Á table!

オニワッフル滝沢

第1話 フレッシュ・オイスター

 1

 舞台で共演すると恋仲になりやすい、なんて言うけれど。

 いつの間にか一緒にいることが増えていてびっくりしてしまった。


 年が近ければまだ分かる。だが、僕は51歳で君は28歳。年齢が二回り近くも違うのだ。告白された時、君のお父さんはいくつ?なんて愚問が喉元まで出かかったが、呑み込めて良かった。


 舞台で共演すると恋仲になりやすい、なんて言うけれど。

 同性同士、相手に好きと言うのはまだまだ憚られ、よほど秘密を守れる人としか関係は持てない。一人の人とできるだけ長く付き合うか、ワンナイトで欲望だけ満たすか。恋愛遍歴なんてものは、ないに等しかった。仕事仲間や同級生が家庭を持っていくなか、今の僕に家庭なんてゴールはない。ありふれた幸福は得られない人生なんだなと腹を決めていた。


 だけれども、その方が心の波風が立たなくて済むな……とホッとしたのが本音だった。恋愛、結婚、離婚、浮気、不倫。人生のドライビングを変えるのを余儀なくされる。職業柄、目立たないようにするなんて不可能(テレビ俳優より認知度が低い舞台中心の俳優だとしても)。いくら女性から誘われても靡かなかったのは、セクシャリティよりも、自分の人生に踏み込んできて欲しくないという気持ちの方が強かったからだろう。



 2

 舞台で共演したのは2年前の秋だった。

 彼ーー神代慧は28歳の俳優で、僕とは今回が初共演。ベテラン扱いされることも増えた僕と、まだまだフレッシュさが残る慧。萎縮されても困るなと思っていたけど、それは杞憂に過ぎなかった。彼は演出家にも、他の演者にも遠慮なく体当たりで臨む。もちろん僕にも。お互いに遠慮のない空気。それはコメディの要素も強いこの演目に好影響をもたらした。


 日々後悔しないように生きている――雑誌で読んだ彼のインタビューの一行。僕が目を見張るほど能動的である彼の源泉はこれかなと思った。若さだけではこうはならない。彼は今後、どんどん忙しくなるだろうな、と思った。


 「ひろむさんのこと、ずっと憧れてたんです。それで舞台中心で活動していきたいと事務所にお願いしてきたんです」


 初顔合わせの時にそんなことを言われた。その時は、僕に憧れるってニッチすぎるよ!と思い、まぁ共演する場面が多いから社交辞令も込めて言っているのかなと軽く受け流した。だが、あとあと確認すると僕が出演している舞台を結構な確率で鑑賞していたことがわかるのだが。


 数ヶ月に渡る舞台共演のあと、僕の予想通り、彼はどんどん忙しくなり、舞台だけでなくテレビドラマの出演も増えていった。彼の出演する舞台があると、招待券を送ってくれた。僕は仕事の合間を縫って観に行き、感想をメールで送った。舞台がひと段落すると、彼は僕を食事に誘ってくれ、そこで感想の補足だったり、お互いの近況を話す、そんな事が増えていった。


 「ひろむさん、オレなんかと食事ばっかりしてて大丈夫なんですか?」

 いつかのサシメシの際に慧からそんなことを訊かれた。しばらく休みがあるから、生ガキが食べたいねと2人で話し、オイスターバーにやってきた。

 「なんで?」

 「お仕事お忙しいのに、オレの誘いによく乗ってくれて」

 

