第16話 迎えの約束
最後に樹から降りてきたキラカは、一本ずつホチキスの針を外した。
これでほとんど見分けはつかなくなり、幹に空いた穴もどこにあるのかわからなくなった。
外ではまだ警報音が鳴り響いていて、洞の中から作業員たちが逃げ出してきていた。アナウンスが何度も流れ、列車が一時的に動き出すことと、作業員は中に乗って逃げるようにと告げていた。作業員やバイトたちは、それぞれ自分が乗ってきた列車へと向かって走っている。
反対に、洞の中へは武装した鉄道警備隊がばたばたと入っていった。遠くの警備隊がこちらにやってくるのも時間の問題だろう。
三人は彼らの目が洞に向いているのを確認すると、荷物の間をすり抜けて素早く列車に近づいた。ほとんどの作業員は素早く列車に乗り込んでいたので、すぐさま貨物車両へと近づく事ができた。貨物車両の入り口は既に閉じられていたが、ロックレバーを外して中を見る。まだ積み込み中だったらしく、ずいぶんと余裕があった。どうやら来た時よりは快適に帰れそうだった。急いで中に入り込むと扉を閉め、そのまま息を押し殺して身を潜める。車内は緊張感で満たされた。中からでは鍵が閉められないため、ロックレバーの存在に気がつかれると厄介だ。どうかそのまま出発してほしい。この蒸し暑さは、場所の問題だけではないだろう。押し黙り、じっとその時を待つ。
やがて、がたんと大きな音がして列車が動き出した。
どうやら全員が乗り込んだらしい。
ウィルはそっと立ち上がり、暗闇に慣れた目で壁を確認しながら扉へと向かった。
ロックレバーは開けっぱなしになっていたらしく、扉は簡単に開いた。少しだけ開けて、遠ざかっていくアンシー・ウーフェンへと目を向ける。警報音と、鉄道警備隊の声が遠ざかっていった。
扉を閉めると、長い息を吐き出した。
「ふう……」
ようやくウィルはその場に座り込んだ。
どこか安堵したような空気に満ちた。
「危ないところでしたね」
「まったくだ……」
足を投げ出し、頭をがりがりと掻く。
「いったいいつ見つかったんだ」
「……」
キラカはそれについては何も言わなかった。
「……ウィルさん」
「あん?」
「もう僕らには時間がありません。次は、十九日の午後十時に迎えに行きます」
ウィルはその言葉の意味をじっと反芻する。
「……迎えに、と言ったか」
「はい」
――今度は誘いではなく、迎えときたか。
息を吐く。すぐには返事をしなかった。
「少々、荒っぽい迎えになるかもしれません。しかし、僕らにはあなたの力が必要なんです。……魔法使いであるあなたが!」
「……」
時間が無いというのは事実なのだろう。それがどういう意味にしろ。ウィルはその真意について少しだけ考えた。
無言のまま、キラカを見つめる。暗い貨物室の中で、その目だけは爛々と獣のようにウィルを見返していた。焦りの中にも、強い意思が感じられた。もしここでウィルが了承しなければ、力尽くで連れていくかもしれない。それほどの強い決意が見受けられた。思わず、笑みを浮かべそうになる。
どうしてくれようか、と考えていたそのときだった。
「……で?」
横から明らかに不機嫌な声がした。
「あたしはいつまで待てばいいわけ?」
「えっ」
「……あっ」
ヘイウッドの存在をすっかり忘れていた。
当の記者はすっかりおかんむりだった。意味もわからず通じ合っている二人を冷めた目で見ている。その目に怒りが含まれているのは明白だった。例え暗くて見えなくてもわかる。やばい。
だが、ウィルの予想に反してすぐにキラカは口を開いた。
「……ええと、ヘイウッドさん、でしたっけ」
「ええ、そうよ。キラカ・ペチカさん」
ヘイウッドは今度は取材モードに入っていたらしく、姿勢を正す。
「申し遅れました。私、ドラゴニカ・エクスプレス新聞社のヘイウッド・ペグと申します。以後、お見知りおきを。あっ、これは名刺です」
「これは、ご丁寧にどうも。キラカ・ペチカと申します。僕の名刺はいまちょっと手元に無いので、今度新聞社宛に郵送させていただいても宜しいでしょうか?」
「ええ! あなたさえ良ければ」
二人のやりとりに、ウィルは閉口した。
果たしてこんなに丁寧にやりとりしている場合なのか。
そう思ったが、余計な口出しはしないでおく。
「それで、これはどういうことなのかご説明願えますでしょうか?」
よくよく考えれば、ヘイウッドはドラゴニカ・エクスプレスが発行している新聞の記者だ。自分のところの親会社の施設に侵入されたようなものだ。それはもうどういう事か聞きたいだろう。良ければ特ダネだが、下手をすれば首が飛ぶ。
「今は詳しくお話できません。ですが、貴女も来てもらって構いません。二日後、十九日の午後十時。それまで記事は待っていただけますか?」
「……その時間なら、お話をお聞かせ願えますか?」
「はい。この時間なら必ず、こちらの準備が整います。どんな質問にも答えるご用意ができる、と言った方が宜しいですか。ただし、僕が会見を開くとか、そういう情報は漏らさないようにお願いしたい。これは――」
