Love was cold……
真白 まみず
寒い冬のち寒い春
桜の咲く綺麗な並木道を抜けると、真っ白な病院のフォルムが見えてきた。歩く度に肩からぶら下げるかばんの中身がガッチャガッチャと音をたてる。それが煩いと感じるほどの静けさに包まれてか、どこか神聖さすら感じていた。
「すみません、あの、
周りの看護師さんにも伝わるレベルのたどたどしい口調をする自分を呪いながら、心では笑っているであろうに普通に対応してくれる看護婦さんに「いっそ笑ってくれよ」と、ついでに呪う。これこそ地縛霊ならぬ自爆霊。しかし我ながら、病院でこれはあまりにも不謹慎。それでもこれでも、なんだか後味が悪くて、皮肉っぽさが足りなくて、自分の醜さを笑う。ついでについでに、自己の責任を他人に押し付けてまでネガりたい気分だったから仕方ないなんて言い訳もしておく。これで満足。ホントは病院なんて来たくなかった。ただただ面倒なだけの、一年に一回、誰かが引き受けなけらばならない作業だった。
「瀬田、これ、書いた?」
クラスメイトが回覧板みたいに回してきたのは、人間の筆跡を大量に残しているただのちょっと硬くて厚い紙。
「何これ?」
「寄せ書き。入院中の。冷雪病らしいぜ」
冷雪病。冷皮雪血病で、通称、冷雪病。現代の医療技術をもってしても治らない、所謂不治の病。低体温症とはまた違うらしい。その症状は、病状が進行するにつれて日に日に体温が下がっていくと同時に、身体全体が冷たくなり、最後は全てが凍ったように身体機能が停止すると言われる病気。その中でも際立って特徴的なのは、冷たくなるにつれて身体全ての色がどんどん雪のように白くなっていくこと。髪の色までが。だから、冷雪病。その目に見える「死」への近づきに、患者は気が狂っていくそう。僕達の出来ることは、いずれ死ぬ可哀想な誰かのために、新学期になるとこれを書いてあげることらしい。去年も3回、書いたような気がする。
1秒悩んでペンを握る。そして3秒もたたずに書き終えた。超がつくほど適当。ありきたり。僕の心は凍ってるらしい。冷凍病かもしれない。こんなことを思うのは自分でも不謹慎だと思う。僕が代わりに死ねばいいのに。
「次、誰?」
「お前で終わり」
「じゃあ、これ、どうすればいいの?」
「届ければいい」
なるほど、だから僕が最後に回ってきたのか。要するに押し付けられた。
「嫌だよ。病院なんて行きたくもないし、面倒くさい」
「いいじゃねぇか。美人らしいぜ?雨宮汐温」
付け加えたように言われるのが余計に死ぬほどウザかった。
「瀬田君、雨宮さんのところにいくなら、ついでにこれ、持っていってくれる?」
勝手に僕が行くということで話を進めている担任のめぐちゃんに、何やら怪しげな道具箱のようなものを渡された。多分、玉手箱。
「これ、雨宮さんのモノなんだけど、置いたまま入院しちゃってね。それで悪いんだけど、本人に直接届けてあげてくれない?」
お願い!と手を合わせて頼まれる。この箱、妙に重い。とてつもなく、面倒。それでも、めぐちゃんには僕は“借り‘’があるので断れなかった。だから嫌々受け取った。嫌々、ね。
そして帰り際、もう一度話しかけられた。
「瀬田君、最近、ちゃんと生きてる?」
「死んでますよ」
心配そうなめぐちゃんを放って、ガッチャガッチャとうるさい道具箱と一緒に帰った。
三階の一番奥の部屋のドアの前で、大きく息を吐いた。吸った。意味もなくあたりを見回すと、病院は僕以外日常で、自分がバグによって生じた存在みたいだった。
緊張する僕を破壊するかのように突然、目の前のドアが開いて看護婦さんが出てきた。「あ、いや……」なんて挙動不審になる僕を、不審者を見るかのような目で一瞥し、カツカツと音をたててサイリウムを歩いていった。
