第2話 シードル

 11月になっても最高気温が20度近くまで上がり、秋の気配がまったく感じられなかったのに、街がクリスマスムード一色になった途端、寒風が人々の間を縫うように吹いた。慧は舞台やメディア出演なんかが続き、2人でゆっくり会える日はほとんどなかった。


 深夜近くに帰宅してテレビをつけると、交友のある俳優が亡くなった事を知った。病気でも、事故でもなかった。死因を報じるニュースを前にして、僕は立ち尽くしてしまった。仕事で疲れているにも関わらず、ソファに座ることもできなかった。


 動けないでいると、すぐに先輩俳優から電話がきた。

 「ひろむ君、ニュース見た? 」

 言葉は少ないが、僕はそれが何を意味しているのかがわかった。

 「あ……はい……いまテレビで……」

 「大丈夫?」

 「あ、いえ……少し放心状態で……」

 平常心を取り繕えず、正直に答えたことに自分で驚いた。

 「ひろむ君テレビ消しなさい」

 普段いたって温和な先輩に、珍しく強めに言われて、反射的にテレビを消した。

 話しているとメッセージアプリの通知音が鳴った。ある予感がして、すぐにメッセージを見たい衝動に駆られる。


「じゃあ、なんかあったら電話してね。何時でもいいから」

「ありがとうございます」


 電話を切って、通知バナーをタップする。

《これからひろむさんの部屋に行ってもいい?》

 メッセージの送り主は予感通りだった。恋人の慧。このタイミングは偶然か必然なのか。考える余裕がなかった。僕はすぐに《ありがとう。気をつけて来てね。できればタクシー使って。泊まれるようにしておくから》とだけ返信した。もしかしたらもう出発してるかもしれない。


 10分もしないうちに部屋のインターホンが鳴った。ドアの隙間から顔が見えれば衝動的に腕を伸ばし、彼を引き寄せていた。背中に回された手の温度を感じると緊張がほぐれてくる。

「ひろむさん……」

「ごめん、しばらくこのままでいさせて」

「いいですけど……靴だけ脱いでいい?」

「あ、ごめんごめん」

 2人で笑いあって、慧はサッと靴を脱いで、すぐにオレに抱きついてくれた。

「明日仕事ですけど、朝まで一緒ですから」

 肩口に顔をうずめたまま慧は言う。

「うん、ありがとう」

 僕は抱きしめる力を強めた。


 2人で一緒にシャワーを浴びる。そこで今日初めてのキスをした。さすがにそれ以上はする気にならず、別々に全身を洗うと、そそくさとバスルームを出た。


「シードル買ってきたんです。アルコール度数が低いほうがいいかなと思って」

 やっと脱力して、ソファに沈み込む僕を労い、慧はグラスをテーブルに用意してくれた。

「ナッツ出していい?」

「ん。チーズもあるから出してくれる?」

 食欲はないけど、なにかたんぱく質を摂らなければと思い慧に頼む。

「はーい」

 静かな音をたてて、目の前のローテーブルに皿やグラスが並ぶ。その間に僕はサブスクで観る番組を探す。なにか元気になりそうなやつを、と。


「あ、これ観たかったんですよ」

 慧はそう言いながらソファに座った。腕や足がぶつかる距離感。今日ほど左側に感じる重さと温度をいとおしいと思ったことはない。

「慧、ブランケットかけて」

「はい。このブランケット、色違い……おそろいですね」

 慧は照れながら膝にかけるけど

「同じ時に2枚買ったんだからお揃いになるだろうよ」

 と僕が言うと《そうですね!しかも買ったとき一緒にいたし!》と笑っていた。

「もう酔っぱらってるの?」

「いいえ、シラフですよ、全然」

 でも慧は笑いが止まらなかった。


 高級レストランのオーナーとケンカして、キューバ・サンドのキッチンカーを始めたシェフのロードムービー。登場する料理がすべて美味しそうで、なにより高級レストランのシェフがB級グルメでも美味いものには素直に『美味い』と言うのが良い。慧は観ながら

「(キューバサンド)美味しそう……でもカロリー高そう…」

「バーベキュー美味しそう」

「あのシェフ、なんであんなにモテてるの!?」

と次々と反応していて面白い。映画が終わるころには酒もつまみもカラになった。


 ラストシーンからエンドクレジットへ。肩に感じる重みに、左手に感じる愛する人の手の温かさ。


 テレビを消して、寝る準備を整える。慧が食器を洗ってくれるのをカウンターの前で見ていた。

「ひろむさん」

「ん?」

「また美味しいもの食べに行きましょう」

 慧はそう言うとふわっと笑った。僕はなんだか、言葉が出てこず、視界が滲んでくるのを止めることもできなかった。

 慧は食器を洗い終わると水道を止め、タオルで手を拭くとカウンターを回って僕の手を取った。

「オレ、来月誕生日なんです。お祝いしてください、ぜったいに」

 そう言われたら、笑い出すしかなかった。目尻が下がると視界を滲ませていた滴が床に何粒か落ちた。

「ハイハイ」

 くぐもった声で、敢えて呑気な返事をした。バレてるのに、目元を見られたくなくて、俯いたままゆっくりと歩き出した。

「ぜったいですよ」

 じゃれあいながら寝室に向かう。


「君が泊まりにくるならシーツを変えておけば良かった」

「いいですよ、変えなくても。オレ、ひろむさんの匂い大好きなんで」

 ベッドに横になった慧が腕を伸ばして、僕を迎え入れる。彼は時に海のような寛容さを見せる。オレを頼ってくださいなんて言わないけれど。僕はすべてを許されたかのように、彼の腕に収まる。


 親子ほど年の離れた恋人に拠所を求める自分はおかしいのではと思うことがたまにあるが、若さを感じさせないほどに彼は逞しく、しなやかで。彼が放つ光は若さ特有の刹那的なものではない。彼のすべてにオレは静かに興奮するんだ。

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