「これは?」
「街をひっくり返しかねない特ダネです」
キラカはびしりと言い放った。
無言の間があった。がたんごとん、と列車が走る音だけが駆け抜けていく。
緊張が走る。
「しょうがないですね~!?」
特ダネという言葉が弱点を突いたのか、ヘイウッドはあまりにも簡単に落ちた。
「……」
ウィルはなんとも言えない表情でその緩みきった顔を見ていた。
記者という人間、いや、もはや記者という種族への扱い方を見た気がした。
「十九日の午後十時ですね!? どこでお待ちしていれば宜しいでしょうか!?」
「そうですね、では広場でお願いします。あくまで目立たないようにお願いしますよ」
「ええ、ええ! そのように!」
テンションが最高潮に達したとおぼしきヘイウッドは、そのままニヤニヤと笑っていた。
ウィルは呆れたような、気が抜けたような、引きつった顔でキラカに視線を向けた。
「いいのか」
「いいんです」
ため息をついた。
キラカがそれでいいなら、他にもう言うことはなかった。
「わかった。俺もカナリアと二人で、迎えを待っているぞ。お手柔らかにな」
言葉の代わりに、力強く頷きがかえってきた。
*
駅長フリードマン・ドドはアンシー・ウーフェンからの連絡を受けると、すぐに飛び起きた。
アンシー・ウーフェン中層あたりで侵入者がいたかもしれない、という話は、フリードマンの意識を一気に覚醒させた。さすがに起き抜けとあっては、きびきびと動くことは厳しかった。意識ははっきりしているのに、体の方はいうことをきかない。本来なら、次世代の若い者たちに譲るべき時がきているのだ。だが、いまの駅長は自分だ。行かねばならなかった。
既に齢三百になろうかという体にむち打ち、すぐに専用車両に乗って急行した。いくらトカゲ人が長生きだといっても、フリードマンは少々長生きをしすぎた。列車の揺れでさえクラクラするくらいなのだから。いやでも自分の年齢を自覚する。
だが、それでも――竜の秘宝に何かあってからでは遅すぎる。すべてはこのオースグリフが作られた時から、そしてドラゴニカ・エクスプレスが完成した二百年前から始まっている。既に多くのトカゲ人は死に絶え、当時を知っている者はいない。いまさら失うわけにはいかないのだ。
そのためにも、魔法使いの存在は僥倖だった。彼がいれば、なんとかなるかもしれない。フリードマンは暗い窓に映る自分を見つめた。
列車が着いても、まだ日は昇ってこなかった。灯りはアンシー・ウーフェンの足元にあるものだけだ。
はやる気持ちを抑えて列車から降りると、鉄道警備隊が彼を待っていた。
「どうだった」
「誰も見つかりませんでした」
報告は拍子抜けするものだった。
「おそらくですが、古くなったシリンダーが落ちてしまったものかと思われます。それが、どこかの管に偶然当たったのではないかと……。以前もこういうことがありましたので」
「……そうか」
フリードマンは長いため息をついた。
「そういえば、以前もそんなことがあったな」
「ええ。駅長に来ていただくほどでは無かったかと……」
言いかけた隊員の言葉を遮るように、フリードマンは首を振る。
「そういうわけにはいかんよ。ここは我々の生命線だ。失うわけにはいかないからな」
「……はっ。失礼しました。重々承知しております」
警備隊の隊員は力強く頷いた。
「警備を増強しましょうか?」
「そうだな。無理の無い範囲で頼む」
隊員はすぐさま近くにいた別の隊員に指示を出した。
「それと、駅長」
「なんだね」
「レンベーグの村のことですが、一緒に報告が入っています」
「どうだった」
「駄目でした。尻尾がつかめません」
隊員は肩を竦める。
「本当に、レンベーグの村に『無銘なる黙示団』のスパイが入り込んでいるんでしょうか」
「そっちも、しらみつぶしにやっていくしかない。きみたちの腕にかかっているんだ」
「ええ。それはわかっています。ですが、どこかから情報が漏れたみたいで。新聞の関係者を何名か見ました。それぞれ違うところでしたが」
「まったく……」
せめて自分のところの新聞社くらいは足止めしておきたかったが、それも無理な話だ。頭が痛い事態だった。
「心中、お察しします。駅長はこのあと、どうされますか」
「一応、竜の秘宝を見ておくよ」
「警備は……」
「大丈夫だ、必要ない。あそこにあまり人を入れたくないんだ。この会社の……いや、もはやこの国の機密事項とも言っていいからね」
「わかりました。では、いつものように」
隊員はそう言うと、何人かの隊員を呼び寄せた。
駅長の後ろにつき、彼が重要機密の部屋に入るまでを見届けるためだった。
「ああ、頼んだ」
駅長は頷き、隊員に囲まれながら歩きだした。アンシー・ウーフェンの洞はただ、彼らを中へ迎え入れただけだった。
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