第11話「距離」
四月二二日、月曜平日。
始まる前の僅かな休息は、移動のために費やす。そんな気だるい隙間時間、夢吽は未だに自分の机の前にいた。
体育は好きな科目。だが、最近は刺激的な体験ばかりだったからか、なにぶん身体が重く眠気が強い。
(……ん!)
そしてまた、刺激的な体験がやって来る。
誰かが変界した気配だ。
この感知は相手が三キロ圏内なら発動する。
夢吽はモバホを取り出し、急いで変界する。
変界した者の攻撃は、周囲に一切作用しないが、思界力者にのみ、どういうわけか作用する。
もし変界しないで攻撃を受けたら、ひとたまりも無い事は明白。
変界の感知が働いたという状況は、思界力者にとって一番危ない状況なのだ。
「よし!」
とりあえず変界完了。こうなれば、あらゆる干渉の九九パーセントを消失させるワールドラインのおかげで安全になる。
夢吽は、そのまま窓辺に向かい、窓ガラスをすり抜け宙を蹴るようにして移動する。
変界した状態は、これまたどういうわけか壁や床、地面以外のものは透き通る。
夢吽は不思議に思っても、あまり深く考えない事にした――
*
景観目的で植栽されたケヤキの木。丸みを帯びた形状の七階建てのオフィスビル、それを照らす朝一〇時の暖かな日差し。
夢吽が今降り立ったこの場所は、駅前の広間。
駅と言っても隣の区の駅。徒歩なら本来二〇分は掛かる距離である。
が、変界した状態ならば数分もかからず移動できるから便利なものだ。
「ごめんあいちゃん、待たせちゃって!」
「全然だよ! じゃ、いこっか!」
目の前には同じく変界済みの
五階付近の外壁…… そこには、光を纏いビルを横切る思界力者が居た。
商業ビルでの戦いから二週間…… その間に思界力者を発見したのは今回で五回目。これはなかなかの数字である。
「あの人もマーチじゃないっぽいね。これってやっぱり首藤さんの予想通りなのかな?」
夢吽は小声で話す。
思界力者といえば、四月までは夢吽と阿衣を抜きにすれば、マーチのみだった。
それが変化したのは、四月一日から始まった〝S4機能制限緩和〟政策が始まってから。
政策によって新たに拡張された空間が都市中に増えた。
拡張空間には思界力が付きもの。見えないエネルギーのように漂っているそれは、観測者と呼ばれる体質の者の脳内に入り込む特徴がある。
思界力者が増加したのは、これが原因だった。
「さて……」
阿衣が一歩前に出る。
この二週間で遭遇した四人の思界力者は、特に無害と判断した者が二人、既に他の者、おそらくマーチに倒された者が一人、敵意があり、戦う事になった者が一人。
今回の思界力者はどんな人物か…… 変界時間は残り約五分、その間に確認する必要があった。
「あの、すみま―― おおっと!?」
と、阿衣が声を掛けるより先に、相手からの思わぬ牽制が降りかかる。
日差しよりも強い熱を持つそれは、炎。
しかもだいぶ手慣れたような扱い方だ。
思界力は、いわゆる超能力の様な力。身についた直後の頃は優越感に浸れる。が、なんだかんだですぐ飽きる。
炎を出そうが水を出そうが、周囲になにも干渉できないため、言ってみればつまらないのだ。
にもかかわらず、今目の前にする相手は手慣れるほどに思界力を使っている。そのような者は得てして――
「付き合って貰うぜ、俺の遊びにな!」
そう、非日常感に浸りたいバトルマニアという事になる。
「問答無用だね。あいちゃん、見過ごせないよ」
「……そだね。戦うしかなさそうだね」
阿衣の返事を聞き、夢吽はすぐに行動する。
変界時間はあと三分ほど。早い決着が臨まれる。
ハンドサインでマシンガンを作り、目の前のビル五階付近に居る敵に向かい発射する。
が、対する敵の攻撃は、思ったよりも強力だった。
マシンガンの弾を溶かし、駅前広場の木々とベンチに座るサラリーマンをすり抜け、炎が広がっていく。
夢吽達は避けきれず、高い熱量をその身に浴びる。
ワールドラインにより熱は何一つ感じない。
が、夢吽はすぐにジャンプし、炎の中から脱出した。
「夢吽、ちょい右に! あの堅い光るヤツを出して!」
同じく炎から脱出していた阿衣のかけ声。
夢吽は返事より先に指示通りに動く。
身を宙に留めたまま、右腕を正面に突き出し、握った掌を素早く開ける。
青白い光がガラス板の様に形成し、それが敵の炎を遮る。
(よーし!)
