黄昏の記者

及川盛男

黄昏の記者(1)オールド・メディアの落日

黄昏の記者(1)オールド・メディアの落日


 生成エンジンを経由しない「人為介在情報報道」が原則違法化されて今年で20年を迎える。違法化時点までに報道免許を取得していた法人等は経過措置として引き続き報道活動の継続が許されているが、生成エンジンの普及に伴いその多くは既に廃業している。しかし人々が見向きをしなくなった今でも、人力でよる取材にこだわる人が居た。彼の1日を追った。


【連載】黄昏の記者

(人工知能技術のひとつである生成エンジンはその登場以来、既存権力との対立、政治的な論争などの大きな騒乱を巻き起こしながらも不可逆に社会に浸透していき、現代においては必須のインフラになっています。この四半世紀に生成エンジンが我々の社会に与えた影響を、全4回の連載で振り返ります)


 田中英次がかつて勤めていた旧夕陽新聞本社ビルは取り壊され、現在はオフィスとホテルが入居する大型複合ビルとして生まれ変わっている。彼はそのビルの1階にあるカフェでよく作業をしているのだという。


 その日の朝も定位置である窓辺の席でPCを開き、「朝になると身体が勝手にここに来てしまう。ここに来たら今度は勝手に仕事モードになってしまう。便利なのか厄介なのか」と苦笑しながら語った。


 田中の現在の収入は主に、取材した情報を生成エンジンに登録する「コンバーター(変換業)」に依っている。自身のウェブサイト「日刊田中新聞」の運営資金もそこから賄っている。


「サイト開設当初は、旧来の読者からの寄付でサイトが運営できていた。しかしウェブサイトの利用者自体が高齢化によってどんどん減っていって首が回らなくなった。今では月間のユニークアクセスは10人くらいですし、その半分は生成エンジンのクローラです」


 田中記者のスケジュールを見せてもらう。11時から官房長官記者会見のため永田町訪問、13時より新宿で大手家電メーカーの新製品発表会に参加、15時より取材資料の収集のため国会図書館来訪。以降は21時まで原稿の執筆作業となっていた。「起伏の無いスケジュールでしょう」と笑う田中。執筆時間の割合が大きいのは、ウェブサイト用と生成エンジン登録用の2種類を作らなければならないからだ。

「生成エンジン用のデータには主観を交えてはいけません。もしそれに関連する主張を交えたいのであれば、きちんと文献から引用しなくてはいけませんし、その分文献を調べるのにも時間が掛かっていく。自然と主観を排した記述を書くよう仕向けられている」


 このように自身の手帳を人に見せるのも、かつてのことを考えると新鮮な行為なのだと、手帳の表紙を撫でながら明かす。

「こういったものは取材源の秘匿をしなきゃいけない以上、人に見せるなんてことは滅多にしなかった。けれども今は密室での取材は相手が怖がって許してくれないし、そんなことをしなくても必要な情報は生成できるから誰も求めていない。オフィシャルな会見の内容か、隠す必要もないオープンな約束くらいしか、今はもうここには書かれていないという訳です」


 地下鉄を経由して、永田町と新宿の2つの会見場を梯子する。どちらの会場も人はまばらだった。会見は全てライブ配信されており、その情報は自動で生成エンジンに登録される。「我々世代が引退すれば、こうしたリアルの会見はきっと完全に無くなるでしょう」と田中記者は呟いた。



 田中英次記者は2004年に夕陽新聞に入社、2010年代後半にはアメリカ総局に赴任。当時の米国は保守とリベラルの分断が激しい軋轢を生んでいた頃で、田中記者も自らラストベルト(自動車産業で栄えたデトロイトなどの地域)に足を運び、対外強硬論を唱えるかつての工場労働者に取材を重ねた。


 2023年に政治部のデスク、25年に部長となった。高齢化の進む新聞業界内では異例のスピード出世だった。当時、国内における生成エンジンの扱いは著作権法の改正などを中心とした暫定的な対応に留まっていた。更なる法制化についての議論が遅々として進んでいない国会の様子を、田中記者らは批判的に報じていた。「人間による報道活動の禁止」についての議論が海外から聞こえ始めてきたのは、それから少し経ってからのことだった。


「初めは一笑に付していた」と田中記者は振り返る。しかし世論調査の結果が出てくると風向きは一変した。

「その時点で既に国民の6割が、生成エンジンによって報じられた情報をその他メディアの情報よりも信用する、と答えていたんです。愕然としましたよ」


 生成エンジンの技術は2020年代半ばごろから、主にテキストや画像の自動生成といった分野で花開いた。会計士や弁護士といった士業や創薬などの研究の場でも人工知能の活躍の場が広がり、自動運転も初期の進展を見せていた頃だ。小説家やイラストレーターといった創造的な分野すらも人工知能に職を奪われるのではないかという危惧が現実感を持って広まり始めていた様子が、当時の夕陽新聞の紙面上でも報じられている。国会図書館のマイクロフィルム資料を見ながら田中は述懐した。

「元々新聞やテレビは、媒体というインフラそのものの利益と、そこに載せるコンテンツの製作という二輪で稼いでいた。インフラ権益がインターネットの普及で奪われたため売り上げ規模は当然下がっていたが、それをコンテンツ製作に軸足を置くことで立て直そうとしていた。別の角度から言えば、媒体が変わってもジャーナリズムが求められ続けていくことには変わりないのだから、そうした報道の本懐に改めて立ち返って稼いでいこうということだった」


 しかしその努力は無駄に終わった。人々はニュース情報をウェブ空間から探すことを辞めていったのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る