暁闇の箒旅


「入るねぇ」


 分厚い木製のとびらを強めに3回叩く。ノックが弱いと向こう側に音が届かないからだ。しばし扉の前で待たされるが、ひとりでに扉が開いた。入ってどうぞの合図だ。


 彼女の耳にまで届くかは置いておいて、断りを入れる。部屋に入ると、薄暗い部屋の中でスミレが分厚い本を読んでいる。

 浮遊ふゆうしている蝋燭ろうそくに照らされる部屋と金刺繍ししゅうが施された桔梗ききょう色の絨毯じゅうたん紫檀したん製の書斎しょさい机。それらと相まって、スミレの読書姿はよく似合う。机の上には分厚い本が積まれ、びっしりと文字や図形の描かれた羊皮紙ようひしと黒インクの付いた羽ペンが転がっている。どうやら魔法まほうの研究をしているらしい。


 スミレが顔をあげる。書を読むときにかける、小さな丸眼鏡めがねの奥のひとみには疲労の色が見える。


「夜遅くに珍しいわね。こんな夜中に――フォレスフォードに行くのね」


 疑問をていす前に答えが出たようだ。私が地下の書斎をこの時間に訪れるというのは、フォレスフォードへ仕事をしに行くことを意味する。


「あぁ、そうだよぉ。店を空けることになるから、店番をお願いしたくってねぇ」


 分厚い魔導書まどうしょをパタン、と閉じると溜息ためいきをつくスミレ。


「まあ、そんなところだろうとは思っていたわ。あなたがここに来るのは、フォレスフォードに行く時くらいなものね」

「うっ……。ま、まぁいいじゃないか。スミレの研究を邪魔したくはないからねぇ」

「のびのび研究できることには感謝しているわ。こうやって邪魔の入らない部屋も作ってくれているしね。店番はメリッサにやらせておくわね」

「メリッサぁ!? メィリィにやらせるのぉ?」


 てっきり、スミレが店番するものだと思ってたから頓狂とんきょうな声になってしまった。


「私は研究をしたいのよ。まだ中途半端もいいとこだし」


 それとなく、視線を羊皮紙に向けるスミレ。私に早く出ていって欲しいというのがよくわかる。


「研究途中なのはわかるんだけど、メイリィ、店番大丈夫なのかなぁ?」

「店番は無難にできると思うわ。もちろんだれも来なければ、だけれど……」

「接客は苦手、だもんねぇ?」

「苦手というよりは、勝手がわかっていないだけよ」

「まぁ、その心配はいらないと思うよぉ。店に来るったって、魔法使いと巫女みこくらいなもんだからねぇ」

「巫女?」

藍花あいかのことだよぉ。そろそろ、御神木と転移陣の植物の状態をに来て欲しいって頼みに来るんじゃないかなぁ?」

「そういえば、ここの転移陣の周りの花はあなたが管理しているものね」


 扉の横にある柱時計を一瞥いちべつすると午前0時を指している。


「おっと、そろそろ出発しなきゃねぇ。それじゃぁ、行ってくるねぇ」

「ええ、いってらっしゃい」


 スミレは再び魔導書を開き、研究を再開する。

 私は地下の書斎を出て自分の部屋に戻り、小旅行の支度を始める。魔法使いの帽子ぼうしかぶり、ローブをまとう。壁にけられているポシェットと、そのそばに立て掛けられているほうきを手に取ると支度は完了。簡単なものだ。


 店のドアを開けると、真夜中の村にウインドチャイムの奏でる音がひびく。

 花曇はなぐもりの星空に月は見当たらない。


 向こうは晴れているかなぁ……。


 一抹いちまつの不安がよぎるが、今はそんなことを考えたって仕方がない。

 玄関前に置いてある、左の方のランタンを手に取る。真新しいそのランタンには、モッコウバラを象った浮きりが施してある特別なもの。先月迎えた誕生日に、ヴェーラが贈ってくれたものだ。

 手に取ったランタンに向けて呪文を唱える。


「イクスツス・ライダス……」


 ランタンの中に、あわい黄色に光る球体が召喚しょうかんされる。夜道を辛うじて照らしてくれそうな弱々しい光だが、案外遠くからでも見えるという特徴とくちょうを持つ魔法の光だ。

