第12話 「向き合う」
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「僕は、シオのことを1つの
少し緊張した空気の中、ユージさんが沈黙を破った。
「同じような苦しみを持っていて、死にたいと思ってる。で、僕が辛い時には優しい言葉をかけてくれる。そんな概念だと思ってた。
概念については、シオも分かるだろう?
僕もシオの求める概念として、出来ることはしたつもりだから」
「うん、分かるよ」
強く頷く。
いつもなら誤魔化してたかもしれないけど、今は話し合いの場だ。
嘘は吐かない。
ユージさんのことを概念だと思ってたのは、紛れもない事実だ。
だから、個人を認識してしまうような踏み込んだ話をしてこなかった。
実際に会っても、「どうして死にたいの?」とか、「どんな人生を歩んできたの?」とか、自殺する時の振り返りみたいな話題は、なるべく避けてきた。
個人のことが気になっても、あえて詮索しないという道を選び続けた。
無意識に近いレベルで、私たちは暗黙の了解として概念を演じ続けたんだ。
「シオを1人の人間として認識するきっかけになったのは、すっぴんを見たこと……かな。
普通の人だった。普通の、女の子だった」
可愛いことには変わりないんだけどさ。と、ユージさんは頬をぽりぽりと掻く。
「一緒に過ごしていくにつれて、その認識はどんどん深まった。
何かに深い恨みを持ってたり、褒めたら照れて顔を背けたり……絶対にツナが好きなのに、あえて鮭を選んだり。
色んなことを考えて生きてる、ちゃんとした人間なんだって知れたんだ」
言い終わった後、肩を竦めてみせるユージさん。
重たすぎる空気にならないための配慮なのだろう。
っていうか、ツナのことバレてたんだ……。
ちゃんとした人間、か。
彼は、この数日でたくさんのことを考えてたんだ。
「もうすぐ死ぬって実感のないまま、昨日を迎えた。
本当に楽しかったよ。多分、人生で1番。
シオも、凄く楽しそうだった」
「楽しかったよ」
人生で、1番。
「ボウリングでガターを出し続けた時、思ったんだ。僕は、球を投げることすらままならない人間なんだって」
「そ、それは……っ」
慌てて口を挟もうとすると、ユージさんは手で制して首を振った。
まだ、続きがあるみたい。
「本当のことだからいいんだ。
それに、ネガティブに捉えたわけじゃない」
思わず目を見開く。
ボウリングの件を、気にしてるんだとばかり思ってた。
「僕はね、ずっと自分のことを情けなく思っていたんだ。社会人になって2年目になるのに、仕事にも慣れていなくて、人に迷惑をかけてばかりで、家事すら疎かにしてたから」
私も、同じだ。
高校生になって2年目になるのに、初日からずっと学校に通えてない。
バイトもしてない。
祖父母の手伝いも、最低限しか出来てない。
なにも満足に出来ない自分が情けなくて、大嫌いなんだよね。
環境が違っても、気持ちは分かる。
分かるよ。
「でもね、出来なくて当然だったんだよ」
「え?」
「だって、僕はずっとガターを出すような人間なんだから。
上達方法を調べて実践しても上手く出来なくて、とことん要領が悪い……本当に、どうしようもないくらいに不器用な人間だ。
そんな人間なのに、なんでも出来なきゃいけないって思う方がおかしかったんだ。
たかだか2年、しかも、上達するための努力だってしていなかったのに」
そんなの、開き直りじゃん。
自分はそういう人間だから、出来なくても仕方ないって。
投げやりになってるだけじゃん。
なら、死んだ方がいいじゃん。
「開き直って何が変わるの」
「僕はずっと、正しい努力をしてこなかった」
「正しい努力?」
私の質問に、ユージさんは頷いて言葉を続ける。
「ずっと、謝るだけだった。
その場をどうにか乗り切って、後で情けない自分を責めるだけだった。
仕事のミスを恐れるくせに、説教を静かに聞くことしかしなかった。
自分から……アドバイスを求めなかった」
ユージさんの膝の上で握られてる拳に、ぎゅっと力が入った。
彼は今、きっと自分の恥を吐露してるんだ。
そう思うと、自然と私の手にも力がこもった。
「心の中で、制限をかけてたんだ。
馬鹿みたいに正面から頑張るな、もっと賢くやれ……って」
「…………」
「ボウリングはあくまで遊びの延長だったけど、その時は正しい努力をしたと思うよ。
だからかな。自分の実力のなさに向き合ったはずなのに、楽しかった」
「……惨めに、ならないの?」
真面目に戦う自分が、情けなく見えないの。
周りからの評価が、怖くないの。
「そう思った瞬間もあったよ。
諦めて投げ出そうとした時もあった。
だけど、その度にシオが応援してくれたんだ。
まだやれる、次は必ずって、何度も背中を押してくれたよね。
頑張ってたら誰かが見てくれる。応援されたら、僕はまた頑張れる。
シオのおかげで、それに気づけた」
本当に励まされたんだよ、とユージさんは笑った。
そんな風に思ってたんだ。
知らなかった。
私からは、ただ純粋にボウリングを楽しんでるように見えてたのに。
「カラオケで最初に歌った時さ、シオの手、震えてたよね」
「なっ」
それもバレてたの……!?
