてるんだ。そうして、要らない時はこちらで引き取ることにしてる。そうして、俺は生計を立ててる」
「では、これから行く所は……」
「そう、その冒険者の一人が残した物をご家族に渡しに行く。それだけの事だけど、遠いからね。冒険者はあちらこちらから来てるから」
「それでは、その冒険者の方は……」
ベロニカは恐ろしい顔をしていた。
「そうだね、俺が相手にする冒険者はもうじき死後の世界に行く人達やすでにこの世に居ない人達だ。でなければ、快くそれらをくれたりしない。冒険者は皆結構意地汚い。自分の物だと他の者に分けるなんてことはしないから、横取りだってあるし、その際に起こる喧嘩が原因で死ぬ時もある。殺しもある。まあ、仲間で仲良くやってる所にはそういうのがないんだろうけど。実態としてはそうだ。それでも表面上は皆仲が良い。本当に救われるべきはそういう者達で、君のような存在ではないという人もいるけれど。それでも俺は君を守りたいと思ってしまうよ」
少し悲しそうな顔をされた。
そんなリュックを見て、彼女は言う。
「私も、そういう方々が少しでも救われれば良いと思います」
「だから、その聖女召喚はなくならない。救われたいからね、誰しも。過酷は嫌だ。少しでも楽になれればと呼び出してしまうんだろう」
「何で……」
じっとリュックの顔を見ていたベロニカは言う。
「何でそんなに悲しそうなんですか? 寂しいのですか?」
「え?!」
意表を突いたその言葉にリュックは驚いた。
「いやいや、そうじゃない。俺はだから、君に幸せになってほしくて、だから、君にはちゃんと自分が好きだなって思う人を作ってほしいんだ。それでその人と一緒になって、幸せな結婚をしてほしいと思ってる」
唐突な申し出にベロニカは驚いた。
「好きな人? 自分が?」
「そう、ちゃんとこの人となら! って思う人とね。その方がきっと幸せになれると思うんだ」
身勝手だと言われるだろうか、リュックはそんな彼女の言葉を待った。
けれど、彼女の口から出た言葉は「頑張ってみます……」という何とも心細い声で明らかに前向きな感じはしないものだった。
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