 ランタンの明かりを頼りに通りを進み、東雲しののめ神社の鳥居をくぐると、境内けいだいの奥にある細い道を進んでいく。


 しばらく小径こみちを進むと広場があり、そこに東雲村の転移陣が設置されている。

 広場の周りには、四季折々の花がき乱れており空間をいろどっている。しかし、植物群は明らかに鎮守ちんじゅの森に自生しているものではない。これらはすべて、“西の大陸”レヴァルロの植物なのである。何故、ここに生えているのかと言えば、この植物たちがマナの防御壁ぼうぎょへきとなっているからだ。

 転移陣の運用によって発生するマナは、“東の大陸”チェルナーの植物たちにとっては不要な物。むしろ悪影響すら及ぼしかねないものだ。この植物たちは、そのマナを吸収して鎮守の森の環境を守るための役目を果たしている。そんな背景があって、特異な空間となっているのだ。


 広場の中央に描かれた転移陣の前で立ち止まると、ポシェットの中を探って、エメラルドグリーンの粉が入った小瓶こびんを取り出す。粉をひとつまみ、広場中央に描かれた転移陣に振りくと、転移陣が青緑色の鈍い光を放ち始める。

 青緑色の光を確認して陣の中央に立つと、転移に必要な呪文を詠唱えいしょうする。


「リグスタ・オ―・リリマック、レヴィ・ラル・フォレぇ――」


 間違えた。危ない危ない、うっかり、250㎞の旅程が消し飛んでしまうところだった。

 ……気を取り直して、もう一度。


「リグスタ・オ―・リリマック、レヴィ・イド・メリアリルム……」


 詠唱を終えると、周囲がやみに包まれて無数の星が輝く空間に放り出される。ここは転移陣の転移中に送られる空間で、世界各地の転移陣と繋がっている。

 高速で流れていく星々をながめて10秒程の待機時間を経過させると、再び視界は闇に包まれる。その闇が消え去っていくと、先程とは別の空間が見えてくる。


 潮風しおかぜき抜ける石畳いしだたみ噴水ふんすい広場。雲ひとつない夜空には、無数の星々がきらめいている。

 ここは“西の大陸”レヴァルロ大陸のイドフォデア地方の港町、メリアリルムの転移陣だ。東雲でいだいた不安は、メリアリルムの夜空に軽くはらいのけられた。


 快晴で満天の星空、最高じゃないかぁ。うんうん、いい旅になりそうだねぇ?


 手に持っているランタンを、箒のるす。箒にまがたると、地面をって星空へと飛び立つ。箒旅の始まりだ。


 メリアリルムの夜空には、満天の星と共に色とりどりの魔灯まとうが見える。もちろん、私もその中の光のひとつ。

 箒に魔法の光を灯すのは、魔法使いたちの慣例。夜間飛行の衝突しょうとつ事故を回避するための知恵である。自分の位置を示すことができればよいので、色や形状、箒に取り付ける位置は魔法使いによって様々だ。私のように、ランタンに光を灯して箒の柄に吊るすのが一般的だが、箒のの部分にあおい炎を纏わせたりする変わり者もいる。


 進路を西に取ってウバルム湾を横断し始めるとカモメの群れを見つける。群れはウバルム湾の沖の方、西を目指して飛行しているようだ。

 普段は遅すぎて目にもくれずに後ろから群れを突っ切っていくのだが、今夜は年に2、3回あるかどうかの絶好の天候だ。

 のんびり星を眺めるのに丁度いいので、群れと一緒に飛んでいくことにした。




一緒に飛行している間は、カモメ達の間をって飛んでみたり、少々危険ではあるが、箒にあお向けに寝そべって流れ星を見つけてみたり、カモメが箒や私の肩に乗かってきたり、となかなか味わうことのない時間を過ごせた。


