リモートワーク・シンデレラ
我破 レンジ
私たちはここにいる。この世界で生きていく。
世界は女の敵に満ちている。
そんな絶望を抱えて生きてきた三十二年間だった。
男子大学生が女子大学生に酒を飲ませてレイプした。映画監督が立場を悪用して女性俳優を襲った。テレビやネットでそんな性被害のニュースが流れ、勇気を出して被害を告発した被害者が
何を隠そう、私自身もそんな辱めを受けたことのある一人だからだ。
それでも私は女性権利団体〈キグナス〉の調査員として、女性の人権にまつわる様々な問題を調査してきた。罪もない被害者たちを救う一助に、少しでもなるために。
だからこそ、『障害を持った女性たちを性風俗に従事させている店がある』という噂を聞いたとき、私は真相を白日の下にさらすと決意した。
店の名前は〈グラスシューズ〉。不自由な生活に苦しんでいるであろう女性たちを食い物にする、許しがたい存在。
そしてそのオーナーに今、私はインタビューしていた。指定された場所はK市内の繁華街にある小さな喫茶店。そこへやってきた店のオーナー、
彼女はきっと都合の良い身勝手な釈明を始めるだろう。それを余すことなく記録し、世間に発表して断罪してやるつもりだった。
「ねぇ、あなたって女性権利団体のメンバーだそうだけど、女であるあたしが同じ女の、どんな権利を侵害してたかしら?」
名刺交換を済ませた後、増美は注文していたチョコレートパフェを頬張りながらたずねた。その緊張感の無さが癪に触って、憮然としながら答える。
「未成年の女子や在留資格のない外国人女性が違法な性風俗に従事させられている。このような問題は度々取りざたされてきましたが、あなたは自分のお店で障害者の女性たちを働かせているそうですね。つまりあなたは社会的弱者を性的搾取しているんですよ。その意味がわかりますか?」
「なるほど。既に調べてあるだろうけど、違法なことは何もしてないわよ。彼女たちは脳波による遠隔操作型のドレスロイドを使って、お客さんとは非接触で接客してるんだから」
「ドレスロイド? あなた方はセクサロイドをそう呼んでいるんですか?」
「そういうこと」
増美が話した通り、彼女の店で使われているのはセクサロイド、つまりセックス専用に作られたアンドロイドだ。それもAI内蔵式の完全自立型が普及して久しい現代において、人が遠隔操作するタイプの。
そしてそこが
しかし、だからこそ解せなかった。
「ならばなぜ、わざわざ障害者女性にセクサロイドを操作させるのですか? それこそAIでもできるじゃないですか!」
私が語尾を強めて問い詰めようとした矢先、にゃーと気の抜けるネコの鳴き声が聞こえた。いつの間にかネコの顔がくっついた配膳用ロボットが来ていた。増美は注文していたメロンソーダを受け取ると、その場を去っていくネコロボットを見ながら言った。
「
「あいにくそこまで交流の機会はありませんでしたが……」
増美はメロンソーダの上に浮かぶアイスクリームを口に運びながら、思案気に天井を見上げたかと思うと、
「そうねぇ。百聞は一見にしかずというし、良かったらこの後お店を見学させてあげましょうか? まずはうちに勤めているシンデレラたちのことを知ってもらなければね」
と、百年に一度の名案を思いついたかのようなしたり顔をした。
「それはそれは、願ってもないことです」
皮肉を込めてそう返すが、相手に伝わっているのかいないのかは判然としなかった。
「決まり。それじゃせっかくだし、このままランチにしちゃいましょうよ」
「いえ、そういうのは結構ですので増美さんのお店に。ていうかまだ食べるんですか、デザート先に平らげといて」
「ここで会ったのも何かの縁だし、それにあなたかわいいじゃない。あたし、かわいい女の子とデートするのが好きなの」
どうやらこの婆さんは私をおちょくっているらしい。青筋が額に浮かびそうになるのを堪えつつ、私は増美とハムレタスサンドを食した。おごるという提案はもちろん断って、私が全額支払った。