右手をそのまま、今度は左手を突き出す。
炎が完全に消えた。
今がチャンス、と、開いていた左の掌を素早く握り込む。
ドン! という打ち上げ花火を思わせる音と共に、楕円状の物体が発射される。
「うわ!」
楕円形の物体――バズーカの砲弾が、敵に見事に直撃した。
同時、その姿が消失し、炎の驚異も消え去った。
「やっつけたのかな?」
「どうだろね? もしかしたらタイミング良くあっちの時間切れだったのかも…… ま、とにかくお疲れさんだね~」
なんだか眠そうに阿衣が言う。
聞けば、昼寝の最中だったという。
「まったく、今日は久々にバンドの皆と集まる日だってのに、イヤになるね。さて、わたしはまた一眠り――」
言いかけて、阿衣はその場から消えた。
(わたしもそろそろかな)
程なくして、夢吽の変界も終わった――
*
「夢吽?」
思界力を終えた夢吽に、友達の声がやって来る。
ここは、夢吽が通う高校。
立つ場所は渡り廊下。隣に居るのは声を掛けてきた友人。
変界を始めたのが、二時限目を終える少し前。
そこから五分間、変界して向こうで戦っている間、〝別の自分〟がこうして歩いていたようだ。
(次は体育だったから、今は移動中か)
変界中は、世界から消えた状態。その間、消えた自分の代わりに〝別の自分〟が行動していることは大体解っていたが、色々慣れない部分はあった。
なにしろ自分ではその別の自分の姿は見えない上、思考や行動も把握出来ない。
変界が終われば、強制的に別の自分の居る場所に戻り、一体化。融合する様な状態になる。
そうなれば、別の自分の思考と行動が少しずつ記憶として浮かんでくるのだが、
「なんかぼーっとしてるね。ちゃんと話聞いてた?」
話の最中に戻ったりすればどうしても反応は遅くなるため、苦労はする。
「だ、だいじょうぶだよ
夢吽の返事に、友達――心はとりあえず納得したような表情を浮かべた。
この
今はバンド時代に縁が出来た、大手エンタテインメント企業〝ヒルホース〟の声優シンガースクールに週一で通う、声優の卵である。
「夢吽ってば春休み終わってから少し変わったよね。授業中にモバホを使うわ、話もあまり聞かないわ…… すっかりワルだ」
「そ、それには、ちょっとした訳が……」
からかいつつも、釘をさすかのような心に、夢吽は言葉を濁らせる。
「ま、ほどほどにね。でさ、さっきの連絡、夢吽のお姉さんでしょ? その、お姉さん…… 阿衣さんは元気? 最近全然連絡無いけど」
と、話題が切り替わる。
しかも、滅多に聞いてこない姉の話となっては食いつかない訳にはいかない。
「全然元気だよ。『今日はひさしぶりにみんなに会うんだー』って張り切ってた」
「そうなんだ。でも先輩たちもったいないよね。ヒルホースからオファー来てたのに」
どこか不満そうな心。
大手エンタテインメント企業のヒルホースは、音楽事業にも力を入れており、運営するレーベルは複数ある。
ここのレーベルと契約してCDを出せば、それはつまりメジャーデビュー。ヒルホース所属のバンドとして一気に飛躍を期待できる。
心はそのメジャーデビューのチャンスをフイにしたのを残念がっているようだ。
が、一番の不満点は他にあることを、夢吽はうすうす知っていた。
「バンドのみんながヒルホースに行ったら、心ちゃんとも少しは繋がりが出来るもんね。実はバンド辞めちゃってちょっと寂しかったり?」
「あ、あたしは別にそんなんじゃ……」
顔を赤くし、首を振る心。予想通りの反応だ。
「でも良かった。元気そうで。夢吽にこういうこと言うのもなんだけど…… 阿衣さんってあまり自分の事話さないから、ちょっと距離置かれてるんじゃないかって……」
と、一転。予想外の話がやってきた。
今まで言われたことが無かったため気にもならなかったが、阿衣は確かにそういうところがあった。
自分のこと、というより交友関係全般。あまり話題に出したりしない。
でも人付き合いが苦手とかでは無く、むしろ得意なはずだ。
「だから最後のライブでやったサプライズは驚いたな。なんかこう…… センパイ!って感じで。でもそのお礼もまだうまく出来てないんだ」
そう。阿衣は決して心と距離を置いていたわけではないはずだ。夢吽はそれを確信していたが、なにぶん、上手く伝えるのが難しい事である。
言葉ではなく、もっと手っ取り早く互いの関係を再認識させる方法があれば…… そう考えた後、名案が一つ思いついた。
「そうだ。あいちゃん達、なにか新しい活動始めるっぽいから、こっちでなにか決起会的な事をするのはどうかな? その時にこの前のライブのお礼をするといいよ」
「あー いいね、それ! ナイスアイディア!」
心の目が輝いている。思いのほか食いつきが良かった。
この案は、阿衣に連絡してから改めて決めていくという事に。
「ま、今はダルいダルい体育を乗り越えないとね」
げんなりとして心が言う。
夢吽は苦笑いでそれに応えた――
マーチバース! ~多元音響、ここ(そこ)にあり?~ 弥七煌 @nagira
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