第五章 8
「いいかい? 扉を開けた後はパイを切り取るようにして視界を広げ、まずは安全確認だ。そうして中を確かめてから突入し、掃除するように部屋を一つ一つ占領していくんだ」
カニスは部下達にそう指示を出す。
雪に閉ざされて、氷のように冷え切った城内。
そこでは帝国軍が二派に別れて争いを繰り広げていた。
一つはこの状況になっても尚、カニスに付き従う者達。
もう一つは、この状況に導いたカニス元帥に責任と取らせるべきという者達。
その反逆の理由は、半分は正しく、半分は正しくなかった。
何故ならそれは、同胞同士で残された物資を奪い合うという共食いのようなこの争いを正当化するためのお題目でもあるからだ。
帝国随一の精鋭部隊といわれ、数々の戦果を上げてきた帝国第二師団。
しかしもう彼らには、忠誠心だとか、誇りだとか、仲間意識だとか、そういう贅沢品を持ち合わせる余裕はなかった。
雪と氷に閉ざされた閉塞感、故郷から遠すぎる寂寥感、冷たさに蝕まれ変色した身体の不安感、分け合うには少なすぎる物資からくる焦燥感……それらは彼らから、そういったものを剥がし取っていった。
重い手足を動かし、歯が抜け落ちた歯茎で食いしばり、痩せこけた身体に鞭を打ち、かつての仲間達を屠っていく。
こうして反乱軍は、カニス率いる帝国軍に鎮圧された。
しかしその結果、出発する頃には六千だった帝国兵はさらに減り、五十まで減っていた。もう弁当を使わなくとも、数えられるまでになっていた。
それは少人数で残された物資を独占できるということだった。
しかし、あまりにも春は遠かった。
「……はあ……はあ……」
幾重にも重ね着した軍服に付いた返り血を吹くこともなく、身体に溜まった埃を吐き出すような白く荒い息を吐きながら、カニスは一人で城の二階へと上がると、そこにある一室へと入る。
既に主要なものは帝国軍が着いた時には持ち去られ、がらんとした室内。
しかし、クローゼットやベッド、鏡台といった大きな家具や調度品は運べなかったのか、そのまま残されていた。
部下達はそれを薪へと変えて、暖炉に投げ入れようとしたが、それは固く禁じた。
空っぽのクローゼット、シーツのないベッド、主を映さない鏡台。
しかし、それでもここには、この部屋の持ち主の面影が確かに残されていた。
「……はは……我が姫君」
カニスはそこで眠っていたであろう彼女のことを呼ぶと、ベッドの前で崩れ落ちる。
そして、まるでベッドに頬ずりするように頭だけをむき出しの木の板の上に乗せる。
「……なるほど。あのベルンとかいうご老人は使者だったわけだ。ボク達へではなく、砦を守るステンベルクの兵士達への。ここにボク達を閉じ込める準備が出来たから、もう死んでもいいと彼らに告げるための」
そして、恐らくその策を考えたのは……。
グレゴーリ、キルケーにその非情さはない。
もし、そんな策をするとしたら部下を生贄にする前に、まず自分自身を犠牲にする。
蘭皇子にその人徳はない。
もし、そんな策をしたら部下から裏切り者、逃亡者が出る。そんな風に部下は彼を信頼していないし、彼もまた部下を信頼していない。そんな前提条件から破綻している策を彼は考えない。
「はは……見事に一杯食わされちゃったね。蘭皇子を生餌に使うのも驚いたよ」
結局、見つけることができなかった彼女の婚約者に対して、精一杯の皮肉をカニスは言う。
「二人で月明かりの下で踊った時のことを覚えているかい? その君に恋した夜からずっと見続けている夢だけで、ボクは生きていけると思っていた。でも……ボクの心は自分で思っているよりもずっと贅沢だった。これは……そんな風に君を忘れることのできなかったボクへの罰ということか……」
カニスはそう言うと、ベッドに顔を付けたまま、深く目と閉じながら涙を零した。
いつしかその身体は動かなくなり、その涙も氷った。
こうして帝国の暴風に率いられし帝国軍第二師団は全滅した。
※