 湾の対岸が見えると、群れが進路を徐々に北へと変えてゆく。私とは別の場所を目指すようで、ここでお別れのようだ。

 私はそのままの速度を維持したまま、この地方きっての大都市、エンデルバルグを目指す。

 程なくして眼下が海から陸地へと微妙に色が変わる。そして前方には、大地に小さな光の粒が見える。あれがエンデルバルグ、旅の中間地点だ。


 エンデルバルグに到着すると、時計塔の屋根に腰掛ける。東の空は、紺色こんいろの下の方にコバルトブルーが混じりはじめている。時計塔の文字盤は午前4時前を指している。


 30分くらい、休憩しようかなぁ。


 箒で飛行するためには、少しながら魔力を必要とする。もちろん、速度によってまちまちではあるが。今夜はのんびりとはいえ、3時間を超える飛行をしている。ゆっくり飛んでいるから、魔力消費はそんなに激しくはない。しかしこの先、山脈越えが控えているのでしっかりと休んでいくことにする。別に休まなくても、旅の終着点までは飛行できるだろうが、多分飛行時間的に集中力の方が持たない。もちろん、魔力も自然回復したほうが安心だ。

 黒色の大地に少しずつ彩りが戻ってくる様子をぼんやり眺めたり、自分の周囲を魔法の光で彩ったりして休憩する。


 しばらくそうして時間を潰すと、大地の様子が少しずつしっかりと見えてくる。黒一色から、それぞれの場所の個性がなんとなくわかるようになってきた。

 足元の文字盤を見ると、長い方の針がVIに差し掛かろうとしている。


 そろそろ出発の時間だねぇ。


 あかつき闇の赤く染まり始めた空を背に、エンデルバルグを発つ。目指す先はまだ暗く、地形の輪郭がわかる程度だが、到着時に見えなかったノボクラウ山脈が、今ははっきりと見えている。




 数十分飛行すると山脈に差し掛かる。山の空気はひんやりを通り越し、ローブを着ていても少々寒い。


 山は天候や気流が変わりやすい。今日については空気が乾いており、天気の心配はいらない。ただ、気流に注意するのは必須で、油断すると山肌に墜落ついらくしかねない。

 地上からおおよそ100mの高度を保ちながら、海抜900m程度のみねを目指す。

 後ろを振り返ると朝焼けが見える。もうじき午前5時になり、日が昇ってくることだろう。

 山脈を越えればフローハンメル大樹海に入る。そこからフォレスフォードまではおおよそ80kmといったところだ。

 

 時間、足りないかなぁ? ちょっとだけ飛ばさないといけないねぇ。


 少し前傾ぜんけいし、箒の柄に力を込めて加速する。


 時間を気にしているのには理由がある。ヴェーラと確実に会うためだ。彼女が天候預言をするのは昔からのことで良く知っている。それが始まる時刻が午前6時ということも。しかし、その後の彼女の行動は予測できない。集落の中に居ることがほとんどなのだが、決まってどこかに居るという訳ではない。タイミングを逃してしまうと、ヴェーラ探しにとても骨が折れる。儀式の時間を逃して、何回か痛い目にったことがある。だからといって、儀式中に訪れるのも違う。集落で儀式の邪魔じゃまをするのは禁忌きんき級の行いとされているからだ。そのため、ヴェーラがどこにいるかを把握はあくでき、儀式の邪魔にならない儀式終わりのわずかな時間をねらうしかないのだ。


 おだやかな緑の海を飛行していると、周囲よりひときわ大きくて背の高い島が見えてきた。他の島と違って、明らかな人工物が連なる様はさながら要塞ようさいのように見える。その場所こそ“樹上の要塞”フォレスフォード。そして、その一番背の高い部分が旅の目的地、ウェザーウッドの樹冠じゅかんほこらだ。

 懐中かいちゅう時計を確認すると、針がVIの手前とIXを過ぎたところを指している。


「もっとスピード上げなきゃ、間に合わないねぇ?」


 小さくつぶやいて、箒の柄に力を込めると樹海に浮かぶ島に向かって更に加速してゆく。



 未明に始まった小旅行はもうすぐ終わりを告げる。緑髪の魔女は、旅の終着点へともうスピードで突っ込んでいく。東の空には、朝陽と蒼白いみかづきが浮かんでおり、彼女の旅の行く末を見守っているようだった。

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