マカロンの甘みとメタモノフォーゼ

「どうだった?雨宮汐温」

 僕に寄せ書きを押し付けた張本人の木村がニヤニヤしながら話しかけてきた。放課後、買い食い中のアイス片手に。ウザい。

「噂通り美人だったよ」

「いや、そうじゃなくて」

「元気だったよ」

 そっか、と安心したようだった。何かありそうだけど、面倒だし聞かないことにした。

「また行くのか?」

 なんでそんなこと聞くんだろう。

「もう行かないと思う。遠いし、面倒だし」

 汐温の入院している病院は学校から片道一時間な上に定期圏外だ。全くいく意味がなかった。

「もう一度会ってくれよ」

「嫌だよ」

「じゃあ頼んだ」

 そう言うと木村は無言になった。木村への怒りをぶつけるようにアイスを一気に食べて、ゴミ箱に投げ捨てる。どうやら僕に断る権利なんてないらしい。そもそも、木村に頼まれたら、僕はやるしかなかった。


 ふと、思いつきでマカロンを買っていくことにした。そういえば食べたいとか言っていたのを思い出したから。ちゃんと街に出ないと売っていないらしいのが汐温にとって難題で、同時に僕にとっても難題だった。行きたくもない、自分の意思で行かない箇所に二箇所も行かなければ行けない。苦痛。学校帰りに買ってやろうかと思ったけど、日持ちが悪いらしく叶わなかった。僕のほうがよっぽど苦労しているみたいに感じて馬鹿馬鹿しくなった。

 電車に揺られながら何気に汐温のことを考えていた。不治の病になって、何を感じているのだろうか。どんな精神状態で生きているのか。彼女はまだ、生きる希望を捨てていないのか。イヤホンをつけて、外界と自分を隔離する。それに目を瞑ると、自分だけの世界によく入れた。今、彼女は、生きているのだろうか?

 ベッドに汐温の姿はなかった。

「雨宮さんなら診察に行きましたよ、きっとですけどね」

 きっと、ですよ、ふふ。と笑いながら汐温の相部屋のお婆さんが教えてくれた。それに対してペコッとお辞儀をして、座って待つことにした。

 汐温はなかなか帰ってこなかった。気づけばお婆さんは眠りについている。暇すぎて帰ろうかと思って立ち上がると、前に僕が持ってきた、本人が言うには宝箱らしい物が、目に入った。ちょっと気になって、勝手に開けてみる。ノートとペン、それに本が入っていた。他の物は自分のベッドに置いているらしい。前に本人がベッドに飾るだの言ってた気がする。

「いつか人を、愛せますように」

 1ページ目に、そう、書いてあった。真っ白な一面に、殴り書きだけど、丁寧に。それだけ、書いてあった。不思議に思ってペラペラめくってみた。

「あー!彼方君だ!」

 汐温の声に反応して勢いよくノートを閉じた。そんな僕をあの綺麗な目で、じっ、と見ていた。

「何、してるの?」

 その言葉に僕は返しようがなかった。


 気まずい空気が流れた。当たり前にわかる駄目なことをして、それを見られたから。謝らなければならないけど、そういう問題じゃないのも、わかっていた。

「引いたでしょ」

 寝転がって目を合わせない汐温が、ボソッと呟いた。

「ごめん」

 それしか言えなかった。

「私、キモいでしょ。人を愛せますうにとか、バッカみたい」

「そんなことない」

「人に愛されたら、私の雪は溶けるかもって、思ったの。人を愛せば、私の病気もよくなるかもって、思ったの。私は皆を不幸にしてるだけ。冷たさを振りまいてるだけ。だからまるで、存在価値ないんだ」

「そんなこと、言うなよ」

 汐温がゆっくりこっちを振り返って、身体に力を込めながら起き上がろうとする。それでも、フラフラと安定しなかった。

「ねえ、私の身体、触ってみて?私の身体、見て?」

 出された手を、黙って握る。そこには、一人で生きられる力は全く入っていなかった。弱々しくて、真っ白だった。

「私、もう、死んでるはずなんだよね。去年の冬には、死んでたの。お医者さんにそう言われてたから。なのに私、普通に生きてるの。そしたら、奇跡だとか言ってた。無責任だよね。私、覚悟してたのに。気づいたら春。それでそれから、生きてるか死んでるか、まるでわかんない。私って、なんなんだろうね」

 汐温が、薄く笑っていた。それはやっぱり、弱々しかった。

「早く、死なないかな」

 諦めたように、嘲笑するみたいに言うその言葉が、僕に、重く、のしかかった。冷たい手は、弱々しいのに。それなのにこの言葉には、死ぬ恐怖を受け入れきれる程に強い力を持っていた。

「皆、私が死ぬのと向き合いたくなくて、誰もここに来ないの。それはそれで寂しかった。だから、もう一度来てって、彼方君に頼んだんだ」

 汐温がちょっと溜める。僕は待った。

「だからさ、彼方君には、あのノート、見られたくなかったんだ。ずっと明るい私でいたかったんだ」

「ごめん」

「もう、来なくていいよ。死んでいく人の相手するのは、辛いだけだと思うから」

 汐温はそう言って手を離して、また背を向けた。もう、話す気もないらしい。何も言えないし、何も出来なかった。唯一出来たのは、そこから立ち去ることだけだった。出るときの、汐温の寂しそうな背中だけが心残りだった。

 電車に乗って、行きと同じようにイヤホンをして目を瞑る。ふと思い出して、カバンからマカロンを取り出した。外界を気にせず、そのまま一つ食べた。甘かった。汐温、いや雨宮は今、泣いてるかもしれない。自意識過剰かもしれないけど、本当に楽しそうに、話してくれたから。今日僕を見たとき、本当に嬉しそうだったから。不思議と、マカロンの味が消えていた。残ったのは、甘さのどこから変形したかわからない、苦さだけだった。

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