黄昏の記者(3)創作とニュースの境界は


 朝起きて、顔を洗う。通勤の途中でさまざまなコンテンツを見る。ありふれた会社員のルーティンだ。その光景自体はここ一世紀ほど変わりを見せていない。


 変化したのはメディアであった。紙媒体やデジタル端末といった手に持った何かを読むのではなく、視界投影型のスクリーンの端に並ぶラインナップから見たいものを選んで表示する。そこには時事ニュースの他、注目を集める出来事に分析や解説を加えたもの、著名人による論説記事、政治スキャンダルを追った調査報道記事もある。


 これらは人が集めたものでも、機械が集めたものでもない。機械が生成したものだ。


 ナレッジ・シンス社を退社して現在は人工知能社会について研究するNPO(非営利団体)に所属するアーカーシャ・ライナーはこう評する。

「速報の配信のような業務は人の手に残りましたが、その他は生成エンジンが役目を果たしています。かつて人が今後担っていくべきとされた高度な処理を要する分野ほど、生成エンジンは代替していったのです」


 速報などの実際の現象に基づく記述など、現実を文章に変換する作業は現在でも人間の得意分野で、田中のような「変換業」や、それの寄り合いとしての「通信社」と呼ばれる業態が未だに存続出来ている理由でもある。


 他方でその他の領域は生成エンジンの独壇場だ。出来事を分かりやすく解説する、公開されている情報を組み立ててそこから新たな事実を浮き彫りにする、人々の「知る権利」に、柔軟に、迅速に、適切に応える。


 一方で、それらニュースコンテンツと並んで表示されるものがある。小説、漫画、映画、ゲーム、アニメ、ドラマ……。これらの創作物はニュースとは対象的に、生成エンジンによって作られたものが殆ど無い。未だに人の手によって描かれたものばかりだ。いずれも映像や画像、文章で表現される情報であるのに、なぜ創作物は生成エンジンによって支配されていないのだろうか。


 その理由として一般によく語られるのは、著作権の存在である。創作物には常に、その知的財産としての権利、ひいてはそれによって得られる利益の帰属についての議論が付きまとう。他方、ニュース情報にはそうした縛りは少ないため、研究開発がしやすかったのだという説明だ。

もう一つの、より情緒的で魅力的な説明がある。創作にはある種の「飛躍」が必要であるからだ、という主張だ。新しいもの、これまでにない斬新な何かを創造するためには、既存の情報を基にした単純な論理の積み重ねを超えるような、突拍子のない無軌道な発想の力が求められる。人はそれを「ひらめき」と呼ぶ。それこそが機械には持てず、人間のみが持つことが出来る特別な能力なのだ、と。


 しかしライナーはこれらの考えには否定的だ。彼によれば、実際に起きたのはそれより「もっと強力で合理的な現象」だという。

「創作物とニュース記事の差異は、虚構か事実かという観点から語られがちです。しかし生成エンジンにとってそれは大した問題ではありません。事実に即した小説も、虚構に基づいたニュース記事も、生成エンジンは同じように生み出せるからです。生成エンジンには虚実の区別がないのです。両者の運命の分かれ目は、実は需要の形態の差にあったのです」


 ライナーの研究によれば、創作物とニュースは、人々の間で意思や考えを共有するための媒介物であるという意味では同じであるが、「どの単位までを同じ情報と見なすか」が大きく異なるのだという。

「コミュニケーションを成立させるためには、ある一つの言葉や概念について、互いが同じものを指しているのだという共通の合意が出来ている必要があります。口角を上げてみせて、片方が笑みとして浮かべているのに対してもう片方が敵意として受け取ってしまえばやりとりが成立しません」


「そして創作物は、共通の概念として認識される範囲が極端に狭く、変化に敏感です。どれくらいかというと、同じ物語でもそれが映画なのか漫画なのか、小説なのかドラマなのか、メディアの形態によって受け取り手側の感じ方が全く変わってしまうほどです。同じ歌なのに、誰が、いつ、どこで歌うかで全て別物として扱われるのは典型的な例です」


 それを端的に示す言葉として、ライナーは「原作レイプ」という日本語のネットスラングを挙げた。これは「メディアに合わせて行うアレンジに対する極端な忌避感の表れ」なのだという。

「一方でニュース情報はそうしたものを問わない。それを記事の形で読んでもアニメ映像の形で視聴しても、同じようにそれについて議論できる。あらすじだけ読んでファンミーティングに参加しても周囲から疎んじられるでしょうが、ニュースの概要だけ読んで世界情勢についての議論に参加し自分なりの意見を表明できることは、むしろ教養の表れと見なされるでしょう」


 この差が市場規模にも表れる。ニュース情報は個人個人についてパーソナライズされる需要があるが、小説や絵画についてパーソナライズをされてしまっては困る。必然的にニュース情報に比べ需要がキャップされてしまうのだ。高速な大量生成という生成エンジンの利点が死んでしまうという訳だ。


 ある程度生成の数量を絞り、人々の好みの最大公約数的な要素を盛り込めば、共感の道具としての役目を担えるようなものを生成エンジンでも作ることが出来る。しかしライナーは、それは「核融合炉で金原子を作るようなもの」だと例える。

「(そのようにすれば)原理的に、純粋な金元素を作ることは出来るでしょう。莫大な電力を投入し、大量の水素原子を消費すればです。しかしそれよりも鉱山で穴を掘ったほうが、より安く、早く、確実に金を掘り当てる事ができる。生成エンジンには確かに創造の領域を広げる可能性があります。実際、登場の当初にはコスト度外視で作られ、芸術的な価値を認められた作品もいくつかあります。しかし単純に儲からなかった。人の作るスピードでしか、人は物語を消費できないのです」


 それゆえ、生成エンジンの活躍の場は「ある程度正確であることが担保された、他者とのコミュニ―ケーション形成に利用可能な情報が、高速かつパーソナライズされた形で提供されることが求められる領域」のみに限られることとなった。ナレッジ・シンスは現在、通信料金内に含まれるわずかなフィーのみでマネタイズをしているが、これはそのような非常に長大なロングテール市場だからこそ実現できるのだ。


 これこそがライナーの分析による、ジャーナリズム業界のみに訪れた黄昏の正体なのだ。


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