時を重ねて矛盾して
病院から電車で二時間、見知らぬ住宅街に一人で来ていた。最寄り駅を降りてから歩いて20分。嫌な気はしていなかった。それより、緊張感が勝っていた。身震いをグッと堪え、息苦しさを感じるまでの恐怖という壁を乗り越え、インターホンまで指が届く。感じる悪寒とは別に涼しげなチャイムが鳴り響く。目の前の家の中で誰かが走る音がした。出来ればいて欲しくなかった。そう思いながら意思を固めた。
「どちら様ですか?」
「はじめまして。瀬田彼方と言います。汐温、雨宮汐温さんの友達です」
日々、木村以外の友達、いや恋人という汐温を獲得したことで、たどたどしさが抑えられていた。それでも、こんな声を汐温に聞かれていたら、間違えなく足をバタバタさせて笑われていただろう。
「汐温のお友達がこんなところまでどうなさいましたか?汐温は家にいませんが」
相手の返答に、間があった。息を呑むかのような、そんな間が。
「雨宮さんに頼まれてきました。家に行って家族と話してきてくれと」
そう言うとインターホンが切れて、家のドアが開いた。すると、汐温の母親らしき人が出てきた。
「私が汐温の母です。どうぞ、中に入ってください」
そう言われて、家に入った。「お邪魔します」といった声が緊張で小さくなったことは、忘れたい。
「それで汐温が、何故君を?」
「雨宮さんは何故自分の家族が来なくなったのか、知りたいそうです」
汐温は、きっと家族は自分と接するのが辛くなって来なくなったんだろう、と言っていた。それでも、何か別に理由があるかもしれないから、確かめたいそうだ。でも、携帯番号も聞いていないし、メールアドレスも知らない。汐温の動ける範囲は病院敷地内だけで、片道2時間の家に帰ることは無理らしい。僕としては病院内を歩き回れることや、庭に散歩に行けることのほうが驚きだった。それでも、汐温が病室から出ているとこは見たことがなかった。何かしら、理由があるかもしれないけど。兎にも角にも、汐温では理由を聞くことは不可能なので、僕を使った。もしかしたら、今までこれをしてもらうために色々僕にやらせていたのかもしれない。信用出来るか、僕を見定めるために。そして今日も勿論、カメラは持ってきていた。こっそり、起動している。
「あなたには関係のないことです。私が話す理由はありません」
「自分の死から逃げているのかもしれないと、雨宮さんは言っていました。雨宮さんは僕が行くたびに、外を見ています。きっと、お母さんが来るかどうか見ているんだと思います。僕に話してくれませんか?」
そう言うと、汐温の母の目が一気に変わった。そして、入れてくれた目の前のお茶を僕に思いっきりかけた。
「あなたに何がわかるんですか!私達が、汐温が不治の病だと聞いたとき、どれほど絶望したか!それを聞いて娘が大丈夫だよ、って弱々しく笑った顔が、どれだけ私の心を抉ったか!適当言わないで!」
ここで僕がキレるのは簡単だけど、それじゃ駄目だと思った。自分でもビックリするぐらい冷静で、落ち着いている。汐温の為に来ているからなのかもしれない。だからこそ、ここで引くわけには行かなかった。
「僕の母も、冷雪病でした。そして、3年前に死にました。だから言いたいことは痛いほどわかります。どうか、落ち着いてください」
そう言うと、雨宮のお母さんはハッとしたように我に返って、座り直した。
「冷雪病は、いつ死ぬかわかりません。目に見える変化と、その先に迎える死があるのに、それがいつだか、わからないんです。だからこそ、怖いです。僕の母は、前日まで元気でした。体温は確かに下がりきっていましたが、動けるぐらいは余裕がありました。だから、突然失った悲しみを僕には理解することが出来ると思います。そして、その当事者は僕達のような周りの人間より、余程怖いと思います。それを、僕達に見せないように隠して、死を覚悟して毎日生きています。そして今、雨宮さんは勇気を出して僕に頼んだと思います。お義母さんも、今、勇気を出していただけませんか?」
沈黙の時間が、5秒程続いた。僕の体感では一時間で、正直、汐温より先に死んでしまいたい気分だった。吐きそう。
「今度、汐温に直接会いに行こうと思います。そのときに汐温に直接、話そうと思います。あの子には絶望されるかもしれないけど、あなたのように勇気を出してみるわ」
「それにしても、いきなり直接家に来るって、なかなか勇気があるわね。そういえば、名前、もう一度教えてくれるかしら?」
駅まで遠いから送ってあげる、と言われ車に乗ったときに聞かれた。親近感を持ってくれたのかもしれないと思いつつも、何だか邪魔くさく感じた。要するに、最初聞いたときには興味ないと思われたわけだから。
「瀬田彼方です」
「彼方君、汐温をよろしくね」
それだけ話し、送ってくれたお礼と、汐温はマカロンが好きだということだけ教えて帰った。
汐温と汐温のお母さんはきっと、元通りになるだろう。汐温はきっと、お母さんを受け入れる。汐温の心は冷めきっているから、怒ることもしない。冷たく、受け入れるだろう。いや、元々きっと優しくて活発な人柄だろうから、素で受け入れていたかもしれない。そんなことを思っていると、僕の父親の顔が頭に浮かんできた。いつか、和解するときが来るのだろうか。僕は、受け入れられるのだろうか。僕にも機会があったらいいのに。わざわざ直接、自分から理由を聞くようなことはないと思う。汐温が少し、羨ましかった。
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