※※※
そうして案内された遠隔操作型セクサロイドサービス店〈グラスシューズ〉は、K市内の平凡な雑居ビルの中にあった。ビルの看板にも、透き通ったガラスのハイヒールのイラストと店名が記されている。
「ようこそ、夢のテクノ舞踏会へ」
増美は芝居がかってそう言うと、私を従業員用の裏口から中へ案内した。そしてエレベーターホールまで進むと、そこには先客がいた。
「あら、みらちゃん久しぶり。直接会うのは五か月ぶりかしら?」
増美が親しそうに声をかけた相手は、リクライニングチェアのような大きな背もたれの車いすに乗った女性だった。アルファベットのZのように身体がまがっていて、オレンジ色のヘッドギアを頭に装着している。右端に引っ張られたように開いた口からはよだれが垂れているが、車いすに取り付けられた機械の腕がハンカチで逐一ふき取っていた。あれが以前テレビでも見たことがある脳波操作型の多目的車いすだと、私はすぐに思い至った。あのヘッドギアで脳波を読み取る仕組みだったはずだ。
みらと呼ばれた女性が私には聞き取れない不明瞭な言葉をしゃべると、増美はうんうんとうなづく。
「あっそう、今日はシンクロ調整の日だったの。じゃあそこまで一緒に行きましょうか。ねっ、今日は人権団体の調査員さんが来てるの、みらちゃんも挨拶してあげて」
みらは私に車いすを向けると、ひきつった笑みを浮かべた。いやわかっている、これは失礼な表現だ。彼女はおそらく重度の脳性麻痺を患っている。口角を持ち上げるだけでも相当の労力のはずだ。
恥を承知で告白すると、実際にひきつった笑みを浮かべていたのは私の方だったろう。増美との会話にもあった通り、私は障害者と直に接する機会がなかった。この日のために障害者福祉の知識はある程度勉強していたけれど、重度脳性麻痺の人間と向かい合うのはこの時が初めてで、みらの姿に私は少しおののいていた。
エレベーターは大人二人に大型の車いすが乗っても余裕のある広さだった。これがバリアフリーというやつだろうか。
二階に到着して降りると、視界に飛び込んできた光景に私はギョッとした。
十数人程の女性が棒立ちになっていた。それも全裸で。
だがよくよく見ると、それらは全てセクサロイドだとわかった。瞬きを一切しない生気のない瞳がその証拠だ。みんな円形の台座の上に立っていて、台座から伸びる支柱によって固定されている。どうやら一般的なアンドロイドと同じ台座型のワイヤレス充電器のようだ。セクサロイドたちの容姿も千差万別だった。茶髪でスレンダーなタイプもあれば、黒髪で童顔のふくよかなタイプもある。セクサロイドも本物にお目にかかるのは初めてだった。人間そっくりに作られてはいるが、これらは全て機械だ。生殖機能もないのに、人間に抱かれるためだけに設計された機械。
そう考えると、やはり嫌悪感を抱かずにはいられなかった。ここの客たちはこんなお人形を抱いて悦に浸ってるのだとしたら、女性を性の道具としてしか見れなくなるのではないかと危惧した。
「
増美がフロアの奥へ叫ぶと、お人形たちの間を縫うようにして一人の男が近寄ってきた。メガネをかけて長い髪の毛をポニーテールのように縛り、汗染みの浮いたシャツを着ている男だった。特に異様だったのは、脇にセクサロイドの足を抱えていたこと。一瞬だが本物の人間の足かと勘違いして悲鳴をあげかけた。足の付け根から配線が飛び出しているのに気付けたのは幸いだった。
「あっ、みっ、みらちゃんいらっしゃい。さっ、さっそくだけど脳波の定期測定やるから、こっ、こっち来て」
男の言葉はところどころでつっかえていた。彼はもう片方の手に持っていたエナジードリンクを飲みながら、みらと一緒に奥へ引っ込んでいく。
「優斗くん、聞いての通り吃音でね。優秀なエンジニアなんだけど、前の職場で吃音のことをひどく侮辱されてしばらく引きこもってたの。でもあたしが彼を見つけ出して、ドレスロイドのメンテナンス係としてスカウトしたってわけ」
