黄昏の記者(2)生成エンジンの衝撃



 2020年代はメディアとコンテンツの分離・分権が進んだ時代だった。巨大なプラットフォーマーがメディアを掌握し、反対にメディアを奪われた伝統的企業はコンテンツの生産に専念し、プラットフォーマーからの分け前を少しでも増やすための努力を重ねた。テレビや新聞はそれ以前から不動産やイベントといった「副業」に手を広げてはいたものの、かつてメディアの掌握により得られていたほどの莫大な利益は得られなくなっていた。それゆえ本業による利益の回復はやはり必要で、プラットフォーマーとの関係改善に努めた。


 だが生成エンジンはその状況を根底から覆した。


 米ナレッジ・シンス社のCEOであるナオミ・バタヴィアは当時、米検索エンジン大手でエンジニアとして勤めていた。その頃をこう振り返る。

「人工知能の研究は当時の職場でも盛んに行われていました。しかし世界有数の先進的な環境だったその場所においても、ある種の固定観念が存在していました。私たちは当初、人工知能を単に検索エンジンやプラットフォームを改善するための手段と見なしていました。しかしそうではなかったのです」


 世界初の商用一般情報生成エンジン「ナレッジ・シンス」は、バタヴィアによれば「究極のヒューリスティックス」であるという。

「あるキーワードなり、問いかけなりに対して、ある答えを用意して返すという意味では、検索エンジンと生成エンジンは同じです。しかし検索エンジンが実際に誰かが作って本棚にしまった情報を探して取ってくるのに対して、ナレッジ・シンスはそれらしき答えをその場で考えて作り出して提示する」


 ナレッジ・シンスは、インターネット空間上において公開されている全ての情報をコーパス(人工知能の学習用データ)として用い続ける、という手法を取った。それまでの人工知能が、事前にフィルタリングや意味付けなどの下ごしらえが施されたデータセットをコーパスにしていたのと比べると大胆な手法だった。用い「続ける」という表現にもナレッジ・シンスの拘りがある。ネット上の情報はリアルタイムで拡大し続けるが、それに合わせてナレッジ・シンスのコーパス、ひいてはナレッジ・シンス自体も更新し続けていくのだ。


 大胆な手法はしかし、これまでにない達成を果たした。ナレッジ・シンスは普通の人間が書くのと区別できないような流麗な文章で、政治や経済、市民生活や社会情勢についてのニュース記事を出力するようになった。

「人々は既にあらゆる情報をインターネット上に公開するようになっていました。ナレッジ・シンスはそれを読み下し、自らの脳に仕舞い、そして欲する人々の元へ届け始めました」


 大量のデータを学習したことは更なる恩恵を齎した。出力される情報は「それらしい」ものに留まらなかった。それは既知のニュースや言論、主張などの論理構造までも踏まえた、十分な説得力を備えていたのだ。

「例えば議会である法案が提出されたその10秒後には、ナレッジ・シンスはその法案について賛成意見や反対意見、対案やそれによる各界各国への影響などについて纏めた2万文字ほどの記事を生成できます。公開されている情報を繋ぎ合わせ、調査報道をする力すらもナレッジ・シンスは手にしました。しかもそれを堅苦しい新聞記事風にも、音声付きのアニメ動画作品にも作れてしまうのです」

そのようなナレッジ・シンスの性能に触れて、バタヴィアはようやく生成エンジンの本質的なインパクトに気付いたという。

「生成エンジンの登場は、メディアとしての生身の人体の欠陥を浮き彫りにしたのです。生成エンジンが検索エンジンに変わるのは時間の問題だと考えました」


 背景には、情報に対する根本的な不信感の高まりがあった。


 2010年代は、インターネット上で誰もが情報発信できるようになった時代の弊害が最も色濃く現れた時代であった。人々は政治的な動機に基づいて誤情報を流したり、ページビュー数を増やし広告収入を稼ぐために低俗で低品質な情報を濫造したりし始め、ネット社会全体が質的に劣化を始めていた。分断は深まる一方で、田中記者が取材したかつての米国の分断もその影響の一つの表れであった。人々は、届けられた情報が何らかの悪意が込められているのではないかと疑念に陥り、それが更なる混迷を生み出した。


 生成エンジンの登場はその状況に拍車をかけるに違いないと当初危惧された。人工知能により生成された誤情報が世界に溢れ、何が真実で何が誤りか、世界は更なる疑心暗鬼の時代を迎える。

しかしそれは杞憂に終わった。生成エンジンを手にし、人々はそのようなカオスな情報空間にもはや目を向けることをしなくなったのだ。

「生成エンジンによる検索エンジンの代替は極めて合理的でした。生成エンジンの大きな弱点は、大量の生成情報によって既存の情報や伝統的な方法で作られる情報を埋没させてしまうことでした。もしもあなたがそこから、『裏付けのあるもの』や『信用できるもの』を探す必要に迫られているとしたら、それは悪夢でしょう。しかし正しい情報がその場で生成できるのであれば、わざわざ本棚をひっくり返して一件一件ラベルを張る作業などしなくてもよい。いくらそこに大量のデータがあろうとも、生成エンジンそのものが目を通してくれているのだから、その場で望むものを生成してもらえばいいのです」


 そして「究極のヒューリスティックス」が実現した。人々は他人の思想に汚れている可能性のあるニュースを避け、生成エンジンが作る客観性と正当性が担保されたニュースを摂取するようになった。検索エンジンとレコメンドアルゴリズムにより依拠し構築されていたウェブ空間は、ニュース情報を摂取するための場所としては肥溜めとして放棄されたのだ。


 ナレッジ・シンスがサービスを開始して一年で、世界の報道機関の売り上げは前年比で90パーセント下落し、国営放送を除く殆どの企業は赤字に転落した。さらに次の年には殆どの国において下落率を計算することすら出来なくなってしまった。人が作ったニュースは「人為介在情報報道」として、世論が求める品質基準を満たさない粗悪品のように扱われ始め、やがて法で規制されるようになった。オールド・メディアはその際、最後にして最大規模の政治言論活動を行った。「人の思想信条を機械に預けてしまうことなどあってはならない」「自らの目で真贋を確かめる力を養ってこそ、真の民主主義社会が達成出来るのだ」と。しかし声高に叫べば叫ぶほど、彼らの声は疎んじられるようになっていった。彼らの批判に対するバタヴィアの反論はこうだ。


「ナレッジ・シンスは、人々が本質的に持っている『知りたい』という欲求に誰よりも素直に答えることが出来るものです。知る権利を不当に独占していたかつてのメディアよりも、あらゆる点で優っている。全ての人々が自信と根拠を以って意見を述べられるようになった現代こそ真の民主主義社会であり、それを支えられていることを誇りに思っています」


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