最終話 「兄妹」

 気まずい沈黙の中、私達は見つめ合った。


(ど、どうしよう……)


 これは予想外だ。

 さっきまで、お母さんと話してたのに!

 2年分の積もる話があるはずじゃんっ。

 もう少し時間がかかるはずじゃんっ。


 気まずい。

 さっきはお母さんがいたから、勢いでなんとか話せたけど……。

 どうすればいいか、分かんない。


 あ。

 いっそ、ここで謝っちゃう?

 千載一遇のチャンスじゃん。

 今話せば、寒い中散歩に行く必要もなくなる!


 あ、でも、どうやって切り出そう……?


「受験の方は、順調?」


 先に沈黙を破ったのはお兄ちゃんだ。


「あーうん。それなりには」


 開口一番が、私の話題。

 相変わらずだなぁ……。


「そっか。頑張ってね」

「うん」


 ……。

 全っ然、話が広がらなかった。


 これは、緊張してる私が悪いの?

 いや違う。違いますよ皆の衆。


 これは……そう。

 部屋の空気が悪い!

 生暖かくて、さっぱりしない微妙な空気が、圧倒的に悪い!


「だああああああああああ」


 大声を出して、勢いよく窓を開ける。

 すると、冷たい風がびゅーっと吹いてきた。

 さっっっむ。


「ひ、陽菜ひな?」


 お兄ちゃんの方を見ると、驚いたように目を丸くしていた。

 「妹、ついに気が狂ったか」とでも言いたげだ。


「勉強する前とか、よくやるんだよね」

「そ、そうなんだ」


 若干……いやかなり引かれてる気がするけど、ここで諦めないのが私!

 よし、このまま言っちゃおう!


「あの時はごめんっ!」


 言った。

 ついに、言ったよ……!


 神様、仏様、ついでにお父さんとお母さん、見てますでしょうか。

 2年間も出来なかった謝罪が、ようやく出来ましたよ。

 陽菜は、心身ともに成長しました……。


「そんな、陽菜が謝ることじゃないよ」


 お兄ちゃんは、困ったように眉を下げて言った。


「身体の弱いからって、僕が張り付いていたのが悪かったんだ。監視されて鬱陶うっとうしかったんだよね。本当にごめん……」

「ち、違うよっ!」


 慌てて否定する。


「そういう意味で言ったんじゃないよ」


 やっぱり勘違いされてたんだ。

 仕方ないよね、あれは私の言い方が悪かったんだし。


「別に、お兄ちゃんと離れたくて言ったんじゃないよ」

「え、そうなのか?」

「うん……」


 じゃあ、どういう意味で言ったのか。

 当たり前だけど、それを説明しなくちゃいけないよね。


 うーん、凄く恥ずかしい。

 どうしよう……適当に誤魔化しちゃう?

 いやいや、ここまで来てそれはないって。


 お兄ちゃんの顔を見る。

 真剣な表情だ。

 私が弱音を吐いたり、将来の不安を話したりする時に、よく見た顔だ。


 思えば、真面目なお兄ちゃんは、そういう時は絶対に笑いで誤魔化したりしなかった。

 どんな内容でも、私が辛いって言えば受け止めてくれた。

 真剣にお願いすれば、どんなに難しいことでも必ず叶えてくれた。


 いつも私のことで一生懸命なお兄ちゃん。

 ……ここで誤魔化しちゃったら、これからもずっと、私のことを考えちゃうかもしれない。


 冷たい空気を吸い込んで、肺一杯に行き渡らせる。

 それから、勢いよく吐き出した。


「これからは私に縛られず、自由に生きてほしくて言ったの。お兄ちゃんは、沢山の時間を私に奪われたでしょ?

 そんなお兄ちゃんを見てると、私が辛いの。足手まといになってる気がして、申し訳なくなるの」

「……そうだったのか」


 そう言うと、お兄ちゃんは私を抱きしめた。


「伝えてくれてありがとう。てっきり嫌われたのかと思ったよ」

「嫌いなんかじゃ、ないよ」

「そっか、そっか」


 背中に、優しい振動が届く。

 突然、鼻がつんと痛くなった。


「だけど、なんて言わないでくれ。僕はただ、大切な妹の役に立ちたかっただけなんだから。……まあ、ろくなことは出来なかったけど」

「そんなことないよ」


 首を振って抱きしめ返す。


「お兄ちゃんは、いつも私を笑わせてくれた。心細い時は傍で励ましてくれた。何度も、救われてたんだよ……?」


 お兄ちゃん、随分痩せてる。

 飛びついた時は気づかなかった。


 なんだか、今にも消えてしまいそう。


「ずっと言えなかったけど、お兄ちゃんのこと大好きだよ。だから、たくさん帰ってきてほしい。……寂しいよ」


 私は馬鹿だ。

 もう自分に縛られないでって伝えたのに……これじゃあ、意味ないじゃん。


 そんなことを思っていると、お兄ちゃんはくすりと笑って言った。


「分かった。ちゃんと帰ってくるよ。連休も、盆休みも、年末年始も」


 お兄ちゃんの言葉を聞いて、身体を離す。


「…………それはちょっと帰って来すぎかも」

「え!?」



 2人の間に、冷たい風が吹いた。





--



 それからは、お兄ちゃんの話を聞いた。

 帰ってこなかったら2年の間は、仕事が大変で、辛いことが沢山あったらしい。

 しっかり者のお兄ちゃんが、家事すら疎かにしてたなんて……正直、信じられない。


 だけどね、今年からは色んなことに頑張るんだって。

 何かいいことがあったの? って聞いたけど、教えてもらえなかった。


 でも、絶対いいことがあったと思うんだよね。

 あの顔は絶対そうだよ。

 お兄ちゃんが幸せそうだったから、よかった。


 あ、よかったで思い出した。


「そういえば、あの時どうして“よかった”って言ったの?」


 勢いのまま聞くと、お兄ちゃんは少し遠慮気味に言った。


「お役御免なのは悲しかったけど、僕のことを拒めるくらい強くなったから、よかったなって思ったんだ」

「えー、なにそれ。変なの」


 拒まれて嬉しいって……。

 でも、私のこと嫌ってたわけじゃなかったんだ。

 安心。


「兄心だよ」


 そう言うと、お兄ちゃんは苦笑した。


 聞こえますか皆さん。

 これが社会に揉まれ、成長を遂げた兄の笑顔です。

 顔は良いので、苦笑もなかなか似合いますね。


「雪路ー! 夕飯は食べて帰るのー?」


 1階からお母さんの声が響く。


「そうするよー」


 懐かしいお兄ちゃんの声が返事した。


 それがなんだか嬉しくて。

 私は、頬をほころばせた。



 おかえりなさい、お兄ちゃん。



✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼



次回 2023年1月19日18:00

番外編 〜ユージと愉快な仲間たちのアパレルショップ編〜

第1話 「ユージの昼休み」



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