一日限りの青い花

 今日も店先には雨のカーテンが引かれ、遠くの山々はかすんでいる。カウンターのすみに置いてあるストームグラスは、液中に星を浮かべたまま数日間変化が無い。


 こんな日の店は閑古鳥かんこどりが鳴く。当然のように客は来ない。独りで店番するのはいいのだが、こういう日はとにかく退屈たいくつだ。

 頬杖ほおづえに頭をゆだねて店の床をながめていると、視界に黒光りする長靴ながぐつが現れた。


 ひまつぶしの相手になってくれないかと期待がふくらむ。


 この長靴をはいているのはサブちゃん。私のご主人と契約けいやくしているもうひとり? 一匹いっぴき? の使い魔だ。

 サブちゃんは元気が良すぎて、ずっと一緒にいるとつかれる。


 でも、こんな退屈な日にはその存在が丁度いい。

 そんな状態になるくらいには、この時期の店番というのは何も起こらない。カタツムリの上に乗っているように、全く変わらない景色の中をただただゆっくりと時間が流れていくのだ。


「サフィー、ヌシはどこ行ったか知らない? ヌシが約束の時間になっても来ないんだよぉ……さっきまで探してたんだけど、見つからないの」

「どこ行ったかしらねぇ……」


 なぁんだ、ご主人を探してるだけなのね。


 若干の期待は、風船のようにしぼんだ。そうなったところで、どうせ暇なことには変わりない。だから暇つぶしに協力することにした。


 私のご主人は気儘きままで、しょっちゅうりに出かける。恐らく今日も、それで出かけているのだろう。

 忘れん坊のサブちゃんは、ご主人がよく釣りに行くということを覚えていないのだろう。


 案の定、靴箱の方を見ると、濃紺のうこんの長靴がなくなっている。おまけに、靴箱のそばたなに立て掛けてあるはずの釣り竿ざおも見当たらない。


「多分釣りに出かけたわ」


 予測を導くのに、時間はかからなかった。


「はぁ? 釣りに出かけただって?!」


 驚くサブちゃん。やっぱり忘れてたのね。


「いつものことでしょう?」

「そう、だっけ? 覚えてないや!」

「それで、ご主人に何の用事があるのかしら?」

「えーっとぉ……」


 考え込むサブちゃん。

 しばし思考をめぐらせ、繰り出した答えは――


「忘れた!」


 期待通りというか、鳥頭である彼のいつもの回答だった。


「とりあえず見つけてくる!」

「ちょっと待っ――」

「これあげるっ!」


 私は止めようとしたけれど、サブちゃんは勢いよく店から出ていって、降りしきる雨の中に姿を消した。


 毎回大事なことをすぐに忘れるのに、人の居場所はわかるのよね。不思議な子。

 ほとんど手掛かりのない、こんなやり取りで毎回良く見つけられるわ、と感心しながら、静寂せいじゃくの中での店番を再開する。

 頬杖をつこうとすると、ひじにひやっとしたものを感じる。


 ……まさか変なもの、置いていったんじゃないでしょうね?


 恐る恐るそれを感じたところに目を移すと、雨にれた1輪の青い花が置かれていた。

 カウンターに残された、雨に濡れたツユクサ。ご主人を探している途中に折ってきたものだろう。

 雨のしずくは、雑草でも綺麗きれいかざってくれる。……ちょっと冷たいけど。


 そんな、彼からの小さなおくり物にほんのり頬がゆるむ。

 たまたまかもしれないけれど、尊敬の意味がある花を選ぶなんて。それに、この花の美しさは夕刻までしか保たれない。そういうところも含めてサブちゃんらしい。


 カウンターの裏から空きびんを探してツユクサをすと、味気ないカウンターに1日限りのいろどりがもたらされる。


 掛け時計を見ると、午後2時を回ったところで、まだまだこの仕事の終わりは見えない。

 先程とは違う、夕方にはしおれてしまう青いお供とともに、閉店まで誰も来ないであろう店で時間を潰すことにした。

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