 「うん」

 アヒージョが美味い。バケットを追加したほうがいいだろう。

 「奥さんに怒られないですか?」

  白ワインの入ったグラスをあおると、上目遣いの慧の顔が少し歪んで見えた。グラスを下ろすと慧の端正な顔は解像度が上がり、口の中は白ワインで少しだけスッキリした。


 「独身なんだ」

 平然と答えると、慧の動きが止まった。

 「ちなみに一度も結婚したことはない」


 「結婚願望、ないですか」

 「一人の生活に慣れすぎたね。忙しくて家事がおろそかになる時も自分しかいないと思うと、気が急いだりすることもないし。慧こそ、オレばっかと会ってて大丈夫なの?」


 慧はワインを一口飲んだ。ゴクリと喉を鳴らしてから

 「全然大丈夫です」

 と答えた。三十歳手前だから結婚願望なんて人によるだろう。

 「まだ結婚願望なんてないか」

 オレがそう話していると、料理が運ばれてきた。

 「もしオレに結婚願望があって、付き合ってる人がいたとしても――」

 慧は、そう言いながらバケットを千切った。

 「今の制度ではオレは好きな人とは結婚できないです」


 オレは目の前に、かつての自分を見ているようだった。


 オレは帰りの電車に揺られながら、慧のこれからの人生を思った。オレと同じように、老後に片足を突っ込むような時でも彼は独りで暮らしているのだろうか。彼はオレと違って前向きな性格だから、内縁関係でも結んでいるのかも知れない。


 「今は付き合ってる人はいないの?」

 「いないです」

 あの会話のあと、慧は吹っ切れたかのように、モリモリと料理を頬張って答えていた。

 「でも好きな人はいます」

 満足そうに話す慧が印象的だった。

 彼が幸せであればいい。彼こそ、幸せになってほしい。


 電車が停車してドアが開くたびに風が吹き込んだ。乗降する人々の動きが空気をかき混ぜ、それで顔が冷えるのが気持ちよかった。


 慧を安全に帰宅させるためタクシーに彼を乗せた時。彼の表情は少し淋しそうだった。それは思い過ごしだろうか?


 目を閉じた。何かを閉ざすように。僕は願っていた。顔の火照りと早い鼓動。これがどうか酒のせいであってほしいと。

 

 


 3

 あれから数ヶ月、僕も慧も仕事に追われ、2人で出かけることはなかった。だが、招待を頂いたミュージカルを観に行くと、隣席に慧がいた。

 「お久しぶりです」

 ふつうに挨拶してくれた事にホッとした。開演まで、少しだけだけど近況報告ができた。ブザーが鳴った時には、まだ話し足りないほどだった。

 「このあと何もなければご飯行きましょう」

 だんだんと暗くなる中で、慧がヒソヒソと僕に耳打ちした。

 「もちろん」

 久々に二人で小さく笑い合った。これから開演という時なのに、僕は目頭が熱くなった。



 「少し歩きませんか?」

 慧にそう促され、丸の内のイルミネーションの中を歩き始めた。今日観たミュージカルは、過去に何度かオレも出演した作品で、慧は僕が出演するたびに観劇していたと話してくれた。


 「めちゃくちゃオレのファンじゃん」

  照れくさいけど悪い気はしないから、半ば冗談で慧に言ってみた。すると慧は急に立ち止まりオレを見て答えた。

 「そうですね、言わばガチ恋ってやつですかね」

 神妙な表情の慧の瞳にイルミネーションの光が映り込んでいたことをよく覚えている。そして、僕はガチ恋の意味が分からなかった。

 「ガチ恋ってなに?」

 僕がそう訊くと、慧は元々大きな目をさらに見開いた。

 「え、知らないんですか」

 「うん。教えて、オジサンに」

 僕がズイっと慧に顔を近づけると、慧は僕を無視してスタスタと歩き出した。

 

 「え、待ってよ」

 「待たないです!」

 背丈は変わらないのに、若いから歩くのが速い。


 「メシに行くんだろ?」

 歩を速めて慧に追いつこうと頑張りながら、数メートル先の彼に訊く。通行人が結構いて、目立っているんじゃないかと心配になるが、彼を見失わないようにする方が先だった。


 僕は腹に力を入れ、右足を踏み込んで駆け出した。そうすると日々のトレーニングが功を奏したのか、すぐに慧に追いついた。僕は彼の前に回り込んで、立ち止まらせた。

 「メシに行こう、一緒に」

 慧はまっすぐ僕を見てから、コクンと頷いた。そして、改めて2人並んで歩き始めた。

 

