第2話 異界:列車走る、草原の国

 タイを締め直し、黒灰色のスーツに袖を通す。

 ソファに引っかけてあった濃紺色のマントを翻して羽織る。

 最後に、放り出してあった黒い革手袋をはめる。

 そこには、先ほどまで羊たちにもみくちゃにされていた姿は無かった。髪も当然、整えられている。鏡に映るのは、魔術師と言われても誰も疑わない格好をした男だ。せめてもみくちゃにされるのは扉の向こうだけにしてほしい。

 館と定期的に繋がる酒場のおばちゃんは、何もなければいい男なのにねぇ、と言った。放っておいてほしい。記憶に浮かび上がってきた酒場のおばちゃんを心のぞうきんで拭いて消しておく。

 準備を終えると、上の棚で縮こまっていた小型のフクロウが音もなく降りてきた。羊騒動の時からずっと部屋の中で、小さな体をますます小さくさせて縮こまっていたらしい。片腕をあげると、そこに着地する。ウィルの使い魔である、名も無きフクロウだ。


「お前はいつも通り、シラユキと一緒にナビを頼むぞ」


 軽く指先を向けると、かりかりと甘噛みを返してきた。どうやら名も無き使い魔はその言葉を理解したらしい。部屋を出ると、カフェ室に向かって一直線に飛び立っていった。

 飛んでいった方へと視線をやると、既に準備を済ませたカナリアがしゃがみこんでいた。片隅で縮こまった猫のうちの一匹をなで回している。


「準備できたか」

「おう! シラユキの方もバッチリだぜ」

「……猫の数が増えてないか?」

「猫はオレじゃないぞ」


 カナリアはようやく猫を解放すると、立ち上がった。


「こいつら、勝手に入ってこれるからな」


 シラユキ曰く、猫は次元の扉なんか使わずとも世界間を自由に行き来できるらしい。だから館の猫たちも減ったり増えたりするのだという。

 羊たちがあらかた片付いたせいか、戻ってきたのだ。


「たぶん、どこかの世界が冬になったんじゃないか? 館の方が暖かいからな!」

「そんなものか」

「寒さに強いのなんてウィルだけだろー」


 カナリアは笑いながら歩き出す。

 それは単に外に放り出されても生きていたという事なんじゃないか。ウィルはそう思ったが何も言わずに、案内されるようについていった。

 階段をのぼる。二階の廊下には、見覚えの無い曲がり角があった。外観と比べても本来あるはずのない曲がり角だ。二人はその廊下の前に立った。


「静かにしてると、聞こえるはずだぜ」


 耳を澄ます。

 確かに、普通の館からは本来しない音だった。

 かたたん、かたたん、というリズミカルなジョイント音に混じって、微かな金属音のようなものも聞こえる気がする。


「……。次は、違う扉を開けるなよ」

「わかってるって! じゃあ行こうぜ!」


 本当に大丈夫か、と思ったが何も言わなかった。

 廊下の奥に進む。途中でカナリアが扉の一つを横目に見ながら通り過ぎた。羊をぶちこんだ扉だった。更に奥へ進むと、今度は音が次第に大きくなっていった。ひときわ音の大きなところを探っていくと、廊下の一番端までたどり着いた。

 扉は木製で、てらてらとした深い茶色だった。ガラスが六枚あって、優美な白い彫刻がはめこまれている。その向こうから音がしている。


「開けるぞ」

「おー」


 ウィルが少しずつ扉を開けた。

 後ろからカナリアが覗き込む。

 開けた途端に、ジョイント音が迫るほどに一気に大きくなった。

 異界への扉は、開かれた。


 列車の中だった。

 扉と同じ色の壁がまっすぐに伸びていた。壁には樹木や蔓草を思わせる装飾が施されている。床にはワインレッドの敷物がぴったりと張り巡らされ、通路の突き当たりには入ってきたのと同じ扉があった。その向こうにも車両が続いているようだ。右手側にはコンパートメントが五つ並んでいて、いくつかは乗客ありの赤いランプが灯されている。左手には窓が並び、どれも上下に開ける形式だった。窓同士の間の壁には火の形をしたランタンが灯っていた。