「シオは何でも出来るタイプの人間だと思ってたんだ。
化粧や衣服にしっかりとした
無力で何も出来ない僕とは、大違いなんだって」
「…………そんなこと、ないよ」
目を逸らす。
私は、底辺の出来損ないだ。
要領が良いなら、きっと死のうとなんかしなかった。
なんでもできるなら、きっと祖父母の負担を軽減できてた。
学校や家、過去からも、逃げることはなかった。
ユージさんは首肯した。
「ああ。きっと、苦手なことや嫌いなこと、したくてもできないことがあるんだよね。
もともと、人には向き不向きがあるんだ。出来ないことがあって当然だよ。
でも、最初はシオのこと“なんでもできるタイプ”って枠組みに入れてたんだ。
それに気づいた時、こう思ったんだ。
僕は“できる人間”のことも概念化していたんじゃないかって」
「どういうこと?」
「ちょっと出来る一面を見ただけで、何でも出来ると決めつける……ってこと。
シオはない? こういう人はこうだから、他も絶対にこうだって思ったこと」
ない。
と、否定したかった。
でも、記憶の中の藤咲が、それを制した。
藤咲。
どこまでも真っ直ぐで、優しい人だと思ってた。
いじめから助けたら、また友達に戻れるかもしれない――
いや、絶対に戻れる。戻れないわけがないと、確信してた。
彼女は何があっても、私の味方をしてくれるって……勝手に信じてたんだ。
もし私がいじめの標的にされても、絶対に守ってくれる。
藤咲はいじめっ子なんかとつるまないんだって、思い込んでた。
「よく思い出してみるとさ、周りの人も色んな一面を持ってたんだ。
仕事ができる同僚は、ゴキブリを退治できずに僕に泣きついてきた。
淡々と論理的に議論を進める上司は、情に脆いところがあって、自分に不利な選択をすることがあった。
誰よりも優しい母は、その優しさを自分のためには使えないところがある……。
僕はたまたま出来ない面が多いだけで、他人も出来ないことは多少なりともあるんだ。
そして、何をやっても上手くいかない僕にも、できることがあるんだ」
なんだろう……と思っていると、急にユージさんが私の手を握った。
想定外のことに「ちょっ」と慌てる私を置いて、彼は口を開く。
「それは、誰かを――大切な人を、心の底から愛すること」
ユージさんから、笑顔が消える。
「色々言ったけど、シオとこれからも一緒にいたいんだ。
人を概念ではなく個人として見ることで、自分の不器用さと向き合う覚悟を決めることが出来た。
気づかせてくれたのは、シオなんだ。
だから、あの夜、僕は死で繋がっていたシオとの信頼を裏切った。
2人で生きることを選択して、一緒に幸せになりたいと思ったから。
自分の不器用さに向き合ったうえでの幸せを、一緒に味わいたかったから」
心臓が大きく脈打つ。
それと同時に、色んな感情が私を襲った。
「あの夜、逃げてしまった。
気恥ずかしくて……いや、怖かったんだ。否定されるのが。
だから、本当の理由を後回しにして、建前から話してしまった。
自分でも、情けないと思う。馬鹿だと思う。屑だった。
シオが戻ってきてくれなかったら、一生この気持ちを伝えることができなかったと思う。
こんな人間で、ごめん。そして、戻ってきてくれて本当にありがとう」
言い終わると、ユージさんは深く頭を下げた。
手は握られたまま。
ひどい手汗だ。
「……なに、それ」
声が震える。
感情がぐちゃぐちゃで、不快だ。
「身勝手だよ」
自分が頑張る理由を見つけたからって、
私に望みを諦めてもらおうとしてるんだ。
信じられない。
こんなに、自己中な話はないよ。
それなのに……。
涙が溢れて、止まらない。
「私も、生きたままで幸せになりたいよ」
吐き出すように言葉を続ける。
「でもさ、だめじゃん。
生きてるだけでお金がかかって迷惑かけるし、過去のことだって、乗り越えられないままだし」
言いながら、俯く。
涙が膝に、ぽつりぽつりと落ちた。
祖父母や藤咲と話すって決めたのは確かだし、実行したいと思ってる。
だけど、きっとできない。
今も逃げ出したいんだ。
心の辛さを共有してるユージさん相手でさえ、この場にいるのが苦しくて堪らない。
「……シオ」
ユージさんの声に、顔を――上げたかった。
でも、もう怖い。
これ以上、受け止められない。
だって、だって、一方的に望みを押し付けられるんだから。
そんなの、苦痛だよ。
私じゃ応えられないに決まってるのに。
「シオは、どうしたい?」
「…………え?」
どうしたいって。
だから、頑張れってことでしょ。
ユージさんと一緒に生きて、向き合って生きろって。
そうしろって言ったんじゃん。
「ここまでは、僕の話だ。
シオが僕の話を聞きに戻ってきてくれたから、厚意に甘えて気持ちを伝えさせてもらった。
けど、それだけじゃないだろう?