 「ねぇ、けいはオレのこと幻滅してない?」

 「幻滅?」

 「実際に会ってからさ。オレ、落ち着きないし、サムいことばっかり言ってるからさ」

 「するわけないじゃないですか」

 「そう?」

 「スベっててもスゴイ人なんです、ひろむさんは」

 「スベってても、って、ヒドイな……あ、ガチ恋って調べよ」

 僕はスマートフォンを出そうと、コートのポケットに手を突っ込んだ。

 「あ、ダメですよ!」

 慧が焦った様子で同じポケットに手を突っ込んだ。タッチの差でオレのスマートフォンは慧に奪われた。

 「返して」

 「調べないんなら返します」

 「わかった、調べないから」


 結局、ガチ恋を検索することは慧によって阻まれた。

 「どこ行きます?」

 何もなかったかのように慧は訊く。僕は一案を講じた。

 「東京駅のデパ地下まで行こう」

 「デパ地下?」

 「そこで色々お惣菜買って、ウチに行く。お惣菜の前に慧の着替えも買う」

 「着替え……」

 「早く2人きりになりたいから」

 

 慧の瞳の中にイルミネーションの光が降っていた。

 「帰したくない」

 僕がそう言うと光が滲んでいくように見えた。

 「……帰りたくない……です」


 4

 ーーひろむさんの部屋に行ってますね。洗濯とか掃除とか、できるだけやっておきます。


 1カ月やってきた舞台の千穐楽の朝。劇場入りした時に彼からメッセージが入った。


 二回り年下の男と合鍵を交換し合い、俺の仕事が忙しい時には家のことをやってくれている。だが彼も決してヒマな俳優ではない。最近、さらに出演作が目白押しじゃないか?


 ーー慧も忙しいんだからムリするなよ。あと、パレスホテルのビーフシチューがあるから良かったら食べて。


 僕もメッセージを送る。すると、ありがとう!と可愛いスタンプを送ってきた。


 昼夜公演を終えて、時勢柄ほんの軽い打ち上げをして、劇場を出る。自分の車の運転席に着くと、エンジンをかける前にスマートフォンを確認する。


 ――力尽きそうなので先に寝ます。ごめんなさい。


 彼からのメッセージ。やっぱり忙しいんだな。無理しなくてもいいのにと思いながらも、尽くしてくれることに悪い気はしない。むしろ、そのおかげで心の炉に燃料を投下されていくのだ。


 帰宅すると、もちろん部屋は真っ暗で、僕はキッチンのペンダントライトだけ点けた。シャワーは劇場で入ってきたから、手を洗って、歯を磨く。パジャマ代わりのスウェットに着替えると寝室のドアを静かに開けた。


 カーテンの隙間から月明かりが差し込んで、わずかながら部屋の様子が見える。セミダブルのベッドの片側に大きい膨らみがあった。枕元に立つと、横向きに寝ている慧がいた。


 僕はベッドに入り、彼の柔らかい髪を撫でた。考えてみれば、今の部屋に引っ越してから、誰かが泊まるなんてことはなかった。


 慧と僕の間にある、年齢と性別の壁。そして僕の中にある要塞。だけど彼は、俺の前にある障害物をホイホイと潜り抜け、挙げ句の果てにアンパンを咥えて僕に食べさせようと差し出してきた。久々の恋愛に僕が戸惑うことはあっても、彼はオレの人生をかき回すようなことはしない。


 僕は慧のうなじにキスをし、後ろから抱きしめて目を閉じた。すると、すぐに腕の中の身体が反転し、僕の唇は彼の唇にふさがれた。

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