いつからだろうか。
春が嫌いになったのは。
冬が好きになったのは。
子供の時は、未来が待ち遠しかった。
それは好きなモノがどんどん増えて、出来ることがますます得意になる時間だった。
でも、いつからだろうか。
それが好きなモノがどんどん消えて、出来ないことがますます無理になる時間に変わってしまったのは。
ステンベルクにおいて、春は出稼ぎにいった男達が帰ってくる季節だった。
それは二度と帰ってこない男達を知る季節でもあった。
けれども冬となり、国中が雪と氷に閉ざされば、外の世界からは情報が何一つ入って来なくなる。それはまるで未来が遠くにあるかのように思うことが出来た。
そして、季節が巡り、また春が来た。
今も春は嫌いだ。先の見えない未来は怖い。しかも、その切り拓かなければならない未来は自分一人だけのものではないのだ。
けれど……決めたのだ。
自分の――そして、彼らの夢の主役を務めることを。
そのために、脇役でいることができた猫の身体から、相棒の言うこの美しい美少女の身体に戻ったのだから。
雪が解け、山間の小道が往来可能になり、ステンベルク王国王女――ティフォが真っ先に向かったのは、親衛隊が散った砦の跡だった。
封鎖した街道の復旧はもう少しかかるから、小道を通れる少人数でしか来られなかった。
だから、人手は足りないハズだった。親衛隊、それに帝国兵の亡骸を、廃墟のような姿となった砦から収容し、埋葬するための。
それでも、グレゴーリやジェイドはティフォを遠ざけて、その作業を手伝わせないようにしようとした。
が、姫の命令として手伝うことを許可させた。
といっても、やっぱり気を遣われ、穴掘りの手伝い程度しかさせてもらえなかったが。
「……私達は決して忘れません。あなた方が、良き父、良き夫、良き祖父であったことを」
そして、埋葬が終わると、建てられた十字架の前で、ティフォは弔辞を読み始める。
「あなた方は、ステンベルクにいる時間よりも、もしかしたら戦場に赴いてた時間の方が長かったかもしれません。しかし、それはあなた方の愛情の深さ故でした」
弔辞の文は復興のために王都にいるキルケーが用意してくれたものだった。
不器用な彼らしく堅苦しいものだったが、宰相としての感謝と哀悼の意が込められていた。
「あなた方の勇敢さが、頑張りが、忍耐が、国元の家族を、そしてステンベルク王国を支えていてくれたことを、私達は良く知っています――それを私達は決して忘れることはありません」
グレゴーリを始め、付き従ってきた兵達は整列し、敬礼を崩さずに姫の弔辞に聞き入る。
「だから、安心して休んでください。神もまた、きっとそのことをお忘れではなく、良き戦士であらねばならなかったあなた方に対して天国への扉を開き、かの安息の地で――――嘘よ! 嘘よ!」
ティフォは弔辞を中断し、声を震わせながら叫ぶ。
「みんなと会えなくなる場所が、安息の地なんて嘘よ! それなのに天国が楽しい場所なんて嘘よ! またあたしに、みんなで嘘を吐いて……!」
ボロボロと大粒の涙が彼女の目から流れ落ちていく
それは今まで彼女の身体が流してきたどんな涙よりも美しく、そして切なかった。
彼女のそんな姿を目にした途端、必死に我慢していたものが耐え切れなくなり、居並ぶ男達の中からもすすり泣く声が漏れ始める。
「いっぱい言いたいことも……伝えたいこともたくさんあったのに……折角、この身体になったのに……そんなとこにいたら、何も言えないじゃない!」
親衛隊がその誇りとした美しき姫君の悲痛な叫びが山々に木霊する。
以降、ステンベルク王家では、エーデルワイスの花は咲く季節には、彼らの胸に咲いていた無垢な白き花をこの場所に供えることが慣例となった。
異世界に転生したら美少女で女城主だった。2 @minamomizuki
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