第17話 狼煙

「お前たち、よく聞いておきなさい」


 父は最後の出撃の前、二人の兄弟を前にして言った。

 一家のテントの中。炉の前であぐらを掻いた姿は、いつも通りだった。出撃前とは思えないほど、まじめで穏やかだった。まだ集落の男としての訓練をはじめる前。母が腐れ谷の深部に飲み込まれて以来、二人に寝物語をしてくれたそのままの顔だった。

 父は横に置いてあった杖を手にして、それぞれじっくりと二人に見せた。先端に石がはめ込まれた杖だ。代々の首領だけが受け継いできた杖。


「この杖のことは、知っているな」

「知ってるよ。大事に受け継がれてきた杖で、いまは父さんのものだ」

「僕だって知ってるよ、首領の証だもの。大事な時にだけしか持てない杖だろ」


 二人の兄弟は互いを見つめ合う。自分のほうがよく知っているんだぞと言いたげに。

 そんな二人を見つめた父は、少しだけ笑みを浮かべた。それもすぐに消えた。


「いいかい二人とも、よく聞いてくれ。この杖には、それ以上のものがある」


 視線を父親に戻すと、目を瞬かせる。


「これを託してきた首領たちは、この話も一緒に受け継いできた」


 二人はもう一度互いの顔を見合わせた。


「この国には隠された秘密がある。その秘密が暴かれた時、この杖も本来の力を取り戻すだろう。そのときこそ本当の意味で、あの忌まわしきアンシー・ウーフェンを砕ける時だ」


 目を見開き、二人は驚いた。

 アンシー・ウーフェンの破壊は腐れ谷に住む者たちの悲願だった。今度の出撃で父が成し遂げるのだと、幼い兄弟は心から信じていた。それなのに。


「何言ってんだよ、父さん。なんだか変だよ」

「父さんがアンシー・ウーフェンを砕いて、この腐れ谷を救ってくれるんでしょう」

「聞いてくれ、二人とも」


 父親は杖を二人に押しつけると、真剣な目をして言った。


「この国を徹底的に調べあげるんだ。そうすればきっと、秘密は解ける。そのためにも、この杖をお前たち二人に託す」

「父さん!」

「いいから、聞きなさい」


 その雰囲気に、二人は黙り込んだ。

 弟は目に涙を浮かべて、まだ受け止めきれないでいた。


「よく覚えておいてくれ。かつて我々が、竜とともにあったことを」


 背後のタペストリには、広い草原の中央に鎮座する巨大な竜と、それを崇める人々が描かれていた。

 そうして父は、集落の男達とともに騎乗竜に乗って、オースグリフへと出撃して行った。

 弟は、どうして、どうして、と泣いていた。信じていたのに、どうしようもなく裏切られたような気持ちだったのだと、今ならわかる。

 何人かの男たちは帰ってきたが、みな疲れ切っていた。ひどく憔悴しきった様子で、杖を持った彼に今後の忠誠を誓った。

 父は二度と帰ってこなかった。







 同じタペストリの前で、若き首領は何度も手紙を読み直していた。

 急いで書かれた手紙。見慣れたはずの文字は大きく崩れ、何度も書き直した跡がある。いつもなら落ち着いて書かれるはずのそれは、興奮を物語っていた。その昂ぶりがそのまま伝わってくるようだ。


「……」


 魔法使いは、ドラゴニカ・エクスプレス側の人間ではなかった。

 まったくの偶然であの列車に乗り込み、降りかかった災難を退けただけだという。元よりドラゴニカ・エクスプレス側についているわけではなかった。


 弟の見込み違いかもしれない。期待が膨らんだ故の妄想かもしれない。

 あの魔法使いなら、街の秘密とやらが解けるのだろうか。

 あの忌まわしいアンシー・ウーフェンを破壊できるのだろうか。

 杖は何も答えてはくれない。


 だが、嘘には思えなかった。

 杖を兄に託してオースグリフへ諜報活動に向かった弟が、そういうのなら。

 まだ希望はある。


 彼は手紙を、来た時と同じように丸めて、几帳面に糸でくくりつけた。テントの隅にある抽斗の中へと大事にしまい込む。そうして杖を持つと、テントを出た。外にいた集落の人々が、彼の姿を見ると頭を垂れた。

 彼はそんな人々の間を通り抜け、広場へとまっすぐに歩いていく。武器を持った男達がその後ろをついていく。彼が振り返った時には、男達が並んでその言葉を待っていた。


「皆、とうとうこの時が来た」


 声は忌まわしい大地によく通った。


「今回の襲撃のために、貴殿らはこれまで刃を研ぎ、研鑽を積み、爪を磨いてくれたものと思う」


 爛々とした目が、その一挙手一投足に向けられる。


「だが今回、その襲撃に当たって一つだけ以前と違う事がある。今回の襲撃は、ドラゴニカ・エクスプレスの破壊でも、アンシー・ウーフェンの破壊でもない! あのオースグリフに居る、魔法使いの生き残りを手に入れることだ!」


 杖をかっと大地に突く。


「我らが、我らの大地があの忌まわしきアンシー・ウーフェンによって滅びる前に、なんとしても魔法使いを手に入れるのだ! 彼を迎え入れ、この世界をひっくり返すために!」


 杖の先、装飾された石が、目の前の男達へと向けられる。


「我がトウカ・ペチカの名において、貴殿らに命じる! 魔法使いを捕らえろ!」


 おおおおお。

 男達の咆哮が集落に響いた。

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