黄昏の記者(4)そして日は沈んだ
一方でライナーは、生成エンジンのよるジャーナリズムは一見すると機能しているように見えるが、多くの懸念材料が潜んでいると考えている。
「例えばニュース生成のメカニズムは、そのコーパスに登録された情報と矛盾しないものであれば生成出来てしまいます。例えば平安時代の農民の生活や、50年後の社会の在り方について尋ねれば、ナレッジ・シンスはそれらしきニュース記事を生成してしまうでしょう。それは既知の情報と矛盾しない形で、です」
それらの性質は創作において、時代考証や科学考証といった場面で重宝されているという。ライナーは正しい使い方を知ることが大事だと指摘する。
「どれほど複雑で巨大になろうとも、それは結局道具なのです。てこ(レバレッジ)と同じで、人の善悪や虚実を判断する価値基準などは持っていない。人の行いを増幅するだけなのです」
生成エンジンが道具に過ぎないはずだというライナーの考えは、もう一つの懸念を提起する。
「また、フィルターバブルの発生をどのように防いでいるかという部分でも、ナレッジ・シンス社をはじめとする企業たちは明確に答えてくれていません」
フィルターバブルとは、レコメンド機能に代表されるアルゴリズムが個人の趣味嗜好を学習し、それに合わせた好みの情報ばかりを提示するようになり、それ以外の情報をフィルターされた、偏った情報の泡の中に閉じ込められてしまう現象のことだ。ウェブと検索エンジンの時代に問題となったその病は、生成エンジンの時代においても同じように発生し得るという。
ライナーは一般の協力者300人を集めて、ナレッジ・シンスにより提供されているニュース情報の内訳について二週間に渡る追跡調査を行った。配信されるニュースを政治、国際情勢、経済、芸能、スポーツ、科学技術などのジャンルに分類してそれぞれの比率を調べると、興味深い事実が分かった。その比率はかつての新聞紙面におけるニュースの比率と同じであったのだ。
「仮説は3つあります。1つ目は単なる偶然。2つ目は、ナレッジ・シンスが導き出した最も合理的な情報配分の比率は、人間が長年培い養った感覚と同じ結論に至ったのだということ。3つめは、会社側が提供情報の偏りを是正するために、新聞を手本として配分に手を加えているという可能性です」
「一番人間にとっても報われるのは2つ目の場合でしょうが、しかし3つ目であった場合、ナレッジ・シンスは人間の解釈を挟まないが故に信頼できる情報源である、というロジックは崩れます」
この件に関するライナーの質問状に対して、ナレッジ・シンス社は現時点でも回答していない。
◆
国会図書館から戻り再び田中がカフェに戻ってきたころ、辺りはすっかり夕暮れ色に染まっていた。
田中は、ナレッジ・シンスに対し恨みを抱いているかという問いを何度も向けられてきた。その度にいつも「いいえ」と答える。「でなければ、登録業などしませんからね」。
移行措置免許を有している人為介在情報報道機関は、移行措置の更なる延長と人による取材活動の保存継承を訴える業界団体を立ち上げている。彼らは、人と人のコミュニケーションの中でしか得られない種類の情報というものがあり、現在の風潮が続けばそうしたものが衆目に触れる機会は失われ、様々な危機を招く可能性があると主張する。
田中は、その団体には加盟していない。
「私が今も取材を続けているのは、もっと個人的な動機なんです。単に人と話して、そのことをほかの人に伝えるのが好きなだけなんです」
また、自身がそのような環境の礎になっていることも彼にとって「誇るべきこと」なのだという。「例えば」と前置きして、田中は語る。
「生成エンジンがどのようにして今のような立場に収まることが出来たのかなどということを、かつてよく読んでいた新聞記事のような文体で知りたいと願ったとき、その出力の参考にされるのは私がかつて書いてきた文章になる訳です。きっと色々な人間にインタビューをして、その人の言葉を主役に据えるような記事になるでしょう。そうして人の知識の肥やしになれるのであれば、私としてこれ以上の貢献はない」
そう言って田中はカフェから風景を見渡した。
沈む夕日が、海沿いのタワーマンション群を照らす。並んで聳えるガラス張りの壁面が、まるで玉鋼の刀身のように青や紫、金の色を放つ。
「例えば今この瞬間に時間を止めて、宇宙から地表を眺めたとき、今私たちが立っている場所が夕暮れなのか、それとも朝焼けなのか、区別出来るでしょうか。きっと出来ません。そこにはただ、昼と夜の境界線が、継ぎ目無くぐるりと地球を一周している姿だけが見えるでしょう。しかしそれが分からなくとも、この光景が美しいことは変わりません」
そう独り言ちる横顔に悲壮感は無い。
「誰かにとっての黄昏が、誰かにとっての朝焼けであること。それが私にとっての希望なのです」
田中は、かつて社屋の中からそうしていた時と同じように、目を細めじっと海辺の夕焼け空を眺めていた。〈終〉
黄昏の記者 及川盛男 @oimori
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