「あの、雨宮さん?」
都合よく開いたドアから顔だけ覗かせて呼び掛けてみる。すると、相部屋の一番窓際にいる同級生ぐらいの、窓の外を眺めていた女の子と目があった。
「そうだけど、君は?」
可愛いな。それが第一印象。整った顔立ちに伸びきっているのに艶のある黒い髪。そして雪のように白い肌。全てを見透かすように鋭く、綺麗な瞳。なのにどこか、触れたら壊れてしまいそうな雰囲気を醸し出してる、華奢な身体。噂の通り、美人だった。
「瀬田、瀬田彼方。春から雨宮さんの同じクラス。これ、持ってきた」
解放されたくて、この煩わしかった道具箱と寄せ書きを渡した。
「あ、これ知ってる。定期的に持ってきてくれるやつだ」
彼女は急に元気になったみたいに、ワクワクしながら見ていた。病人とは思えないぐらいに。この厚紙がそんなにいいか。
「何気にこれ、楽しみなんだよね」
今年は彼方君か〜、とか呟いている。名前呼びされるのに僕は驚いたけど、言った本人は何も思わないかのよう。
「学校に来られるようになるといいですね」
読み上げた言葉と僕の記憶が一致する。ヤバい、僕が4秒ぐらいで書いたやつだ。
「なんか、冷たくない?」
怪訝そうに僕を見る。
「ごめん」
「ホントは、来たくなかったとか?」
「いや、来たくて来たよ」
ふ〜ん、と一瞬ジト目で僕を見たかと思うと、寄せ書きをまた眺め始めた。
「この、その、道具箱は何?」
気まずい雰囲気を壊したくて聞いてみた。
「あ〜!これ、重かったよね、ごめんごめん」
そう言って中身を見せてくれた。
「これね、中身は道具箱というより宝物入れなの。親にもらったモノとかで、特別大事にしてるものをいれてるんだ。箱本体もその一部」
なんでそんなの学校に置いてたんだよ。本人は「可愛いでしょ!」と見せびらかしてくる。そして大量に入っていたモノを取り出しては投げ、取り出しては投げを繰り返して、忙しそうだった。こんなに動いていいのか、と不安になるぐらいに。
「あ、ねぇ、彼方君。私のことは汐温って呼んでくれない?」
名前で呼ばれる以上に呼ぶ文化がないから戸惑った。なんだか真剣な顔で僕を見る。まるで断れる雰囲気じゃない。
「いいけど、なんで?」
「だって、親しい感じがするじゃん?」
無邪気に笑う姿を見て、病人ということを一瞬忘れた。こんな元気な子より、僕が病気になれば良かったのに。
「ねぇ、何か他に話、ない?」
久しぶりに同級生と話すのか、楽しそうだった。思えば名前呼びしあうのも、親しい人が身近にいないからかもしれない。
「いいよ。大した話、ないけど」
それから学校の話を少ししたりした。汐温は大して面白くないような話を、楽しそうに、大袈裟に笑って聞いてくれた。
「そろそろ、帰るね」
話が一段落したところで、席を立った。
「ねぇ、また、遊びに来てくれる?」
「そのうち、な」
「じゃあ、さ、次来るとき、マカロン、買ってきてくれない?」
ちょっと間を空けて、上目遣いで「だめ?」と頼んでくる。
「わかったよ」
何かに負けた気分だった。
「やった!売店に売ってるわけないし、お母さんに頼んでも、買ってくれないんだよ」
ぶぅーぶぅー文句を言う汐温に軽く手を振って帰った。
疲れた。特別疲れた。多分、汐温だから。病気なのに病気じゃないみたいに元気で、気を使えばいいのかどうなのかもわからない。とても病気で死ぬような人間には見えなかった。ほんとは治るんじゃないかと思うぐらい。僕としても楽しかった。最初にあった鬱憤は消えていた。それでも、もう会いに行くことはないと思う。死んでいく人と向き合っていくのは、耐えられないから。僕の方が、辛くなるから。
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