増美の解説もほどほどに、私たちは裸のお人形たちの間を進んでいく。
そうして一体のセクサロイドの前で、増美は足を止めた。金髪のロングヘアーをアップスタイルでまとめたそれは、他の機体と違って真っ赤できらびやかなドレスを着ていた。
「花ちゃん、もうログインしてる? 今日は出勤の予定でしょ?」
増美がそう呼びかけると、瞳が文字通り光って、開きっぱなしだったお人形のまぶたがパチパチと瞬きした。
そうして光が宿った目を私たちに向けた。
※※※
『お疲れ様です、増美さん。そちらの方は?』
耳に心地よく通る自然な声だった。知らなければ声優が喋っているように聞こえるかもしれない。最近のセクサロイドはこんなに進歩しているのか。驚きながらも私はとりあえず名刺を差し出す。
「はじめまして。女性権利団体〈キグナス〉の柊ケイと言います」
受け取ったセクサロイドはしげしげと名刺を眺めると、ドレスの裾をつまみ上げて会釈した。
『はじめまして、ケイさん。そしてようこそ、夢のテクノ舞踏会へ』
そうして自然な笑顔を私に向けた。自然に見えたのは操縦者がいるという先入観のせいかもしれない。しかしおおよそ機械にできるとは思えないほど柔和な表情だった。
「花ちゃん。お客さんを迎えるにはまだ時間があるでしょ? あなたのこと、少し教えてあげてくれない?」
『増美さんがそう言うなら、よろこんで』
そしてセクサロイドは手のひらを私に向けた。すると手のひらの中央がわずかに光って、表面に映像が映し出された。
胸から上しか写っていないが、そこにいたのは枕に頭を乗せて横になった女性だった。機体と同じ赤い色のパジャマを着て、ピンク色に染めた頭髪の上から銀色のゴーグル型端末を被っていた。
『改めて自己紹介を。アクターの
自己紹介しているというのに、表情と口にほとんど変化はなかった。喉につけられた小さな端末が、喉元からわずかに発せられる声を拾っているのかもしれない。
『見ての通り、あたしは寝たきりの生活を送ってます。筋萎縮性側索硬化症、ALSとも呼ばれる病気で、筋肉がどんどん衰えていっているんです。今は指先を動かすのが精いっぱいです』
ALS。それも聞いたことがあった。現在においても根本的治療法が見つかっていない難病だ。発症した人間は彼女が言った通り、全身の筋肉が衰えて動かなくなり、やがて心臓も停止して死に至る。
聞いているだけで恐ろしい病だと思う。だが今画面に写っている花に、終わりを運命づけられた者の悲壮感は感じられない。むしろ寝たきりだというのにはつらつとした印象さえあった。
『あっ、どうせ死ぬしかない人間なのに、なんでこんなに元気そうなんだって思ったでしょう?』
突然、胸中を見破られてしまって動揺した。私の表情からでも察したのだろうか。慌てて首を振る。
「そんなことありません。どうせ死ぬだなんて……」
『あたしがこれまで会った人の中にはね、あなたが思ったようなことを直接口にした人もいました』
息が詰まった。女性権利問題の中ではそんなモラハラも珍しくないが、他人の存在を全否定する暴言を吐ける人間がいる事実には、毎度のことながら戦慄する。
『だからね、何度も死にたいと思いました。あたしみたいに若い女性がかかるのは珍しいそうで、その意味でもすべてを呪いました。神様も、この世界も、人間もぜんぶ』
明るい口調ではあっても、いやあっけらかんとした態度だからこそ、彼女がこれまで受けてきた仕打ちのつらさがにじみ出てくるようで、私は黙って聞いていることしかできなかった。
『そんな真っ暗な日々の中で、増美さんに出会えたんです。この社会で生きる意味を、楽しみを見つけてみてくはないかって。そうしてあたしはアクターになりました。この脳波リンクギアを使って、あなたの前にいるドレスロイドをアクトしているんです』