シオはここに、何をしに来た?」
ユージさんの話を、聞きに来ただけ。
逃げ出したことを謝りたかっただけ。
それ以外はないはず……。
違う。
私は、望んでた。
期待してた。
この話し合いの先に、何かが変わることを。
だから1番にユージさんの元へと向かったんだ。
彼の話を聞いて、私は何を思って、何を望んだの。
最低限、それだけは伝えなくちゃ。
自分の気持ちを、言葉にするんでしょ。
「……ユージさんの考えてること、こうしてちゃんと聞くまで、全然分かってなかった」
言葉なんて薄っぺらくて、何も伝えられない。
天王寺の時はたまたま伝わったんだって、心のどこかで思ってた。
だけど、全然違った。
ユージさんの言ってることはもちろん。
その覚悟とか、苦しさとか辛さとかが、ちゃんと伝わった。
「私もね、これまで関わってきた人と向き合おうと思ってるんだ。祖父母や藤咲と、ちゃんと話したいって。
だけど、きっとできない。こんなに苦しいこと、何回もできっこないよ」
ユージさんみたいに考えられたら、
頑張ろうと思えたら、
どれだけいいか。
私には、何回も踏み出す勇気がない。
「私も、ユージさんと一緒に生きることを選択して、自分と向き合いたかった」
「うん」
「だけど、できるわけないんだ」
私は、できない人間だから。
「ごめん、なさい」
謝ると、私の手を握るユージさんの力が、少し強くなった。
「独りで頑張らないで。シオは間違ってないし、出来ないのは悪いことじゃない。……謝ることじゃない」
謝ることじゃん……。
何も、出来ないのに。
「シオは、今も死にたいって思ってる?」
「……分かんない。ぜんぶ、ぐちゃぐちゃだよ」
どうすればいいのか、分かんない。
「それって、シオが変わろうとしてるからじゃないかな」
思わず目を見開く。
そんなふうに考えたことなかった。
これまでも、感情がぐちゃぐちゃになることはあった。
その度に、落ち着くのをゆっくり待ってた。
忘れようと思ってた。
「だって、僕と一緒に生きて、自分と向き合いたいって思ったんだろう?
祖父母や藤咲さんって人とも、話したいって思ってるんだろう?
死にたい気持ちや、苦しいことを避けたいって気持ちと
そう、なのかな。
この状態は、迷ってるからなの?
「本当は死ぬ前に2つともやってみたい。
だけど、独りじゃ頑張れる気がしない……違うかな」
「……それは、違わない」
できるなら、ぜんぶやって死にたい。
それは確かだ。
死ぬのは、いつだってできるし。
でもきっと、死ぬ以外のことは上手くできない。
だから迷ってるんだ。
成功しないのに、挑戦するべきかどうか。
私が傷ついて、苦しい思いをしないかどうか。
「なら、僕と一緒にシオの問題を解決しよう」
「え?」
私の問題を、ユージさんと一緒にって……。
そんなこと可能なの?
「怖いなら傍にいる。シオが望むなら、学校でも家でもついていくよ。それで、逃げ出したくなったら一緒に逃げよう」
「逃げたら……意味ないじゃん」
そう言うと、ユージさんは首を振った。
「そんなことないよ。
だって、それまでシオが向き合ったことや頑張った過程は、変わらないじゃないか」
変わらなくて、それに何の意味があるんだろう。
結果が出せなかったら無駄骨じゃん。
ただ傷つくだけ。
ユージさんは何に意味を見出してるの?
どうして、逃げることを責めないの。
成功しないんなら、意味ないじゃん。
「……わかんないよ」と目を逸らす。
また逃げた。
せっかく頑張って話したのに。
これじゃ、何も変わんないじゃん。
「逃げること、死ぬことは悪いことじゃないよ。少なくとも、僕はそう思う。
今すぐに決めなくてもいい。ゆっくり、ゆっくり考えてみてほしい」
「……」
難しい。
なんでこんなに難しいんだろ。
自分のすることを、決めるだけなのに。
「シオは今、この問題に向き合ってる。それだけは確かだ」
少し席を外すね。と言い残して、ユージさんは部屋を出た。
俯いてたせいで、彼がどんな顔をしてたのか分からない。
部屋には、再び沈黙が訪れた。
ユージさんは、ぐちゃぐちゃなこの気持ちを、変わろうとしてるからだって言った。
それなら、ユージさんみたいに、真っ直ぐ向き合うことができるようになる……?
いや、絶対に無理だ。
だって、もしそれができるなら、私はとっくに学校に通えてるはずでしょ?
分かんない。
ねえ、時間が経てば分かるの?
ゆっくり考えて、何かが変わるの?
明日になれば、ぜんぶ解決するの?
分かんない、分かんないよ。
誰か教えて。
私は、どうすればいいの。
気持ちは相変わらずぐちゃぐちゃしてる。
不快だ。
「早く、抜け出したいよ……」
静かな部屋で、私はぽつりと吐いた。
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次回 2023年1月6日18:00
第13話 「類は友を呼ぶ」
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