 足を踏み入れると、ワインレッドの敷物が音を消した。代わりに、汽車の振動が伝わってくる。

 ウィルは改めて内装を見回した。車内はずいぶんと上等だった。

 カナリアは近くにあった窓へと駆け寄り、外を見る。


「ふむ。確かにここは、どこかの列車のようだな」

「なあ、すげぇぞウィル! 見てみろ、外は一面草だらけだ!」

「なに?」


 カナリアに言われ、窓へと視線を向ける。

 外はどこまでも草原が広がっていた。カナリアが上下式の窓を開け放つと、音が更に大きくなる。カナリアが身を乗り出して覗き込んでみても、草原はどこまでも続いていた。どこまでも平坦で、山ひとつ無い。建物らしきものも一切見えない。列車だけが、ゆるやかに円を描くように動いている。

 ただひとつだけ、遠くにぽつりと巨大な樹が立っているのが見えた。天に昇ろうとするような巨大な樹だった。

 カナリアは頭を戻し、窓を閉めた。


「何かわかったか?」

「んー。列車の最後尾だってことだけだな」

「ここが最後尾か。……ふむ。見たところ普通の列車のようだが……」


 特に異常は見られないように思う。

 あまり長居するのも良くはないだろう。

 カナリアが首をかしげた。


「でもなんで扉はずーっと繋がってたんだろうな?」

「そうだな、単に穴がでかかっただけか……」


 二人が考えていると、背後で突然、ばたん、と扉が閉まる音がした。


「え!?」

「は?」


 さっき通り抜けてきた扉へと目線を向ける。

 閉まっている。

 カナリアがそっと扉を開ける。ドアの向こうは、緑の草原が見えた。閉めた。


「いま閉めることないだろバカウィルーー!!」

「俺ではないわ!!」


 次元の扉が消え去ったのだ。


「マジかよ、閉じ込められた!」

「ずっと繋がってたのが、いまのタイミングで自然に閉じたっていうのか……」

「さすが不幸の魔術師だな……」

「それも俺のせいではない!!」


 少なくとも自分のせいではないと思いたかった。

 こうなるともう、館に残ったナビゲーターであるシラユキに頼るしかない。

 カナリアは頭を掻いた。


「というか、不幸ではないと言ってるだろ!」

「仕方ねぇなあ、ゆっきーに連絡するしか……」


 そこへ、ガラッと奥の扉が開いた。

 のしり、と爬虫類の足が進み出た。ドアを埋め着くさんばかりの大柄な二足歩行のトカゲだった。深い青色の制服をゆったりと着こなし、太い尻尾を引きずりながら客車の中へと入ってくる。頭にはちょこんと制帽が乗っていて、顎の下で紐でくくりつけられている。巨大な手が、ちょいちょいと帽子の位置を直した。

 二人をのったりとした目が見ると、小さく頭を下げた。そうして、すぐ近くにあったコンパートメントへと頭ごと視線を向けた。赤いランプがついているところだった。巨大な口に手を当てて、ごほんと小さく咳き込んだあと、軽くノックをした。横開きのドアを開ける。


「失礼。切符を拝見致します」


 見た目に対してきびきびとした声がした。


「……」

「……」


 ウィルとカナリアはちらっとお互いを見た。

 これは、まずい。


「……お、おい、ウィル、どうすんだこれ」

「どうすると言われても……」


 ここに居るのは明らかに見られている。

 だが二人は肝心の切符を持っていない。いまのままでは単なる無賃乗車だ。この国の金だってまだ手に入れられていない。

 個室の中に半分ほど入っていたトカゲが、のっそりと出てきた。そして次の個室のランプが緑色をしている事を確認してから、その次。ちょうど真ん中の個室をノックした。


「失礼。切符を拝見致します」


 きびきびした声が近づいてくる。個室の扉を開き、巨体が入り口を塞ぐ。残っている赤色ランプの個室は、あと一つ。そこが終われば確実に声をかけてくるだろう。二人の姿をここまで目にしていないのだから。

 二人はコソコソと話す。


「もうこうなったら、列車から飛び降りるしかないぞ!?」

「やめろ、なんでそんなに思い切りがいいんだお前は!」


 走り出そうとするカナリアの首根っこを引っ張って止める。

 こんな所から飛び降りたら、下手したら怪我では済まない。それに、草原と向こうの大樹以外何も見えない状況で草原に取り残されても困る。次元の扉が繋がっていたのはこの列車の中なのだ。せめて近い所にいた方がいい。


「せめてそれは最終手段だ」

「じゃあどうすんだよ?」


 切符の照会を終えた乗務員が、一礼して個室から出てくる。


「……どうって、とにかく誤魔化すしかないだろう」


 苦々しい顔でウィルは言った。

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