「あの、なぜあなた方はセクサロイドのことをドレスロイドと? それにアクターとかアクトとかいうのは……?」
『この店ではセクサロイドのことを
花が説明していると、画面からアラームのような音が鳴った。
『そろそろお客さんが来る時間ですね。増美さん、あたし行ってきます』
「えぇ、楽しんでらっしゃい。危なそうだったらすぐに緊急通信をコールするのよ」
花が操作、いやアクトするドレスロイドは台座から降りると、フロアの隅にある階段をのぼっていった。三階に客を接待する空間が設けられているのだろう。
「どうだった、彼女?」
増美から問われ、少し逡巡して答える。
「素敵な人だと思います。難病を患っていながら活き活きとしてて」
「じゃあ難病を患ってないで活き活きとしてたら素敵じゃない?」
このババア、人の言葉尻を捕らえて。だが、何も言い返せなかった。
「あっ、あの増美さん。マリンちゃんのドレスの不具合で相談があるんですけど、ち
ょっ、ちょっと事務室来てもらえます?」
声がした方を向くと、エンジニアの優斗がいた。今度はドレスロイドの片腕を抱えている。
「ケイさん、悪いけど少し外すわね。優斗くん、そんなに具合悪いの、あれ?」
二人が私の元を離れた、その直後だった。
背後から肩を叩かれて振り向くと、一体のドレスロイドがいた。銀髪のボブカットに切れ長の目、そして青いドレスの涼し気な印象の機体だった。
『ねぇあなた。すこし付き合ってよ』
わけもわからず戸惑ってると、相手は私の手を取ってずんずんと歩いていく。そうして花のドレスロイドがのぼっていった階段を二人で進み、ドアが並ぶ廊下をわたると、その内のドアの一つに私は連れ込まれた。
※※※
『急にごめんね。でもどうしても、あなたと二人っきりで話したいことがあったから』
ドレスロイドはそう詫びると、小さな冷蔵庫からお茶のボトルを取り出してグラスに注いでくれた。私が連れ込まれた部屋は、広さが六畳ほどで柔らかな赤い絨毯が敷き詰められていた。中央にはダブルベッドが置かれ、隅に設けられたシャワールームはガラスで仕切られて中が丸見えだった。
「あの、失礼ですがどちら様でしょうか……?」
ベッドに腰かけ、渡されたグラスを傾けながらたずねると、やはり涼し気な笑顔で相手が答える。
『みらだよ。さっき一緒にエレベーターに乗ってた』
私は目を見張った。車いすに乗っていてまともな発話も困難だった先ほどの彼女とはまるで違う。遠隔操作されている機械だとわかっているのに、艶めいた肢体が私の隣に座ってよく眺められるようになると、妙な気恥ずかしさに視線をそらしてしまう。
「そうだったんですか。でも二人っきりで話したいことって……」
『みらはね、あなたにお願いがあるの』
「お願い?」
『そう。このお店のことを悪く誤解しないで欲しいというね』
みらは私に顔を近づけると、切れ長の目を一層細めて言った。
『あなたはきっと、増美さんはみらたち障害者を働かせる悪者だと思ってるでしょう? でもそれは違う。増美さんはみらに社会との接点を作ってくれたの』
「接点、ですか?」
『ケイさん、さっき花ちゃんに名刺を渡してたけど、どうしてみらには渡してくれなかったの?』
言われてハッとした。確かに私はみらに会った時、名刺を渡していなかった。花のドレスロイドには渡したというのに。
「それは……場の流れ的に渡し損ねたというか……」
『うそ。みらを名刺を渡すべき人間として認識してなかったんでしょ。そもそも受け取れるとも思わなかった? マジックハンドも付いていたのに?』
「それは違います!」
思わず声を張り上げたが、そこから先が続かなかった。彼女が指摘したことを完全には否定できないと、私自身もわかっていたからだ。
『隠すことないよ。あなた以外の人もみんなそうだった。脳性麻痺で碌にしゃべることもできないし、車いすに乗りながらよだれをダラダラ垂らすみらを、誰も人間とは思ってくれなかった。両親もあたしがマジックハンド車いすで一人暮らしを送れるようになってからは、滅多に会いに来なくなったから』
そう言うと、みらはいきなり私の肩をつかんでベッドに押し倒した。ドレスロイドの腕は棒のように硬直して、私は動けなくなった。
『みらはこの世界で生きているのに、世界にとってはいないも同然の存在だった。働くこともできないし恋もできない。障害のない人なら当たり前にやっていることが、みら達には許されない。マジョリティーの中でマイノリティーが暮らす苦しみがあなたにわかる?』
みらは私に覆いかぶさると、バイオレットのリップが引かれた唇で私の口をふさいだ。鼓動が破裂しそうなほどに早まり、限界を迎えそうになったところでようやく解放される。
『ドキドキした?』
先ほどとは打って変わって、慈しむような手つきでみらは私の頬を撫でた。
『あなたはきっと、そんなドキドキをこれまでも体験したかもしれない。でもみらにとっては違う。こんな当たり前のドキドキを、増美さんとドレスロイドはみらにくれた。今ここで生きているという実感を、ようやくみらは手に入れることができたの』
「ドレスロイドには快感を伝える機能まであるんですか」
『ないよ? でもこの没入感が、みらに味わったことのない感覚を味わわせてくれるの。この身体を通じてみらを好きになってくれた人だっているんだよ?』
そうしてみらのドレスロイドは、私の胸に顔をうずめた。
『だからお願い。ここはあなたが思ってるような場所じゃない。世間に変な情報を発信してここをつぶさないで。みらの生きがいを奪わないで』
ドレスロイドには涙を流す機能も備わっていないようだった。それでも、彼女の慟哭は私の胸に直接伝わってきた。
私はみらの銀髪を撫でた。ひと時とはいえ、確かに同じ鼓動を共有した相手だから。
※※※
「過ぎたおいたはダメよ、みらちゃん」
いきなり第三者の声がしたので、本日何度目になるかわからない驚きと共にドアをみやると、増美と優斗が立っていた。前者は険しい顔で。後者は困り顔で。
「みっ、みらちゃん話が違うじゃないか! ぼっ、僕が増美さんを引き離してる間に少しだけ話をしたかったんじゃないの!」
『ごめんなさい優斗くん。でもどうしても、このお店のことをわかってもらいたくて』
みらはばつの悪そうに二人の元へ行き、頭を下げた。
「ダメじゃない優斗くん、彼氏ならちゃんと彼女を見守ってなきゃ」
「すっ、すみませんでした増美さん……」
謝罪しながらも、優斗はしょんぼりとしたみらを励ますように肩を叩いていた。私の方は彼らが付き合っているという事実に愕然としていた。好きになってくれた相手がいると言ってはいたが、まさかあのエンジニアのことだったとは。
「失礼してしまったわね、ケイさん。みらは少し思い込みの激しい娘だから」
そして増美もまた私の元へ来ると、深々と頭を下げたのだった。
「いえ、そんなことはありません。なんというか、その、率直な意見を聞かせていただけたので……」
みらの方を見ると、優斗と一緒に引き下がろうとするところだった。
「あの、みらさん!」
私は慌てて彼女を呼び止めた。彼女にどうしても解いておきたい誤解があった。
「あなたは私をマジョリティー側だと思っているようですが、それは違います」
私は一呼吸おいて、重くなりそうな口を必死に開いた。
「私は、元々男でした。心は女だったけど、肉体は男。だから手術を受けて余計な玉を切り取りました」
その場にいた全員の目が見開かれた。私自身、身近な人たち以外でこの事実を打ち明けるのは初めてで、なぜここでそれが言えるのか不思議でならなかった。
「戸籍上も私は女です。そのはずなんです。でも学校や会社では男子トイレを使えと言われますし、知り合いの男性から女になったか確かめてやるって胸や股を触られたこともあります」
ベッドから降りる。握った拳が震えている。膝から力が抜けそうだ。
だがそれでも、伝えなければならない。
「ありのままでいたいのに、それができない、許されない。何をするにも議論の的となる。私も女として当たり前に恋したかった。自分の思う理想の女として生きたかった。私はあなたがうらやましい。ドレスロイドを使ってなりたい自分になれたあなたが」
私はみらの前に立つと、彼女の手を取って、カメラの仕込まれた瞳をしかと見つめた。
「私はこの店をつぶすつもりでした。今でもこの店の存在が正しいかどうか、正直わかりません。ですが見届けたいと思いました。あなたと花さん、優斗さんや増美さん、そしてまだ知らない従業員の方々。社会から見て見ぬふりをされてきたあなた方が、この社会での確固たる役割をここで確立できるのか」
ここまで話して、私はドアの向こう側、通路の方にゴーグル型端末をつけた本物のみらがいるのに気が付いた。例の車いすに乗って、私を神妙な面持ちで眺めている。私は一直線に彼女の元へ向かった。そして膝をついて視線を合わせた。
「明らかに皆さんの人権が踏みにじられるような行為がない限りは、私はこれ以上この店を問題視はしません。でもどうか、みらさんのような想いを持っている人たちがここにいるということを伝えさせてください。世間に真実を知ってもらうために」
本物のみらが腕をぎくしゃくと開いた。言葉がなくとも彼女の要求はわかった。私はよだれが肩にかかるのも構わずみらを抱きしめた。
『元男ねぇ、全然わからなかった』
背後からドレスロイドのみらが私を抱きしめた。二人の女性、いや一人の女性にはさまれる形になって、いささか恥ずかしかった。増美も優斗も笑っていた。
『あなたきっと、メイクの天才なんだね。今度みらにも教えてよ』
「えぇ、喜んで」
※※※
そうして私はドレスロイドサービス店〈グラスシューズ〉の存在を〈キグナス〉の機関誌に記事として載せ、多様な生き方を追求する権利を訴えた。
だがこの一連のコラムを読んでいる読者の皆様ならご存じだろうが、結局〈グラスシューズ〉は一年で閉店を余儀なくされた。私が伝えたかった多様な生き方という論点は充分に浸透せず、障害者を性風俗に従事させているという悪評だけが独り歩きしてしまった。だが一番の要因は従業員の一人であった花が、個人的に好意を寄せた客を家に招いて、その結果として殺害されてしまったという事件だった。犯人曰く、自分より先に逝くのが決まってるならこの手で終わらせてあげたかった、だそうだ。頼まれもしていないのに。
あの娘の孤独を埋めきれなかったのは自分のせいだと、後日、増美からメールが届いた。文面からにじみ出る痛恨の念は私も同じだった。
私もその時には〈キグナス〉から身を引いていた。〈グラスシューズ〉へかけられた誤解を解かなければと理事長を説得したものの、「生理も知らない女は黙ってなさい」と口をふさがれた。理事長はもちろん生まれながらの女性だった。この団体においても自分はその程度の存在だったのかと、何もかも馬鹿らしくなった。
だがその一方で、みらと優斗が正式に結婚したというニュースも増美のメールには記されていた。二人は現在、ドレスロイドから得たデータを元に新型の介護用アンドロイドを作る事業を始めるらしい。世界初のセックスも可能な介護用アンドロイドだそうだ。これまた物議を醸しそうだが、増美も〈グラスシューズ〉を通じて得たコネを活用して、二人を支援するそうだ。
今の私に何ができるのだろう。
しばらく考えて、私は一文だけ増美へ送った。
『手伝わせてください』
すぐさま着信の通知が鳴った。スマホをタップして文面を表示する。
『あなたみたいにかわいい女なら、存分に使ってあげる』
そりゃどうも、と、あの日私たちが出会った喫茶店でメロンソーダを飲みながら苦笑した。
〈終〉
リモートワーク・シンデレラ 我破 レンジ @wareharenzi
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